ブレスト港
カトリック連合艦隊の動向と、片田商店出撃の知らせは、ロンドンにも伝えられた。翌日にはイングランドの機帆船『メアリー・ローズ』と帆船『リージェント』、『ソブリン(一四八八年建造の初代ソブリン)』などがポーツマス港を出航した。片田商店艦隊と合流する予定だ。
イングランド人は、日本人が不思議なテレパシーのような能力を持っているのではないかと思っている。
無線による遠隔地との情報交換をそのように考えているようだ。
オルダニー島では、艦船への積み込みが始まる。水や生鮮食品が積み込まれる。他にも火薬は任務が終われば艦船から降ろしているので、これも積み直さなければならない。
あわただしい二日間が過ぎて、ブレストに向かって出航していった。
ブレスト港は深い湾を持つ港だ。この湾を『ブレスト停泊地』、または『ラド・ド・ブレスト(Rade de Brest)』という。
百八十平方キロメートルもの広さがあり、水深も深い。
同じ広さを正方形で表すと、十三キロメートル四方くらいになる。また、山手線の内側の面積は六十四平方キロメートルだから、その三倍くらいの面積になる。
大西洋への出口は西側のブレスト海峡のみで、この海峡の幅は一.八キロメートルだ。
大西洋側に出た所に、ウェサン島を含むモレーヌ諸島がある。
地形を見ると、恐らく地球が寒冷だった時代に氷河によって形成された何、あるいは侵食谷だったのだろう。温暖化による海面上昇で谷が湾になった。
したがって、艦隊の集結地として適していた。加えてイギリス海峡の、大西洋側の入口に位置するため、重要な港だった。
古くは三世紀に古代ローマ帝国が城塞を築いている。中世にはブルターニュ公国領だったが、公女アンヌ・ド・ブルターニュがフランス国王シャルル八世、次いでルイ十二世と結婚した。
これによりフランスがブルターニュを支配することになり、フランス北部の重要な軍港になる。
そして、早くも一五一二年には、『イタリア戦争』の一部である『カンブレー同盟戦争』、そのまた一部の『サン=マチュー(セイント・マシュー)の海戦』が行われる。
イングランドの戦艦艦隊が、大胆にもブレスト停泊地に侵入して、停泊していたフランス軍艦を次々と攻撃し、撃破あるいは拿捕した。
物語の時点から六年後の史実だ。ヘンリー八世即位後、わずか三年目の海戦だった。
以来、ブレスト沖、あるいはウェサン島沖で、幾つもの海戦が行われる熱い海域となった。
ルイ十四世時代の一六九四年にはイングランドとオランダの連合軍がブレスト停泊地を囲む半島に上陸戦を仕掛け、敗退している。
『アメリカ独立戦争』の時には、一七七八年と一七八一年の二回、この付近でグレートブリテン王国とフランス王国との間で海戦が行われた。
一七〇七年のアン女王の時代にイングランドとスコットランドの議会が『合同法』により統一された。
これ以降、しばらくの間、国家の名前がグレートブリテン王国になる。
『フランス革命』の一七九四年にも両国の間で『栄光の六月一日』海戦が行われる。
降って、第二次世界大戦の時には、ブレストはドイツの支配下になった。
ドイツはここにUボートの基地を建設し、大西洋に出撃させて多数の連合国側輸送船を沈めている。
これを無視できない連合国側はブレストに対する空爆を執拗に繰り返した。
ブレストは、そのような物騒な位置にある。
ウェサン島の北の沖に片田商店艦隊とイングランド海軍が集結した。イングランド艦隊の海軍提督ジョン・デ・ヴァー、オックスフォード伯が旗艦『金剛』の作戦会議に参加する。
「蒸気船とはいえ、わずか二十隻で、どのようにして、百六十隻以上ものガレー船団を相手にしようというのか」オックスフォード伯が言った。
片田商店の軍艦は輸送船等の支援船を除くと二十隻だった。オックスフォード伯の方は『メアリー・ローズ』、『リージェント』を筆頭に、大小二十数隻を連れて来ていた。当然共に主力のガレー船団に当たるものだと思っていた。
ところが、ガレーとの戦闘に参加しなくても良い、そう片田順に言われたのだ。
「はい。たぶん大丈夫だと思います。砲戦や接舷戦を行いません」
「取り逃がす数が多くなりませんかな。半分逃がしただけでも、オルダニー島に上陸されると大損害になりますが」オックスフォード伯が食い下がる。魚雷艇を知らないのだから、無理もない。
「ほとんど沈めることができると思います。わずかに逃がしても輸送船護衛の第三戦隊、及び索敵・哨戒任務の第四戦隊を戦場北部に展開しておきますので、捕捉できるでしょう」
「では、わしらは何をするんじゃ」
「重要なことをお願いしたいのです」
「うむ」
「この数日は、南風が優越するでしょう」
「そうじゃろうな、この季節に南風が吹くと、そうなる」
「そうすると、ブレスト港内のブルターニュの帆船が出撃できます」
「横風だから容易であろう」
「我々がガレー船を相手にしている時に、背後から襲われないように、湾口を封鎖していただきたいのです」そう言って片田が続ける。
「我々の網の目を抜けてブレストに入港しようとするガレーも阻止していただきたい」
「なるほど、そういうことか。よかろう。湾内には分かっているだけでもブルターニュの『マリー・ラ・コルデリエール』、『プティット・ルイーズ』などの大型艦が停泊している。友軍のガレーが危機、ということになれば、かならず出撃してくるであろう」
「そのとおりです」
「よし、そちらの方はわしにまかせろ」オックスフォード伯が言った。
「では、運動が容易になるように、明日までに湾口南側の海域に移動して、そこで待機していてください。明日遅くか、遅くとも明後日にはガレー艦隊がブレスト沖に到着するはずです」
「承知した。武運を祈るぞ(Godspeed.)」
「そちらこそ、御武運を(May fortune favor you.)」
そう言って、二人が別れた。




