シイタケ!
風力揚水機二号「タケマルとエノキ号」は軽快な動きが特徴だった。弱い風でも水を汲み上げた。風車の羽に麻布を用い、風車とシリンダーには、『ふう』式ベアリングが使用されている。
風力揚水機三号「セキエイマル号」は特殊だった。『ふう』のごり押しに石英丸が興味を持ったため、ねじれが一メートルあたり一回転になった。シリンダー内の水の自然落下に対抗するため、石英丸が頭をしぼり、シリンダーの傾斜をほとんど水平にすることで対処することにした。
『とび』の村は、川が山から出てくるところにあったため、村の上流すぐのところから傾斜が急になっている。そこで竹筒を二本繋ぎ、長さ三十メートル以上のシリンダーとして上流に向けた。風車も一回り大きくした。
途中の台座が三か所も必要になり、揚水機というよりは動力水道橋のような大掛かりなものになった。
しかし「セキエイマル号」は強力だった。噴水のように水がほとばしり出て、大量の水を『とび』の村にもたらした。それを見た村の衆が思わずため息をついたほどだ。もちろんこれにも麻布と『ふう』式ベアリングが使われている。
村の衆が相談して、もうこれくらいで水はいいだろうということになった。片田は七貫の当てが外れた。
初夏もずいぶんと深まってきた。片田は背負子を担いで、『とび』の村を歩いていた。茸丸の家を目指している。茸丸の家と『ふう』の家は村の中でも高い位置にある。屋号はそれぞれ油屋と材木屋だ。この二軒は山の仕事も兼業している。茸丸の家は田仕事をしながら木炭を作っている。それを分けてもらいに行くのだ。
揚水機を作って以来、村の子供達の間で竹や木を使った「機械のようなもの」作りが流行している。道端のそこここに、何に使うのか見当もつかない竹細工があった。
「おるかのぉ」片田は茸丸の家の前で、村の衆が言うような呼びかけをした。
「誰じゃ、あ、『じょん』か」茸丸が出てきて言った。
片田の順という名前は結局『じょん』になってしまった。犬丸のせいだ。
「炭を二束、分けてほしい」
「いいよ、そこにあるから持って行って」茸丸は土間の一角を指さした。
「ありがと」そう言って片田は背負子を下した。
村の内部では多少のことでは銭は払わない。家ごとになにかしらの役割があり、お互いに融通しているのだ。
木炭を背負子に括り付けて、片田が帰ろうとすると、茸丸が笊を持ってやってきた。
「うちのお父が、これを『じょん』にって言っていた。持っていこうと思っていたところだ」
そう言ってシイタケの盛られた笊を差し出した。
「今朝、山に行った時に採ってきたんだ」
”そうかぁ、シイタケか。ひさしぶりだな、これは夕食が楽しみだ。炙ってたべようか。しかし醤油がないからな。塩か味噌でもいけるだろうか。醤油欲しいな。こんどは醤油を作ってみるか。それと塩汁にもしてみるかな。煮るかな。蒸してもうまいだろうな。茶碗蒸しって、作り方が分からんな。好胤さん喜ぶだろうな”と、片田がそこまで考えた時、何か引っかかるものがあった。
なんだろう。
”いや、これはたいへんな大当たりだ、ボナンザだ、ジャックポットだ”
現代の人間であれば、ゲームチェンジャーとかチートとか言うところである。チートもチート、大チートであることが後に分かる。
「どうした、『じょん』」
「あ、いや、ありがとう。ところで茸丸、このシイタケを採ったところに連れて行ってくれないか」
「あ~、どうだろ。お父は嫌がるだろうな」
キノコの採れるところは秘密である。山の者はその知識を自分だけで独占しようとする。
「でも、『じょん』になら教えてやってもいいよ。何か面白いことを始めるのか」
「そうだ」と片田は答えた。
「これから、行くか」
「おう。炭を慈観寺に置いて、その足で行こう」片田が言った。
茸丸が山道から逸れて、疎らな藪を掻き分けて下に降る。
「ここだよ、『じょん』」茸丸が朽ちた倒木を指さす。大きな倒木だ。
小さなシイタケが倒木全体から無数に生えていた。大きいのは今朝、茸丸の父親が採ったのだろう。
「この木、少し削りたいんだがいいか」
「削るって、どれくらい」茸丸が心配そうに尋ねた。片田は拳を握って見せた。
「それくらいなら、いいよ」
慈観寺の土間に戻ってくる。
「茸丸、村の木匠(大工)の所に行って、おが屑を貰ってきてくれ」
「どれくらいいるの」
「一斗(十八リットル)くらいだ」おが屑は軽いので、背負子を使えば茸丸でも持ってこれるだろう。
茸丸が出て行った。湯を大量に沸かすと共に、白米を二合程炊くことにする。それが出来るまでの間に竹を切る。節を利用して二合(三百六十ミリリットル)程のコップを五十個作った。白米が炊き上がったところで、それに水を加えて搗く。糊を作るのだ。一方で湯を沸かした鍋で、竹コップを煮て殺菌をする。有り合わせの木箱と板を持ってきて、これも湯を一部使って殺菌する。
茸丸が帰ってきた。木匠の所で一斗樽を貰って、それ一杯におが屑を持ち帰ってきた。
まず、一斗樽を空けて、その中に糊と熱湯を入れて三分の一くらいの水位にした。そこに糠を入れて混ぜる。少しずつ茹でて殺菌したおが屑を加えてゆく。一斗樽が糠樽のようになった。冷えるのを待つ。
手を洗って、おが屑の塊を竹のコップの中に詰めるよう茸丸に言う。茸丸がおが屑を詰めた物を殺菌した木の板に並べていく。片田は、切り取ってきた朽木を小指の先ほどの大きさに砕き、おが屑コップの真ん中に差していく。
「これでシイタケが生えてくるのか、シイタケの田んぼみたいなものか」茸丸が尋ねた。
「そうだ。全部生えてくるかどうかは分からん。秋まで待たなければいけない」片田は答えた。
これから暑くなるので温度や湿度管理も大事だ。
土間を見回し縁の下の沓脱石の裏に菌床を乗せた板を置き、殺菌した木箱を被せた。
片田が子供の頃、キノコの菌床栽培は最先端の技術として少年雑誌などにまで紹介されていた。「少年倶楽部」だったか「日本少年」だったか片田は覚えていないが、そのような雑誌の特集記事で読んだうろ覚えの記憶だったが、もしこれが成功すれば大したものになるはずだった。
春蒔きのダイコン、カブが採れるようになってきた。春蒔きはすぐにトウが立つうえに、農薬の無いこの時代、葉の部分は害虫のため無残なことになるけれども、根の部分は食べられる。多少ナメクジに舐められるが、夏野菜が出来るまでの繋ぎとして栽培されていた。
その夜、片田と好胤は、焼いたシイタケに塩を添えたもの、シイタケの塩汁、ダイコンの糠漬に舌鼓を打った。