ランス
西暦一五〇六年の冬。フランス。
パリはすでに新教徒の軍によって陥落させられていた。カトリックにとって唯一残った拠点はランスだった。
シャンパーニュの平野で行われた野戦ではカトリックが敗北している。残ったカトリック勢はランスに籠城した。
そして今、新教徒軍がランスの北方でヴェール川を東に渡り、ランスの北面に迫っている。
あのパリですら、新教徒の大砲の前に、わずか数日で落城した。ランスはパリより小さい。彼らの命運は明らかだった。
ランスは古代ローマ時代にはガリア地方最大級の都市だった。そして城の範囲は広大だった。しかし中世になり、人口が減少し、城壁の建設・維持の能力も衰えた。
中世の人々は古代ローマ時代より小さな城壁を都市の周りにめぐらし、自らの身を守るしかなかった。
それをよく示しているのが、ランス城壁の外に置かれた凱旋門(マルス門)だ。この門はローマ時代には町を囲む城壁の一部(北門)だった。
この門は現在でもランスに残っているので、確かめることができる。
ランスの中心部(ノートルダム大聖堂)から北に八百メートル程行ったところにマルス門がある。
当時の城壁は、衛星写真から推察すると、大聖堂から北に五百メートル程行ったレンフェルムリ通り、グロス・エクリトワール通り、アルベール・レヴィル通りの線だと思われる。
中世城壁と凱旋門は二百メートル以上の距離がある。
町が半径二百メートル以上も縮小しているのだ。
それでも、ランスを囲む中世の城壁は、ローマ滅亡の後、千年もの間、ランスの住民を守って来た。
しかし、火薬と大砲の時代が到来し、中世風の背の高い城壁は、もはや町を守ることができなくなってしまったに違いない。
新教徒軍が、そのマルス門あたりまで前進してきて、砲を設置しはじめる。約二百メートルというのは、ちょうど良いくらいの距離だった。
というのも、それより接近すると城壁上の火縄銃や小口径砲の射程内になる。
一方三百メートルより離れると、こちらの砲弾の威力が弱まってしまう。
火縄銃の射程が五十から百メートル、当時代表的な小口径砲のファルコネットが二百メートルか、それより少し長いくらいだろう。
砲の設置作業の間に、新教徒側から使者が来る。武装解除して降伏するように勧告する。そして、カトリック教徒の安全と信仰を保証する、という条件だった。
ただし、ノートルダム大聖堂他の宗教施設の財産、不動産は没収するとも言われた。
そのような条件を提示されても、町の聖職者、住人はおいそれと信じられない。使者が自陣に戻っていったあと、町中のいたるところで議論になった。
「新教徒軍はカトリックに手を出さないって言っているが、本当のところはどうなんだ」若い男が言う。
「嘘に決まっておる、この数年フランス全土で新教徒の虐殺事件がおきとる。彼らは復讐するために来たのじゃ」初老の男がそれに応じる。
パン屋の女将さんが、その二人に怒鳴る。
「あんたたちが悪いんだよ。新教徒がどこかの町で殺されるたびに浮かれ騒いで通りを行進していたじゃないか」
「そんなこと言ったって、あいつら邪教徒だぞ」若者が反論する。
「だからって、殺していい、っていうのかい」
彼らの近くに、買い物に出てきていた母親と幼い娘が立っていた。
「おかあさん、私たち『しんきょうと』に殺されちゃうの」幼い女の子が尋ねる。
「そんなことないわ。あなたのような幼い子を殺す人なんていませんよ」
「そうならばいいけど、でも、おかあさんは大丈夫なの」幼女が問いかける。
「それは……」
彼女が思い出す。どこかの町で新教徒が殺されたという知らせを聞くたびに、内心でホッとしていた。異質な者どもと暮らすことなど、考えても嫌だった。
もちろん、そのようなことを口に出して言う事は決してなかったが。
しかし、この時代は宗教の時代だ。心の中で考えただけでも、それは神による罰の対象になる。
身に禍が訪れるかもしれない。神の罰なのだろうか。
二人の会話を聞いていた先ほどの初老の男が、幼女に向かって、吐き捨てるように叫ぶ。
「何言ってんだ。ヴァシーでもサン・バルテルミーでも、女子供、そして赤子までも見境なく殺しているんだぞ」
驚いた女の子が泣きだし、母親が抱きしめる。
大聖堂の鐘が鳴り始める。信者たちに聖堂に集まり、祈って心を落ち着けよう、ということだろう。
市場では商人たちが店を畳みはじめる。小麦、毛織物、ワイン、革製品などがかたづけられていく。彼らは聖堂に向かうのだろう。
夜になった。新教徒軍は明朝までにランスを解放しなければ、砲撃を始めると言っている。
ノートルダム大聖堂にはランスのほとんどの住民が集まっていた。
普段の説教であれば、参事聖職者や司祭が行うのだが、今夜は特別だった。ランス大司教が説教壇に立った。祭壇には聖遺物が置かれている。松明とロウソクの光が大司教と祭壇を照らす。
「この街は『戴冠の都』である。ランスが王に戴冠をさせてきた。王は決してだいそれたことをなさないであろう……」大司教が述べた。
「そんなこと言ったって、その王が新教徒に寝返ったんだろう。もう二度とランスでの戴冠式は無いんじゃねぇか」
信者たちがそんなことをささやく。
大司教が続ける。
「これは、信仰の試練なのだ。しかし、恐怖の中にあっても、神は決して我々を見捨てはしないであろう……」




