ロワール川
ロワール川はフランス最長の川で、その全長は約千キロメートルにもなる。源流はリヨンとアヴィニョンの間くらいにある山だ。南フランスといっていいだろう。
そこからローヌ川とは反対に北に流れ、オルレアンの付近で西に向きを変えてナントでビスケー湾に注ぐ。
オルレアンでロワール川の振る舞いが大きく変わる。
ここより上流では、川は大地を侵食し、下流では堆積する。
言い方を変えれば、オルレアンより上流では傾斜がすこし大きくなり、下流では流れは緩やかになる。なので、オルレアンまでは船で川を遡上できるが、ここより上流の水運は難しい。
この場所にオルレアンという都市が出来た理由がこれである。
しかも、都合のよいことには、ロワール川がもっとも北に寄ったところだ。パリまでの直線距離は百十キロメートルだった。
地中海やイベリア半島の産物がビスケー湾からナントに入り、川舟によってオルレアンまで運ばれ、そこから陸路でパリに運ぶのである。
もちろん、途中で消費される物もある。
なぜブルターニュ半島を回ってセーヌ川まで運ばないのか調べてみたら、半島からセーヌ河口までは難所だったのだという。
まず、強風や大波、潮流の急変などがあり、沈没率が高かった。ハンザ同盟の西の端がこのあたりだったのは、それが理由だったのかもしれない。
加えてブルターニュやイングランドの海賊が出没した。
さらにセーヌ河口までいけば、ハンザ同盟の船とトラブルになることもある。
これらの理由で、ロワール川から入った方が安全だったとのことである。
様々な商品がロワール川で運ばれた。ワイン、塩、穀物、木材、石材、布地や羊毛等々である。
一方でロワール川はやっかいな川でもあった。オルレアンの下流は堆積地だった。ここでは、川幅が広く、河道が頻繁に変わった。
船の航行が難しくなるだけではない。橋を架けることも困難な川だった。
この時代に橋がかっていたのは、オルレアン。そして下流側が五十数キロメートル離れたブロワ、上流側が六十キロメートル上ったジアンだったそうだ。
ブロワからジアンまで、この三本の橋しかなかった。
そのロワール川の小舟がギーズ公の兵に誰何された話だった。
「いいでしょう。硝石と間違える御仁が多いので、こういうのを用意しているんでさ。そういって小舟の男が小さな箱をとりだす。
「これは木炭と硫黄の粉です。ご存じのとおり、これらに硝石を混ぜると火薬になります」
「その通りだ」岸から小舟を誰何した兵が言った。
「では、この袋の白い粉とこれらを混ぜてみますから、よく見ていてくだせえ」そういって、さっき穴を開けた袋から白い粉を一つまみすくいあげて、小箱の上に載せる。
ついで、男はその指を嘗めた。
「なんで指を嘗めるんだ」兵が訊ねた。
「いえね、御存じかどうか知りませんが、硝石っていうのは強い塩味がするんでさ。似たような見た目の物を扱う時には、万が一にも間違っちゃいけねぇので、念のため味をみることになってます」
「そういうもんか、火薬を嘗めたことはないな」
「よかったら、御仁も嘗めてみますか」
「いや、いい」兵が断る。
「じゃあ、混ぜますよ」そういって白い粉に木炭と硫黄粉を加えて混ぜた。
「もし、硝石ならば、爆発します」そういって、燐寸に火を点ける。マッチは輸入品で、最近普及しはじめていた。片田商店の商品で、イングランドを経由してフランスにも入ってきている。
「ほんとうにそれに火を点けるつもりなのか」兵が怯む。
「もし、心配でしたら、すこし下がって離れていてくだせぇ」
兵達が後ろに下がった。
小舟の男がマッチの火を粉末にあてた。木炭がパチパチと音を立てて赤く光るが爆発はおきなかった。
兵達が大きく息を吐く。
「わかった、硝石じゃないんだな。畑の肥料だというんなら、通ってもいいぞ」
「ありがとうごぜぇやす」男が礼を言って川を上って行った。そして、ロワール川に架る橋のたもとに小舟を寄せる。
城塞の中から数人の男達が出て来て、肥料袋を城内に運び込んだ。小舟の男もその後に続く。なにか筵に包んだ物を小脇に抱えていた。
城内に入ると、フランソワ・ド・ラ・トゥールという新教徒貴族が声を掛けて来た。
「無事でなによりだ」
「へぇ、今度もうまくいきました。最後の二袋だけが『白い肥料』で、他は全部硝石です。後ほどご確認ください」
「助かる」
「城内の様子はどうです」
「幸い食料などには、あまり困っていない。敵の包囲が緩いからな」
「ギーズ公は本気でオルレアンを攻め潰そうとはしていないようです。本人はフランス西部から南部の都市の攻略を指揮するために各地を回っていると聞きます」小舟の男が言った。籠城していると、外部の事情が分からない。このような情報はありがたい。
「そうであると助かる。北東の城壁が弱いのだ」
オルレアンの北の門『ポルト・パリ』と北東の門『ポルト・ブルゴーニュ』の間の城壁の事を言っている。このあたりは古代ローマの城壁を中世になって補強しただけの部分だった。
このことは敵も味方も知っている。現にギーズ公の攻城砲は、この城壁に向けて配置されていた。
それに対して、オルレアンの南側は防御が厚かった。ロワール川を渡る橋自体が要塞のようなものであり、対岸には『トゥーレル砦』という防御施設もあった。
こちらから攻撃するのはほとんど不可能だろう。
小舟の男が脇に抱えていた筵を開いた。
「それからこれは、先方からの贈り物だそうです」
「なんだ。アルケブスか」
アルケブスとは、ごく初期の火縄銃の名前だ。
「デュランダルと言うんだそうです。銃であることは間違いないんですが、遠くの標的に狙った通りに弾が当たる、魔法のような銃だそうです」
「デュランダルとは、ローランの剣の名前ではないか」
片田商店の普通のボルトアクションライフルだった。小銃弾三十発が添えられていた。
これまで、イングランドを含むヨーロッパには提供したことのない銃だ。
「このように弾を込め、引鉄を引くだけで弾が発射されるそうです」男がやって見せた。
「火縄はいらないのか」
「そのようです。何発か練習に使ったあとに、ここぞという時に使ってくださいとのことでした。なんでも貴重なものだそうです」
ライフル銃を作ることは難しくない。しかし、このように言っておけば、むやみやたらに銃を要求してこないだろう。
『ローランの歌』に登場するローランの剣、デュランダルだと言っておけば、なるほど、そのような宝剣はめったにあるものではない、そう思うにちがいない。
それどころか、戦争が終わった後に、貴重な物をお借りした、などといって返却してくるかもしれない。
もし返してこなくても、小銃弾が無くなれば、あとは使い道がない。この時代に雷管など作れるものではなかった。
「そのような貴重な品を貸していただけるのか。ありがたいことだ」
「うまく使ってください」
「ともかく、コンデ公も私も、カタダ殿には感謝している。このことを先方に伝えてほしい」
「あっしも、ナントの沖で片田船と取引しているだけで、片田殿には会ったことがありません。ですが、片田船の連中に伝えておきましょう」




