搦手門 (からめて もん)
新藤小次郎と高山次郎五郎が連絡艇の無線誘導について話している時に、ジブラルタル市街の方でも動きがあった。
ジブラルタルの教会。
カトリック教会は、一般的に三つの部分に分かれる。入口は西側に開かれていることが多い。入口から入ると、まず身廊という広い空間がある。信者が祈るところだ。その奥に内陣がある。数段高くなっていて、司祭が説教をするところだ。
そして、一番奥に祭壇があり、十字架や聖人像が置かれている。
大きな教会では、祭壇部分が半円形になっていることもある。
司祭は、身廊部分を兵の宿所として提供する。日本兵は三百名いたが、三交代になるので、一度に就寝するのは百名ほどだ。田舎の教会でも十分だった。
当時のジブラルタルは人口千人前後だったと考えている。だとすると、教会身廊の収容規模は三百から五百人くらいだろう。日曜のミサは複数回行われるものだ。
日本兵百人が同時に眠ることができる。
司祭が内陣と祭壇に上がってはならぬ、というと日本兵はその約束を守った。身廊部分に置かれた什器を片付けると、大半の日本兵は出て行き、五名が残った。
これならば悪さをすることもあるまい、そう考えた司祭はいったん祭具室に引き上げる。
やれやれ、と言いながら椅子に腰かける。
“あのタルタル人達は、どこから来て、何をしようというのであろうか”、ぼんやりとそのようなことを考える。
“神が創造した世界に、あのような者達もいたのか。全能の神のことを知っているのであろうか”
そんなことを考えていると、祭具室に一つだけある小窓を叩く音がした。
祭具室というのは重要な物を保存しておく場所なので、通常の住居のような窓はない。明かりを採るために、天井近くに鉄格子の嵌められた小窓があるだけだ。人が通り抜けることはできない。
その小窓を誰かが叩いている。
司祭が立ってガラス窓の向こうを見ると、『ムーア城』の城兵だった。
司祭が外に繋がる扉を開くと、霧の中、肩車をした兵がいた。上の兵が地面に降りる。
「なんじゃ、いま教会には異国の兵が入ってきておるのだぞ」
「知っている。だから司祭様が祭具室に来るまで待っていたのだ」と、兵が言った。
「なるほど」
「敵は何人ぐらいだ」
「さて、三百人ほどじゃろうか。教会を宿舎にするそうじゃ」
「やつら、銃を持っているのか」
「銃のような鉄棒をもっておる。二発だけだが銃声も聞こえた」
「どんな銃だ」
「そんなこと、わしが解るわけないじゃろう。ただ」
「ただ、なんだ」
「おぬしらが持つ銃のような、火縄を置くところが無いようじゃった」
「火縄がなくて、どうやって火薬に火を点ける」
「さて、知らぬ」
これ以上、宗教家に聞いても、何も分からぬであろう。スペイン兵が諦める。
「もう少し、やつらを見てみたいのだが」
「どうしたい」
「鐘楼に登らせてくれないか」
「よかろう。教会の身廊には外国兵がいる。外から塔に登ってくれ」そう言って司祭が裏庭の左手に行き、塔の裏手に回る。僧衣から扉の鍵を取り出して開けた。
「お前はここで待っていろ」スペイン兵がもう一人の兵に言った。
壁も階段も石造りの螺旋階段を登る。壁のところどころに掌くらいの大きさの『明り取り』窓が開いていた。
上が明るくなり、鐘が置かれた台に出る。四方は開け放しの窓だ。兜を脱いで下を見る。兜が無ければ教会の『鐘撞男』と見分けがつかないであろう。
司祭が言っていたように、三百名程の兵が教会の周囲に散開している。背中に小銃を背負っている。
“どうも、一人に一挺ずつ配布されているようだ”
すこし驚く。当時のスペインには槍兵、剣盾兵が大部分で、火器兵は全体の一から二割程度だった。
背中の小銃に目を凝らすが、ここからでは仕組みがわからない。
“すこし、当たってみるほうがいいかもしれぬ”、城兵が思った。この男は将校なのだろう。
この男は十人の城兵を率いて『ムーア城』から降りて来た小隊長だった。ジブラルタル市街で何が起きているのか、敵兵の勢力は何名くらいか、どのような武器を持っているのか、調べるのが目的だった。
彼と副官の二名が教会の裏手に接近し、残りの八名は教会裏の藪の中に隠している。
市街と城の間の『バルチナ門』は、両軍のにらみ合いが続いている。では彼らはどこから出て来たのか。
実は『ムーア城』には市街側に出ることができる、もう一つの門があった。『ゲートハウス』と呼ばれている。秘密の搦手門だった。
市街から『ムーア城』を見上げても、城壁の所々におかれた塔の一つにしか見えない。
城外に出るための扉は山側に開かれていて、麓の市街からは見えないようになっていたからだ。
もし、ストリート・ビューが使えるのであれば、今でも『ゲートハウス』の城門を見ることができる。
ジブラルタル付近で『ムーア城』のすぐ南に走る『タリク・パッセージ』を見て欲しい。北に向かって登り、百八十度曲ってさらに南に登る道だ。
道が右に曲がっている部分に『ゲートハウス』の扉が残っている。
彼らはそこから出て来て、『タリク・パッセージ』を降り、等高線沿いに走る『キャッスル・ロード』を南下した。さらに『ホスピタル・ランプ』を降りて、教会の裏手に出てきたのだ。
もちろん、当時それぞれの道に現在の名前が付いていたわけではない。




