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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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冒険貸借(ぼうけんたいしゃく)

「まー坊、博多で山椒さんしょうが売れたぞ」安宅丸がそう言って、真木丸まきまるに、紙に包んだ銭を渡す。

 真木丸が、紙を開けてみると、博多の料理人の名前、取引日付、金額が書いてあり、最後に押印があった。印章は、片田商店が作成し、取引先に渡しているものであり、印影は片田商店が保存している。朱肉ではなく、墨で押印している。一種の取引証明である。料理人の名前は周輝輝しゅうてるてるというらしい。銭が確かに五十文入っていた。

 ここは、真木丸の家だった。安宅丸は真木丸の親の前で、真木丸に銭を渡していた。これは、片田に言われていたことだった。子供に労役や取引の銭を渡す場合には、必ず親の前で渡さなければならない。

 真木丸の目が輝いた。

「安宅丸、もっと作れば、また売れるかな」

「さあ、どうだろう。料理の薬味に使うから、あまり大量に送っても余ってしまうかもしれない。しばらくは航海のたびに、五つくらい送ってみたらどうだろう」

「わかった」

 それから、真木丸は博多への航海がある、と聞くたびに安宅丸の所に山椒を持ってきた。


 真木丸の山椒の話は、堺の周辺で噂になった。

「安宅丸、これ、売れるかなぁ」子供が小さな樽一杯にテナガエビを持ってきた。

 他にも、カエルの干物、ヘビ、ゲジゲジ、泥団子、イナゴなど、ありとあらゆるものが、子供たちによって持ち込まれた。

 安宅丸は閉口した。船学校卒業生で、造船を専攻していた塩屋しおや権太ごんたに役割を押し付けることにした。

 権太は子供好きだったので、それを引き受けた。毎朝一刻程、堺の片田商店の一角に窓口を設ける。

 同時に、持ち込んでも無駄なものを紙に書いて、商店の外壁に張り出した。

「トカゲは売れない、って外に書いてあるだろう」

「だって、字が読めないんだもの」

「字が読めないのか、しょうがねぇなぁ」

 権太が、中筋なかすじ太助たすけを連れてきて、字が読めない子供に文字を教えさせることにした。太助は、四本帆の帆船を作って、帆走競走に優勝した秀才だ。太助は、日を決めて商店の外壁に立ち、張り紙の文字を使って子どもたちに文字を教えることになった。


 それでも、売り物になりそうなものを持ってくる子供もいた。干し柿は博多で売れた。


 子供達の動きは大人にも伝わった。近隣の村人が片田商店の相場板を見に来るようになった。ドクダミ、ゲンノショウコ、センブリなどの薬草が博多の明人の漢方薬店に売れた。

 片田は、橘丸の一部を、そのような小口の貿易品にあてることにした。


 それまでの水運は、寺社や貴族が船を雇って、地方から京に年貢米を運ぶ、または座が船を雇って、取扱商品を輸送する、という雇い船の形か、あるいは村上義顕よしあきのような船主が、自分の船に購入した商品を載せて、港毎に交易していくという形が主だった。

 それに対して、一般の庶民が、自分の物、ないしは自分の生産したものを船主に預けて、遠隔地で販売してもらい、対価を受け取る。という形は新しかった。それまでは船主を信用する理由がなかった。

 しかし、片田商店の相場板で、相手先港のおおよその相場がわかるようになり、かつ安宅丸が真木丸に渡したような取引証明があれば、ある程度は信用が形成される。


 片田は博多の片田商店にも相場板を掲示させることにした。

 博多から、わずかではあるが、座の取扱商品が来るようになった。博多の相場板を見た生産者のうち、座に売るより堺の商人に売る方が大きく儲かると考えた者が、生産物の一部を堺向けの船に預けた。

 彼らも相場板と取引証明により、これまでよりも安心して商品を預けることができるようになった。


 生産者には、もう一つの不安があった。座に売る場合には、生産者が生産地で対価を受け取ることが出来た。輸送に係るリスクは座が受け持った。

 しかし、堺に送る場合には輸送のリスクは生産者が負わなければならない。


 そこで、博多の土倉のなかから、このリスクを請け負うものが出てきた。土倉は、生産者の輸送する商品に抵当権を設定する。生産者がそれを堺で販売して利益を得た場合には、土倉が利益の一部を得る。航海が失敗した場合には、その損失を土倉が生産者に支払うというものだ。

 例えば、生産者がある商品を生産地で座に売る場合、十貫で販売できるとする。それが、堺では二十貫で売れるものとしよう。船賃を一貫と仮定する。土倉は価格十貫の商品に、利息三割で商品に抵当権を設定する。航海が成功すれば、土倉が三貫受け取り、生産者は十七貫受け取ることができる。船賃を払っても十六貫の売上になり、座に売るより六貫儲かる。

 航海が失敗した場合には、土倉は、生産者に十貫を支払う。

 生産者にすれば、成功すれば座に売るより儲かり、失敗したとしても座に売るのと同一の売上を回収できるので、堺に売ることを選ぶであろう。

 土倉にしてみれば、遊んでいる金を運用することができる。航海失敗の確率に応じて利息を変更していけば、長期的には儲かることになる。

 このような取引を『冒険貸借』(Bottomry)といい、海上保険の原始的な姿である。


 西洋では、このような冒険貸借は十二~十三世紀頃に始まっていた。しかし、利息を取るという行為に対して、カトリック教会が否定的であった。

そこで、後には抵当権設定による事後の利息支払い、という形ではなく、現在のように事前に保険料を支払う、という形に変化していく。

自動車保険などと比較すれば、理解しやすい。自動車の運転は、確率は低いものの危険を伴う行為であり、事故を起こすことがある。そこで事前に保険会社に保険料を支払っておき、万一事故を起こした時の損失を保険会社が支払うという契約をするのである。


 冒険貸借が博多で整備されたことにより、座の取扱商品が、堺に大量に流れ込むことになった。



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