山椒(さんしょう)
雷管は、小銃弾以外にも使い道がある。二つの小銃弾を弾頭部分で逆向きにつなげると、迫撃砲弾のモデルになる。
下部にあたる、上向き弾丸の薬莢内の火薬を成型し、中心を中空として、燃焼時間を延長する。
上部にあたる、下向き弾丸の側の雷管に小さな棒を付ければ、着発信管となる。二つの鉛弾頭は取り外し、そこに火薬や金属片を入れて威力を増す。
油を入れれば焼夷弾になる。白リンを詰めれば、発煙弾になる。マグネシウム粉末と硝酸ナトリウムを詰め、落下傘を取り付ければ照明弾にもなる。
迫撃砲の砲身は、ライフルの無い円筒で、底に撃針がある。
安全ケーブルを抜いて、着発信管を活性化した迫撃砲弾を筒内に入れる。砲弾は筒内を落下して、撃針が砲弾下部の雷管を突く。
推進火薬が着火して、砲弾を発射させる。ライフルが無いので、進行方向を安定させるために砲弾の後部に羽がついている。
砲弾が地面に着地すると、先頭の着発信管が頭部の雷管を打ち、内部の火薬等に着火させる。
雷管は手榴弾にも使われている。安全装置を外すと、手榴弾の頭部で撃針が雷管を打ち、発火した雷管が、手榴弾内部の導火線に火を点ける。
導火線とは、微量の火薬を紙や布で巻いたもので、毎秒一センチメートル程度の燃焼速度が維持されるように作られている。導火線は手榴弾内部の小さな鉄管の中を燃えていき、数秒後、手榴弾内部の黒色火薬に着火して爆発する。黒色火薬はTNTやC4とは異なり、着火するだけで爆発する。
片田は迫撃砲と手榴弾の図面、説明書を作成して片田村の石英丸に送ることにした。特に導火線の作成は、手作業で行わず、完全に機械化して安定した品質になるように留意せよ、と意見した。
堺で、安宅丸達が製造していた竜骨式帆船の艤装が終わった。桜丸と名付けられた。
桜丸は、数か月堺の周辺で試験航海をした後に、橘丸とともに博多に行くことになった。
二つの船は、干しシイタケを一杯に積んでいた。天竜寺船の朝鮮への派遣に備えて、備蓄の利く硫安の需要が増えていたが、硫安は河内で片田が必要としていた。
「お、まー坊、どうした」安宅丸が十二歳くらいの男の子に声をかけた。まー坊と呼ばれたのは、堺の近くにある農家の子供だった。名前を真木丸という。
「安宅丸、博多に行くんだろ」
「そうだ、それがどうかしたか」
「うん、これ、博多で売れないかな」真木丸が竹筒を差し出す。竹筒には穴があけられており、竹片で栓がしてあった。
「なんだ、これ」
「山椒の実だ。俺の家の裏にたくさん生えている。とげがある厄介ものだ」
安宅丸が栓を開けて振ると、確かに乾燥した山椒の実が出てくる。去年の秋に収穫した物だろう。
「わかった、預かろう。もし売れたら、売れた分の銭は渡す。小さいから運賃はいらない」
この時期、百姓も商品経済活動を行い始めていた。畿内では年貢の銭納も始まっている。百姓が年貢と自家使用分を除いた余剰生産品を市場に持ち込んで、直接銭を稼ぐようなこともしている。畠山義就の田舎市は、その活動をさらに促進した。
したがって、真木丸のような農家の少年が、手近で手に入る物を、他所に持って行って売れないだろうか、と考えるのも不思議はない。
船による交易が盛んになってきたことも、商品経済を加速している。真木丸や彼の周囲の者にとっては、ありふれた物であっても、博多のような遠隔地では珍しく、高価で取引される場合もあるからだ。
桜丸と橘丸の二隻は、初夏の風に乗って博多に入港した。博多の片田商店では、若狭屋四郎さんも、五郎さんの硫安あり、なし畑も健在だった。
「ほんとうは、硫安が来るとありがたいのですが、河内で必要だというのでは、しかたありませんな」
「五郎の石炭商店と硫安商店が始まれば、こちらでも硫安が作れるようになるそうですから、それまでは我慢ですな」四郎さんが言う。
「石炭と石灰の採掘場は選定済みです。周辺農家の乙名たちの合意も取れています。冬場採掘に従事してくれるそうです。硫安工場予定地も購入しました。いつでも技術者を迎えることが出来ます」五郎も言った。
「わかりました。堺の片田に伝えます」安宅丸は答え、五郎からいくつかの書状を受け取った。
遅い昼飯でも食おう、と安宅丸が博多の片田商店を出ようとしたところ、四郎さんが呼び止める。
「到来物で、悪いんだけど。これ宿所で食べなされ」そういって荒縄で縛った豆腐をわたされる。今の豆腐よりずいぶんと濃くて固い豆腐だ。
「琉球の商人が持ってきたものじゃ。島豆腐というらしい」
安宅丸は豆腐をぶら下げて、中華街の料理店に入った。
「肉マントウを二つ頼む」
昼時を外れていたので、人が少なく、料理人が直接料理を持ってきた。安宅丸が山椒の入った竹を取り出して料理人に見せる。
「これ、店の料理に使えないか」
「なんだ、これ」
「山椒の実だ。ハジカミとも言う。堺の近くの子供が売りたいといってきた」
料理人が実を取り出して匂いを嗅ぐ。湯飲みの底で実を潰して、なめてみた。
「花椒に似ているな。辛いというより、痺れる感じだ」
「でも、いい香りだ」
料理人が考え込んだ。
「それ、島豆腐か」
「ああ、そうらしい。もらいもんだ。まだ食べていないので味はわからん」
「それを料理してやろう」
そういって、山椒と島豆腐を持って調理場に入っていった。
料理人は細かく切った少量の豚肉を炒めて、おろしショウガをいれる。そこに豆板醤を加える。豆板醤といっても、まだトウガラシがない時代なので、茹でたソラマメに塩と麹を加えて醸したものだ。鶏ガラのスープを足し、切った豆腐を入れる。水溶き片栗粉でとろみを付け、最後に山椒を粉にしたものと、ごま油をかける。
「どうだ」
「山椒があると、豚肉の匂いが気にならないな」
「そうだろう。中華街の料理人の悩みの種だ。日本人が豚肉の匂いを嫌う。それでショウガを入れてみたりするんだが、ショウガだけでは、豚肉に負ける」そういって料理人も一口食べる。
「おお、これならいいんじゃないか。どうだ」
「さあ、俺はずいぶんと豚肉に慣れてしまっているからな」
「そうか、じゃあ、ちょっと待ってろ」
料理人は出て行った。ややしばらくして、日本人を連れてくる。
「この男は、知り合いだが、あんまり豚肉を好まない。ちょっと食べてみてくれないか」
その男が一口食べる。
「これは、山椒か。ほとんど豆腐だし、豚肉が少ないので、これなら俺でも食えるぞ。豚肉が、もっと小さい方がいいかな」
「おお、そうか。いけそうか。よし、山椒を買うぞ、竹筒一本、五十文でどうだ」
五十文というと、三千円か四千円程度である。
「よかろう。売った。これは何という料理だ」
「さあ、初めて作ったものだが。そうだな、お前に山椒を持ち込んだ小僧はなんて名前だ」
「あいつは、まー坊、という」
「では、まー坊豆腐、という名前にしよう」




