教皇の使者
ローマ教皇庁の使者がブロア城に到着した。
フランス国王ルイ十二世が、接見のため身支度を整える。その時ドアをノックする音がした。
「なんだ」
「至急お耳にいれたいことがございます」書記官長のフロリモン・ロベールの声だった。
「入れ」
「他聞をはばかる話でございます」
「そうか、では少し待て、わしの私室で聞こう」
「承知いたしました」
「他聞をはばかる話とは、なんだ。ローマ教皇の使者が来ておる。手短にできるか」
「はい。ブレストから至急の駅馬が到着しました。先日マルセイユを出発いたしました三十隻を含むカトリック連合艦隊が全滅しました」フロリモンが言った。
「全滅したとは、また聞き捨てならぬ話だな。海戦でも全滅することがあるのか」
「文字通り、全滅だそうです。一隻も残っておりません。」
「ポルトガル、スペインその他も全て沈んだのか」
「はい、百六十余隻すべてが沈んだそうです」
「死傷者は」
「不思議なことに、ほとんど死傷者が出ていません」
「どんな戦い方だったんだ」
「わかりません。ただ、フランス艦隊旗艦、『ラ・レアール』の艦長が、多少の傷を負っていますが、生存しております。治療を終えたら直ちにこちらに向かうとのことです。そこで詳細な話が聞けるでしょう」
「そうか。で、相手方にも損害があったのか」
「一隻だけだそうです。イングランドの『リージェント』がブルターニュ船の自爆に巻き込まれて沈没しました」
「それだけか」
「はい」
砂浜にたどり着いたガレー船は、片田商店が全て焼却していた。
「わかった。わしはこれから教皇の使者に会う。この接見が終わるまで、このことは他言してはならぬ。接見後にどうするか決めよう」
「承知いたしました」
接見室に向かいながら考えた。
“ガレー船団三十隻を失ったのは惜しいが、付き合いで出したもので、数も知れている”
“カターダ・ショテンの艦隊はそれほど強いのか。艦長の話次第では、敵に回さぬほうがよいかもしれん”。
ついで、教皇使者の事を考えた。
“どのような用向きなのか”
そして
“話題によっては、フランス国内の聖職者の人事権と引き換えに聞き届けてもよい”
などと思った。
聖職者の人事権とはどういうことか。
古代以来、当時に至るまでフランス国内の大司教、司教、僧院長などの任命権はローマ教皇が持っていた。
人事権を握られている、ということは、これら聖職者が教皇の言う事を聞く、ということだ。
歯向かえば、クビになってしまう。
これではフランス国王としては都合が悪い。国内の聖職者には国王の言う事を聞いてもらわねばならぬ。
そこで、人事権を国王が掌握しよう、という考えが生まれる。
以前にも、どこかで書いたが、フランス国王はすでにローマ教皇をあまり尊重していない。『神の物は神に、現世のことは国王に』である。
史実では、フランス国内聖職者の人事権の移譲は、十年後の一五一六年に行われている。これを『ボローニャの政教協約』という。時のフランス国王はフランソワ一世、対するローマ教皇はレオ十世だった。
ルイが接見室に入り玉座に着く。『教皇特使の到来と接見』が宣言される。正面の扉が開き、まず先導する王室侍従や儀礼官が入室した。
さらに、特使の従者、その書記官、二名の司祭が続き、最後に教皇特使本人がやってくる。赤衣赤帽である。枢機卿が特使としてやってきている。
余程の重要案件なのだろう。
特使が玉座の正面にで『三度の礼』を行う。そして教皇の親書を銀盆に乗せて差し出した。
王の侍従が盆を受け取り、書記官が親書を取り、まずはラテン語で読み上げ、ついでフランス語で要約する。
まず、教皇の祝福が述べられ、ついでローマ教会とフランス王国の『長年の友誼』について読み上げられた。
ここまでは型どおりである。
次からが本題だ。
最初に、近年教皇庁の文書館で、『シノン文書』が発見され、テンプル騎士団が実は当時赦免されていたという事実が判明した、彼らは当時から潔白だった、と語られた。
次いで、ポルトガルのキリスト騎士団がテンプル騎士団を継承する、と宣言した。これは宗教界の事だ。ルイは、ああそうか、と思っただけだった。
しかし、ルイの頭上には大きなハテナ・マークが点灯する。
そんなことを言いに、わざわざ特使が来るか?
そこで、それまで淀みなく親書を読んでいた書記官が口ごもる。王が書記官を睨む。書記官が続けた。
「近年、テンプル騎士団に提出されたフランス国王の借用書が数枚発見された。これらの借用書はカノン法に基づき現在も有効である。これは新たにテンプル騎士団を継承するキリスト騎士団の資産であり、フランス国王は返済の義務を有す……」




