浮袋 (うきぶくろ)
同じころ、ガレー船団を攻撃していた片田商店艦隊も同様の救助活動を始めていた。
すべてのガレー船が行動不能、ないしは微速航行しかできなくなっている。戦闘力は、ほぼ全滅と言ってもいいだろう。
魚雷艇母艦や魚雷運搬船の護衛には一隻だけを残し、残りの戦艦、巡洋艦が救助に向かった。
半ば浸水したガレー船の間を縫うようにして簡易救命具の白い帯が延びていく。
乗艦が航行不能だと判断した船の水夫、兵士、士官が武器などの重い装備を外して海中に入り、救命具につかまる。
ジェノヴァや教皇庁の漕ぎ手は自由人なので、彼らも救命具にたどり着く。
数十人が救命具にとりついたな、と見ると魚雷艇が端の金輪にロープを取り付け、岸まで牽引していく。
なぜ助けてくれるのか、彼らには理解できなかった。しかし、今ここで死ぬよりはましだろう。
ブレスト港を囲む南北の岬の内、南側の岬の先端に小さな砂浜がある。そこに連れて行くつもりだった。
地元で『ライオン岩(Le Rocher du Lion)』と呼ばれている岩礁の向こう側にある。
微速航行できるガレー船も、その浜を目指した。
問題だったのは、スペイン、ポルトガル、フランスなどのガレーの漕ぎ手だった。彼らの多くは奴隷で、ガレー船に足鎖で縛り付けられている。
わずかに残された帆や櫂で岸にたどり着けそうな船は、ライオン岩の向こうの岸を目指すことができる。
しかし、推進力をまったく失った船もあった。
片田商店艦隊の兵が帆も舵も失ったガレー船を発見し、士官に報告した。
「多くの漕ぎ手が鎖で縛られています。ガレー船の喫水が下がると、下の段の漕ぎ手が溺れてしまうでしょう」
「なんで、鎖で縛られているんだ」
「さて、なぜでしょう」
これらの国の漕ぎ手が奴隷であることを知らないようだった。
「その鎖、外せるのか」
「無理でしょうね。鍵を持っているはずの士官などは逃げていますから」
「じゃあ、どうするんだ」
「それを聞きたいんでさぁ、どうしましょう」
巡洋艦『加古』でも同じような問答があった。
「なんの言い合いをしているのか」村上雅房が二人を咎める。士官が事情を説明した。雅房が舷縁から身を乗り出して、横づけしているガレー船を見る。
「そういうことか。ちょっと縄梯子を持ってこい。降りてみる」
「艦長、大丈夫ですか。やつら殺気立っていますが」
「仲間が死にかけているんだ。そんな顔にもなるだろう」そう言ってガレー船に降りて行った。
このガレー船は両舷に三段の漕ぎ手座が並んでいた。上と中の段の男達が雅房を睨みつける。一番下の段の男達は体がほとんど水中に没していて、中段にしがみついて、かろうじて顔を水上に出していた。
彼らの多くは、イスラム教徒で、戦闘などで捕虜になった者達だろう。
ベンヤミンやサイラスに教えてもらった片言のヘブライ語を使ってみるが通じない。英語はもちろん通じない。
しかたないので、掌で胸を三回たたく。“俺にまかせろ”というつもりのしぐさだ。
漕ぎ手たちが眉を上げ、まばたきをした。同意なのか?
雅房に伝わらないと見た彼らが、顔を見合わせて、うなずく。
よかろう。
村上雅房がガレー船の構造を調べる。中段や下段の裏側に簡易救命具を入れるだけの広さがあるのを確かめた。
揺れる船内では、すべての物を固定するのが原則だ。板は木釘で固定されていた。
雅房が『加古』の上甲板に向かって叫ぶ。
「裁断機で救命具を一つだけ切って降ろしてくれ。空気は充填」
裁断機とは、まな板の縁に包丁をネジで取り付けたような機械だ。帆布の切断などに使う。
少しして、二メートルの長さの膨らんだ救命具が一つ降りてくる。雅房がそれを掴み、中段の板の下に押し込もうとする。
雅房のやろうとしていることを理解した付近の漕ぎ手が手伝う。三、四人がかりで押し込んだ。
雅房が、『加古』の甲板を指さして、次にガレー船を指さす。それを繰り返した。次々に救命具を落としていく、という意味だ。
そして、最後にガレー船の船首を指さし、紐を結ぶ真似をして、ぐるりと回して『加古』の艦尾を指す。さらにロープを曳くしぐさをする。
牽引していってやろう、という意味だが通じたようだ。漕ぎ手たちの顔に笑顔が戻る。
奴隷達はわずかに残った櫂で、徐々に沈みゆく船を操って浜を目指さなければならないところだった。
おそらく浜にたどり着く頃には下段の漕ぎ手はすべて溺れるに違いない。それを目の前で見ながら、漕がなければならない。
その覚悟をしていた彼らにとって、それはまさに救いだった。
雅房が再度『加古』に向かって叫んだ。
「今と同じものを二十個、降ろしてくれ。それから、このことを無線で他の艦にも知らせるように」




