テンプル騎士団の後継者
「テンプル騎士団の復権が認められれば、これらの借用書は有効になります」キリスト騎士団の騎士、ベレンガーリオ・サウネイロが言った。
「なにをいっているのだ。二百年も前の借用書だぞ、それにテンプル騎士団は消滅している。受け取り側が存在しなければ、ただの紙切れだ」ローマ教皇アレクサンデル六世が否定した。
「ですから、教皇様がテンプル騎士団の赦免の事実を公にして、これを復権させた後に、キリスト騎士団をテンプル騎士団の後継団体とすれば、法人として復活するといいたいのでしょう」レオナルド・ダ・ヴィンチが説明する。
「そのとおりです」これは、ベレンガーリオ。
「ふうむ、仕組みとしてはまちがっておらぬが、しかし、それでも二百年前の借用書だぞ。ふつうは三十年も放置したら、時効になるであろう」と、アレクサンデル。
「それはローマ法による民間取引の時効です。『カノン法』(中世教会法)においては、教会財産に時効は存在しません。何故ならば教会の物は、神の物だからです」レオナルドが指摘する。そして、続けた。
「グラティアヌスの『ディクレトゥム』には、このようにあります。『教会財産は譲渡することができず、また他者による長年の占有があっても、時効によって失われることは無い。なぜなら、聖なる物は譲渡されるべきではなく、時効の対象にもなりえないからである』」
グラティアヌスとは、ヨアネス・グラティアヌスのことで、十二世紀のイタリアの法律家であり、教会法を理論的に体系化したと言われている。
「それは、教会にある宝物とか聖遺物などは、そのとおりじゃが、これはただの借金の証書にすぎない」
「借金の証書であっても、テンプル騎士団の所有物であれば、それは教会法人に属する物です。宗教騎士団は、彼らの『誓願』と教皇による『承認』によって成立するものだからです」
「それは、そうかもしれぬ」と、教皇が言う。
「修道院所持の土地や建物、年金収入[rente]はどうでしょう。時効の対象外です」レオナルドがさらに言う。
「そのとおりだ」
「では、その借用書も有効です。借用書の文面に時効の条文はありません」レオナルドが畳みかける。
レオナルドは教会法にも詳しいのか、と驚くかもしれないが、そんなことはない。彼はこのことについて教皇を説得するために、はるばる日本から、ここローマに来ているのだ。
事前にこの部分について研究していただけだ。
「しかし、債券の譲渡は出来ぬはずだ」
「ですので、キリスト騎士団をテンプル騎士団の後継者としてほしいと」
後継ということであれば、債権も債務も引き継ぐことができる。
「なるほど、後ほど法務部に検討させてみよう。で、この借用書が有効だとして、どうなる」
「フランス王国は新生のテンプル騎士団に債務を負うことになります」
「フランスが黙っていまい」教皇が言う。
「そのために借用書が必要なのです。仮に借用書がなくとも、テンプル騎士団復権ということになれば、フランスはおもしろくないでしょう。反対するに違いありません」
「そうじゃろうな」
「もし新生テンプル騎士団をフランスが承認しないのであれば、利息、もとい、違約金を含めて、耳を揃えて借金を返してもらおうか、と言います」ベレンガーリオが言った。彼には金銭的な要求があるわけではないようだ。
教皇の前で『利息』などという悪魔的言葉を発してはならない。カトリックは原則的に利息を認めていないからだ。
「フランスは承認していないので、払う必要はないというのではないか」
「騎士団復権に必要なのは、フランスの承認ではありません、教皇様の、あなた様の承認だけです」
「なるほど、そういう考えか」そう言って教皇アレクサンデル六世が、う~ん、と唸った。
その時、教皇の頭の中には、パンテオンを上回る壮麗雄大な百五十パーデのドームを持ったサン・ピエトロ大聖堂がちらついていた。
悪魔が教皇に囁いたのだ。
「のう、レオナルド、二百年もの長きにわたり、利息、ちがう、違約金を滞納していたら、いくらぐらいになるのじゃ」
「それは、元金が二万、年の違約金が二千、それが二百年で四十万、合わせて四十二万リーブルになりますな」レオナルドが暗算で答える。単利計算である。
「そうではない、違約金の二千にも、違約金の子供ができるであろう。一三〇七年以降違約金を払っていないのだから」
レオナルドが目を剥いた。複利計算を行え、というのか。どれだけ強欲なんだ。
当時の人間も単利計算、複利計算を知っていた。単利計算は当然知っている、当時の金利計算は単利だったからだ。
複利計算についても、『ピサのレオナルド』、レオナルド・フィボナッチの十三世紀の著書『算盤の書』十二章に紹介されているので、知っている人は知っていた。しかし、計算結果があまりにも巨大になるので、悪魔的であるとして、当時の貸金の利息計算には用いられなかった。
それをやれというのか。
レオナルドが手帳を取り出す。淡路島で『かぞえ』師匠から対数を教えられたあとに、手製の三桁対数表を作っていた。
手帳を見ながら、数回の対数計算を行う。
「三兆八千億リーブルになりますな」あきれたような声で答える。
「三兆とは、どれくらいの金額だ」
「莫大な額になります。仮にフランスの国家予算が二百万リーブルだとすると、フランスを十九億回破産させることになります」
さすがのレオナルドもフランスの歳入までは知らなかった。当時王権を強化しつつあったフランスでは、一五〇六年当時の歳入が四百万リーブルを越えている。
フランスは大国への道を歩み始めている。
今度は教皇の方が目を丸くした。
「なるほど、『利子の利子』が悪魔的であることは、あきらかであるな」バツが悪そうに言い繕った。
悪魔と言う言葉を用いているので、教皇はあえて『利子』という言葉を、ここでは使っている。
「そのことを、そちたち二人に示したかったのじゃ」
ほんとかよ。




