観世太夫(かんぜだゆう)
花の御所。足利義政の前で、観世太夫が一人舞を舞っている。
「百年の歓楽、命終われば夢ぞかし、五十年の栄花こそ、身のためにはこれまでなり」
「栄花の望みも齢のながさも、五十年の歓楽も、王位になれば、これまでなり、げに何事も一睡の夢」
義政がシテの歌に合わせる。
「南無三宝、南無三宝」義政はそう言って、膝を手で打つ。
「よくよく思へば出離を求むる、知識はこの枕なり」
「げにありがたや邯鄲の、げにありがたや邯鄲の」
「夢の世ぞと悟り得て、望みかなへて帰りけり」
観世太夫が余韻を残して舞を終える。
義政が自作の歌を添える。
「思ひわび わが涙のみ 敷妙の 枕のほかに しる人もなし」
観世太夫が舞ったのは「邯鄲」という曲である。中国の故事によっている。盧生という貧しい青年が、邯鄲という土地で、道士の差し出す枕でうたたねをしたところ、富貴を極めた五十年の夢を見るが、目覚めてみると瞬く程の時しか、たっていなかった。この経験により、この世のこともまた夢なのだと悟る、という筋である。
下がりかける太夫に義政が声をかける。
「そのままでよい、あとでまた舞ってもらう」
「で、源三位を赦してやれ、というのか」義政が言う。源三位と呼ばれたのは、斯波義敏のことである。以下義敏と呼ぶことにする。
「はい」そう答えたのは伊勢貞親である。
「義敏は、わしが関東を助けよ、と命じたのに、集めた兵で甲斐が守る金ケ崎城を襲った」
「承知しております」
「それでも赦せ、というのか」
「はい、渋川義鏡が没落したいま、義廉に斯波家の家督を持たせている理由はありません。加えて最近、義廉は山名に接近しています」
義鏡とは義廉の父親である。関東は古河と堀越に二分されていた。義鏡は、幕府方である堀越公方を支援するために派遣されていたが、堀越方をまとめきれず、前年失脚している。
「宗全にか。引き立ててやったというのに、恩を知らぬ奴じゃ」
「今、義敏を助けておけば、恩に思うでしょう」
「義敏がそう言っているのか」
「はい」
「いま、どこにおる」
「大内が預かっているそうです」
「そうか、ふむ」義政が迷っているかのように考え込む。
義政はお飾りのような将軍として置かれていた。幕政の実権は三管領である細川氏、斯波氏、畠山氏に握られていた。これは義政の父、義教の恐怖政治が再来するのを防ぐためであった。
義政は伊勢貞親のような側近を梃子にして実権を取り戻そうとしていた。斯波氏と畠山はお家騒動となっている。ここで義敏を助ければ斯波氏が言うことを聞くようになるだろう。義就を押さえれば畠山氏も握れる。
あとは細川氏と、最近台頭している山名氏である。
「義敏を助けるのであれば、義就も同時に赦そうではないか」
「義就も、ですか」
「そうだ。わしは義就を好いておる。やつは、この国を変えていきたい、と考えており、具体的な姿も語る」
「しかし、殿の名を騙って、方々に攻め込む乱暴ものですぞ」
「乱暴は、乱暴じゃが。しかし民を大事にし、民に慕われておる。慕われておるから、失脚しても河内に戻れば、すぐに力を取り戻す。このたびもそうなるであろう」
「それに、彼の言う、座を無くし、寺社の力を削いでしまえ、という考え方には、わしも共感する」
「義就を御することができますでしょうか」
「それはわからぬ。しかし代りに家督を与えた政長をみるがよい。嶽山城攻めから帰って来て以来、夜ごとに酒盛りばかりしておる」
「いかにも」
「やつには、この国をどうしていこう、などという考えはない。そんな話をわしに持ち掛けて来たこともない。管領になりたい。力を誇示したい、というだけじゃ」
「……」
「それに反骨の相もある。義就の方が、はるかにましである。今助ければ、二度目であるから、さすがに義就もわしの言うことを聞くであろう」
「さようですか。そのようにおっしゃるならば、なにか機会が訪れたときに、両者とも赦免なさるのがよろしかろうと思います」
「では、この話は終いじゃ。太夫、なにか華やかなものを頼む」
「華やかなもの、西行桜など、いかがでしょう」




