オルレアン
フランス国王ルイ十二世の悩みは大きい。しかし、自ら退位しようとは考えなかった。
以前、『サリカ法』の話をしたことがある。フランスでは国王に男子が生まれない場合の継承権が厳密に定まっている。そのため、『フランス継承戦争』のような王位継承の内戦は起きていない。これは中世後期(十四世紀)以降の話だ。
この『サリカ法』があるために、シャルル八世が『イタリア戦争』の後に、世継ぎをつくらずに事故で急死したときには、シャルルの曽祖父の弟、オルレアン公ルイの孫ルイ十二世が自動的に即位した。
どのような縁戚にあたるのか、文章を読んでも追い切れないほどの遠い関係だ。
それでも、誰も異論を唱えなかった。
ルイ十二世も、史実では世継ぎを残さなかった。
そのときも、ルイの父親の弟、アングレーム伯ジャンの孫のフランソワが自動的に即位している。
もちろん、誰も何も言わず。世継ぎ争いなどなかった。
中世フランスの王位というものは、それ以前から他のヨーロッパの国々とは異なっていたようだ。フランスにおいては、それは神が授けた権力と考えられた。
神に選ばれたのだから、人間である王の側で勝手に放棄できない。
これは王本人が、そう考えていただけではなく、フランス人の共通認識だったらしい。
フランスというと、ルイ十六世とマリー・アントワネットの死刑があまりにも有名なので、国王を殺す国と思っているかもしれないが、じつはそんなことはない。
フランス人の共通認識は上のとおりだったので、中世初期から、この小説の時代まで、暗殺や内戦でフランス王が殺されたり、廃位されたりした例はほとんどない。
シャルル三世が、ノルマン対策の失敗で諸侯に廃されたことくらいだろう。
これまでに、日本の『応仁の乱』見てきた。あれは将軍家や畠山家の跡目争いだった。イングランドでは『ばら戦争』があった。これもランカスターとヨークの跡目争いだった。
フランスの王政は不要な争いを防ぐ一つのヒントになるのかもしれない。
ともかく、中世末期のフランスは、そのような国家だったので、ルイは自分の身に危険が及ぶ、などとは考えていない。
ただ、どのようにすれば、フランスが神の意思に沿った国になるのかを考えている。
“カターダ・ショテン、違う、カタダ・ショーテンだとルイ・マレーが言っておったな。カタダ・ショーテンのことは、会議で決めたように、しばらくは避けるようにしよう”ルイが思った。
“それにしても、ルイ・マレーのやつ、なんで正しい発音を知っておるのだ“
“まあ、いいか”
“教皇庁の借金の件はどうするか”
”アレクサンドルは何歳だったかな、確か『乙女が焼かれた年』に生まれていたはずだ。と、いうことは今年七十七歳か。長生きするもんだな“
『乙女が焼かれた年』というのはジャンヌ・ダルクが火刑になった一四三一年のことをいう。
“そう長くはないだろう、しらばっくれているうちに教皇の寿命が訪れるかもしれない”
そう思った。
“しかし、フランス国王は借金を返済しない、などと騒がれても面倒だ。
そうなのである。例えばルイの次のフランソワ一世はハプスブルクのカール五世(スペインではカルロス一世)と神聖ローマ皇帝位を争った。
結果はカールが戴冠するのだが、その際に、銀鉱山で財をなしたフッガー家という豪商から莫大な選挙資金を借りている。
ほかにも、戦争をするにも資金がいる。
いざというときに借金できない、というのでは困るのだ。
“なんとか黙らせる方法はないものか”、しかし、うまい方法を思いつかない。
宗教内戦についても、思いを巡らす。
“ピエールは、『新教徒は蓄えた富で戦っている』といっていた。そうなのだろう”
“農民層が新教を急速に支持しはじめた。その原因は『ニョーソ』という肥料なのだ、とも言っていたな。なんでも収穫が増えるのだそうだ。そんなものがあれば、なるほど信じたくもなるだろう”
ルイは人文主義的な宮廷で成長していたので、人文主義、ルネサンス、新教などには寛容であった。
加えて聡明だったので、カトリックの教義や儀式については、ちょっと古めかしいと感じていただろう。
それでも、国王として両者をまとめるのが彼の仕事だった。
“さて、どうしたものだか。コンデ公とギーズ公に結婚適齢期の子女はいただろうか”
ルイが思い出そうとする。両家の婚姻で融和をはかろうとしている。
ルイがそんなことを考えていた時、新教徒が立てこもるオルレアンをギーズ公の軍が包囲していた。
包囲といっても、現代戦のような包囲ではない。ギーズ公の軍は一万から一万五千人の規模にすぎない。
それに対してオルレアンの城壁は外周五キロメートル以上もあった。
工兵も、鉄条網も、地雷も無い時代である。
現代のオルレアンには、当時の城壁はほとんど残っていない。そのため、よくわからないが、ギーズ公に出来たのは、以下の三か所の封鎖くらいだろう。
・北門、パリへ続く街道がある。
・西門、王宮のあるブロア城に続く。
・ロワール川の橋、これは新教徒勢力が強い南仏方面につながる。
夜間の密輸、農民の荷車の出入り、小舟でのロワール川輸送、これらは自由に出来たに違いない。
いま、現に目の前のロワール川を上る小舟があった。ギーズ公の兵が誰何し、小舟を岸に呼び寄せる。
「なんでさぁ」小舟を操る男が言った。舟には麻袋が四十ほど積まれている。
「この荷物はオルレアン城内に運ぶのか、中身はなんだ」兵が尋ねる。
「中身ですか、『尿素』って言う最近流行りの肥料でさぁ、城内の農夫が買ってくれる」
「見せてみろ」
「いいですよ」そう言って、一つの袋の端をちぎり、中身を見せた。
「白い粉だな、硝石ではないのか」兵士が色めき立つ。
確かに硝石も白い粉末だった。硫黄、木炭と混ぜると黒色火薬になる。そんなものを城内に持ち込ませるわけにはいかない。
「違いまさぁ。なんなら違うということを、目の前でお見せしましょうか」
「や、やってみろ」




