代銭納(だいせんのう)
丹波国にある桑田庄から、シイタケの菌床栽培に参加したいといって来た。
「丹波かぁ。ずいぶんと、遠いところからきたもんだなあ」茸丸が言った。
「丹波って、京の都の向こう側の丹波のこと」妹の『えのき』が尋ねる。
「そうだ」
「寒いところなんじゃないの、シイタケ栽培できるかしら」
「そうだな。やってみなければわからない」
茸丸達は、シイタケ栽培を始めてみたい、という村に対しては無償で菌床を提供してきた。その代わり収穫したシイタケは、すべて干しシイタケにして、片田村が買い上げることにしている。そのような村は菌床を仕入れるだけの貯蓄を持っていない場合が多い。また、慣れていないので、菌床からシイタケが出来てくる率、歩留まりも悪いからだ。
シイタケ栽培に慣れ、歩留まりも良くなり、蓄えの増えてきた村には、菌床を販売した。出来たシイタケは、彼らの自由にしてよい。
それまで、シイタケを栽培する、という技術が無かったので、シイタケの座というものがなく、市で自由に販売できた。そのような村は、宇智、名張、伊賀の村々である。
最近では、矢木の市でも、生シイタケが生えている菌床が売られている。家に持って帰れば、二、三回シイタケが収穫できる。
茸丸達は、菌床を家の台所などに置くのは良くない、と注意する立て札を市に立てなければならなかった。運が悪いと、家の柱からシイタケが生えてきて、柱をぼろぼろにしてしまう。
シイタケ栽培を農家の副業として始めてみたい、という村が最近増えている。丹波、近江、伊勢、和泉、大和の奥にある吉野、十津川、などから問い合わせが多く来るようになった。片田村の菌床室と呼んでいる建物も、ずいぶんと増えた。
書類仕事が続いたので、茸丸は気晴らしに外に出てみた。鍛冶場で鍛冶丸が忙しそうにしていた。
「博多行きの準備かい」茸丸が声をかける。
「そうだ、まったく忙しい。やっと、河内に硫安を送ったと思ったら、今度は博多にいって、硫安工場を作れ、とのことだ」
年の初めに河内新田の飯場が襲われた。その時片田は、河内新田の周囲の農家に配る硫安を大量に作成することを指示していた。鍛冶丸は、硫安の製造ラインを増やしてなんとか対応し、田への種まき前に河内に送っていた。
次は博多の若狭屋五郎さんが用意した土地に硫安工場を作らなければならない。彼は工場に必要な部品の表を作り、鍛冶場の者達に製造を指示している。
その年の春、片田は河内の新田の周囲十キロメートル四方の農家に無償で硫安を配った。この時期までに、硫安は河内平野の農家に普及していた。使用法も熟知していた。
しかし、大陸での需要が爆発したため、硫安が高価になっていた。そこに、片田が無償で硫安を配ったのであるから、彼らは喜んだ。
片田が硫安の代償として農家に求めたのは、河内新田の安全だった。
安全といっても、兵となって戦うことではない。
不審な者や集団が来たときは、知らせてほしい、また、そのようなものが攻めて来た時には、片田達の求めに応じて、遠巻きにして騒いでほしい、そういったことだった。
知らせる、まではいいが、遠巻きに騒いでほしい、については農家達がすこしひるんだ。
「では、年貢の銭を、米を担保に半年程たてかえようではないか」片田が申し出る。
そこまでしてくれるのであれば、よかろう。近隣の農家は承諾した。
近隣の農家が承諾した訳について説明する。
この時期、近畿地方では、代銭納が広まっていた。代銭納とは、百姓が年貢を銭で納めるということだ。
しかし、百姓が年貢を納める十一月は米の価格が安くなる時期である。半年ほど片田に銭を立て替えてもらえれば、端境期の翌年二月、三月、米価が高くなったところで米を売却できる。
以前であれば、河内の農家は、畠山義就の田舎市でつくった蓄えがあった。蓄えから年貢を払って、収穫した米は、米相場を見て高値の時に売ればよかった。しかし続く飢饉で、今はその蓄えを失っていた。
片田が立て替えてくれれば、今年から有利な価格で米を売却できる、というわけである。
全体に室町時代は、米価が安定して一石五百文から六百文であったともいわれるが、季節変動、地域変動は大きいものであったらしい。
ある研究(『室町時代における米価表』百瀬今朝雄、史学雑誌、六六-一)によると、播磨国矢野庄の応永二十一年(一四一四年)十月の米一石の価格は六三九文であったが、翌二月には七五二文と二割弱高くなっている。
また同年十一月、生産地の矢野庄では、一石あたり六七七文であるのに対して、需要地である京都では九五二文と、四割高くなっている。
代銭納は、百姓が幾たびも一揆を起こして獲得した彼らの権利であったが、百姓が変動する米相場に直面する、ということでもあった。
これは、たとえば米で年貢を払っているときには、豊作は、ただ祝うべきことであったが、代銭納になれば、米価の下落に直面しなければならない、ということなのである。




