小山七郎
「そう、いつまでも名張から兵を借りるわけにはいかないよ」茸丸が言う。シイタケ菌床提供の対価として出兵しているため、名張からは茸丸のところに言ってくる。
「そうだな、やっぱり自前の兵がいるんだろうな」石英丸が言った。
「『じょん』はなんで兵を持とうとしないんだ」鍛冶丸が尋ねる。
「中途半端に兵を持つのは危険だ、と言っていた。兵を持った途端に、周りのすべてが敵になるってね」
「なるほどな、そういう考え方もあるな」
「中途半端じゃなければ、いいのか」
「そんなに急に兵が集まるわけないし、多くなれば将も必要になる」
「そうだな、どうすればいいんだろう」
「あの、七郎さんに相談してみたら、どうだろう」犬丸が言った。
「七郎さん、って誰だ」
「自警団の小山七郎さんか」石英丸が言う。
「そうだよ。俺、あの人、普通の人じゃないと思うんだ」
「普通じゃないって、どういうことよ」
「なんか、うまく言えないんだけど。なにか、あるんだよ」
「犬丸がそう言うんなら、相談してみるか」
「じゃあ、犬丸、呼んで来いよ」
「村長の片田殿の言っておることは、正しい。うかつに兵を持つのはよくない」犬丸に連れてこられた七郎が言った。朝基さんもいる。
「やっぱり、そうなのか」
「まず、この村に人は何名ぐらいおる」七郎が尋ねた。
「今、五万名ほど、います。子供も含めてですが」
「たくさんおるとは思っていたが、それほどおるのか。田の一枚もないのに、たいしたもんじゃの。それならば、そのなかに足軽などを経験したものもおるであろう。屈強そうな男を二百名ほど集めよ」
「集めて、どうするんですか」
「わしのところの、朝基を将として、河内の新田に送る。訓練はむこうにいってからおこなえばよかろう」
「それで、大丈夫なんですか」
「いいか、村長の言っておるとおりなんじゃ。政長派の兵からしてみれば、新田におる者どもは、“餌”に過ぎない。“敵”ではないのじゃ、いまのところはな。なぜなら二百名程度であれば、守るのに精いっぱいで、攻めるための兵とはいえないからのぅ。餌であれば、組織的に攻めてくることはない。飢えたときに狙ってくるだけじゃ」
「なんか、くやしいですね」
「くやしくとも、生き抜ければいいんじゃ。朝基と二百名を送れば、餌ではあるが、食いにくい餌になるということじゃ。食いにくければ、他所にいくだけじゃろ。畠山義就が籠城しているあいだは、河内の新田への手当は、それで十分じゃ」
「それで、長期的にはどうしたらいいでしょう」石英丸が尋ねる。
「兵は、いつでも集めることができるものじゃから、心配せずとも好い。育てなければならぬのは将じゃ。これは一朝に育てることができぬ」
「兵を十人集めて、十人隊とし、十人隊長を置く。十人隊長を志と呼ぶ。十人隊を十組あつめて百人隊とし、百人隊長と伝令を置く。百人隊長を尉と呼ぶ。百人隊を十組あつめて千人隊長と輜重を置く。千人隊長を佐と呼ぶ。千人を一つの軍とする。軍をいくつ持つかは、この村の豊かさしだいじゃ」
「まずは、兵がいなくともよい。各隊長の育成をはじめにゃならん。しかも、これは村の中で、できるであろう。そのようにして密かに幹の者を育て、いざというときには兵を集めて一挙に軍をなすのじゃ」
「お考えは、よくわかりました。『じょん』に、いえ片田の判断を仰ぎたいと思います」
「そうじゃの。そのようにするのが筋じゃ。どうせ村長に文を送るのなら、わしからの助言も書き添えてくれ」
「どのような助言ですか」
「今の河内新田は、けだものの群れの中の羊のようなものじゃ。周囲の百姓を味方につけよ。さすれば、けだものは百姓の海のなかでおぼれるであろう、とな」
「とんでもない者が、片田村にいたもんだな」石英丸の文を見た片田は思った。
「この男が、いままで自警団の団長をやっていたというのか。なにか、いわくのある者だろうな」
しかし、文の様子では、軍を組織することが出来る者のようだった。
片田は、いつ軍を立ち上げるか、ということで、ずっと悩んでいた。よい機会かもしれない。この七郎という者の言う通り、密かに将校だけを育成することはできるだろう。
片田は決意した。
石英丸に向けて、一万人、十軍を目標にして将校を育成せよ、という指示をすることにした。そのために村の中から千人程の将校志望者を募集することになるだろう。
加えて、自分が陸軍士官学校時代に学んだことのなかから、将校団組織化の初歩に必要になるであろうことを、思いつく限り箇条書きにして、文に添えた。教練、陣中勤務、などについて、また、戦術学、築城学、交通学などの初歩である。
次いで、鍛冶丸に対して、春までに多量の硫安を堺に送るように指示することにした。どれくらいいるだろうか。
河内国の石高って、どれくらいだろうか、二十万石くらいだろうか。南半分として、十万石としよう。一石の米を作れる田の面積が一反、すなわち、十アールの面積と言われている。河内南半分は一万ヘクタールくらいの水田があるのだろう。
片田は、硫安の肥料設計を以下のように考えていた。
育成する作物が発芽したときに、一メートル四方あたり、窒素分を二十グラム与えるとしている。硫安は、その五分の一が窒素分であるから、一メートル四方に硫安を百グラム与える、ということだ。一万ヘクタールなら、っと。一万トンの硫安か。
一万ヘクタール、というと、十キロメートル四方か。もちろん、土地がすべて田畑というわけではない。
応神天皇陵の防衛ラインとして、十数キロメートル四方なら、なんとかなるだろう。片田は、鍛冶丸に春までに一万トンの硫安を送れ、と指示した。
これが、けだものを飲み込む海となれるであろうか。




