間の悪い話
『港』地区の北門、『ランドポート』からスペイン兵が出て行こうとしている。
まず、護衛兵に前後を守られた荷車。これには司令官が横たわっている。喉の発作が、まだ止まらない。
城兵が続き、最後に行政官と副官が馬で出て行こうとする。
行政官が馬を降り、片田順に握手を求める。
「なにごともなく、全員退却することができる。配慮に感謝する」行政官が片田に言った。シンガが片田の隣で通訳をする。
「そちらこそ、特に何の揉め事もなく終わったことに感謝したい。それと、先行きが懸念されるが、なにとぞご無事で」
「うむ。ところで、摂政はかならずや城を取り戻しにくるであろう。そちらこそ注意されよ」
摂政とはアラゴン王フェルナンド二世のことである。現在のカスティーリャ女王、フアナの摂政として同国も統治している。
「それは、心得ております。万全の準備をして、摂政殿下をお迎えいたします」
『ランドポート』を出て行ったスペイン兵は砂地を進み、アルヘシラスを統治するメディナ・シドニア公の兵と合流した。
筆者はすでにスペインと呼んでいるが、スペインという国がいつ成立したのかについてはいくつかの説がある。
一四六九年、カスティーリャ女王イサベルと、アラゴン王子フェルナンド王子が結婚した時とする説。ただ、この時は両王国が同一家系になっただけで、国家・法・財政・議会はまだ別々のままであった。
一四七九年、イサベルとフェルナンドが両王国を同時に統治しはじめたとき。このときにも法・通貨・軍政・税制は別々であったが、対外政策、つまり外交的には両国が統一した態度をとることになった。このときをスペインとする説もある。この物語で筆者はこの説を採用している。
それ以外にも一五一六年、すなわち孫の世代のカルロス一世が即位した年を王国成立の年とするものもある。
日本の鎌倉時代開始の年と同様で、何を重要視するかによって、時代区分が変わってくる。全国への守護・地頭の設置が重要だと思えば一一八五年だし、源頼朝の征夷大将軍就任が重要と考えるならば一一九二年になる。
ともかく、物語の年、一五〇七年には、対外的にはスペインとして見られていたであろうが、国内の人々の実感としては、まだ別の国、というところではないかと思う。
当時のスペイン王宮は、スペイン国内を転々としていた。それぞれの地域の平定が必要だったからだ。しかし、一五〇七年の春には、おそらくトルデシリャスに王宮があったと思われる。
なぜならば女王フアナが、そこの修道院にいたからだ。
フェルナンドとイサベルの間には五人の子供が生まれ、いずれも順調に育った。しかし長女と長男は子をなさずに早世してしまう。
なので、カスティーリャ女王のイサベルが一五〇四年に死亡したとき、カスティーリャ王国はブルゴーニュに嫁いでいた次女フアナを国に呼び戻して女王とすることにした。
一五〇六年にフアナがブルゴーニュ公フィリップ(端麗公)とともに帰国する際、難破してイングランドに漂着したことは以前に書いた。
二人がヘンリー七世から歓待を受けた話だ。
その後、二人は無事カスティーリャに到着するのだが、同年九月に夫のフィリップが二十八歳の若さで急死してしまう。真水にあたったのだといわれている。
夫の死後、フアナの精神が不安定になる。そのため彼女は聖クララ修道院近くの城館に幽閉されてしまい、父親のアラゴン王フェルナンドがカスティーリャ王国の摂政を務めることになった。
ジブラルタルはカスティーリャ王国の所有であった。
トルデシリャスの摂政フェルナンドのところに、メディナ=シドニア公の使者が到着した。
「なんだと、ジブラルタルを奪われただと、誰にだ」
「カタダ・ショーテンです」
「カタダか。なんということだ」
西暦七一〇年代にイスラム教徒にイベリア半島を奪われて以来八百年の時間を費やし、先祖代々の血をもって奪還してきた祖国を、また異教徒に奪われるのか。
これは、レコンキスタ(再征服運動)を完成させた、と自負するフェルナンドにとっては侮辱である。
“ぜひとも、奪い返さなければならない”
しかし、それにしても、なんと間の悪い事か。なぜならば彼はいま、背後に新たに登場してきた異教徒に対する十字軍を起こそうとしていたからだ。
新しい異教徒とはフランス王国のことだ。新教国になってしまった。
後にイングランドが新教国になった時、スペインとイングランドはイギリス海峡やカリブ海で激しく海戦を繰り広げた。イングランドが島国だったからだ。
しかし、フランスとは陸続きだ
こうなったのであれば、イタリア半島で代理戦争をおこなっているような場合ではない。直接フランスと対決しなければならない。
彼はアラゴン国内に十字軍を組織し、ピレネー山脈の地中海側を越えて南フランスに侵入しようとしていた。しかし、ジブラルタルが占領されてしまったということであれば、 フランス侵攻が遅れることは間違いない。
フェルナンドにとっては、間の悪い話だった。しかし、それこそが片田順とフランス王国が狙っていたことだった。
当時、新たに新教国になったフランスにとって最も脅威だったのがカトリック教国スペインだったからだ。
神聖ローマ帝国は内部に新教徒と旧教徒が混在して混乱していた。イタリア半島の国々はしょせん小国にすぎない。イングランドは片田商店と人文主義者に好意的だった。
新教国フランスにとって、スペインこそが最大の脅威だった。




