借用書 (しゃくようしょ)
「で、なんだ」司書官を下げさせた教皇アレクサンデル六世が言った。
「レオナルド様は、本当に信頼してもよろしいのでしょうか」ベレンガーリオ・サウネイロが再度尋ねる。
「大丈夫だ。彼らは信用を売りにしている。ミラノのイル・モーロのところで重用されていたのを知っているであろう。要塞の建造まで手伝っておる。口が堅いからだ」
「さようですか、ではお話ししましょう」ベレンガーリオが別の羊皮紙を何枚か取り出した。
「これは、なんだ」
「一枚目のこれは、我らの主の年、一三〇二年にフランス国王がテンプル騎士団に対して発行した借用書です」
「なんだと、そんなものが残っておったのか」そういって教皇が一枚目の羊皮紙を取って、自分の方に向けた」
それは、ラテン語で書かれていて、書き出しは以下のようになっていた。
「In nomine Domini, amen.
Notum sit omnibus praesentibus et futuris ……
主の名において、アーメン。
この文書を見るすべての者に知らせる。
われ、神の恩寵によるフランス王フィリップは、
パリに居住するテンプル騎士団の兄弟たちに
パリ貨リーブル20,000リーブルを負うことを認める。
この金は王国の利益のために借り受けたものであり、
次に来たる『聖レミギウスの祝日』(9月30日)までに
同じ兄弟たちに返済する。
もし定められた期日までに返済しないときは、
定められた額に加え、
その一割、すなわち2,000リーブルを罰金および遅延損害金として支払うことを誓う。
その証として、
本証書にわが圧封蝋を付した。
パリにて、西暦1302年5月25日
自筆署名
証人者列挙」
その下には横線が引かれ、さらに下に斜線がある。追記されないための用心だ。
同じ目的で、文面も行間が詰めて書かれていて、行が追加できないようになっていた。
「一三〇二年と言うと、フランスがフランドルと争っていたころであろうな」教皇が言った。
「はい、五月の十八日にブリュージュでフランスに対する大規模反乱が起きました、それに対してフランス王が戦費を調達したのだと思います」ベレンガーリオが応えた。史上に『ブリュージュの朝課事件』として知られている。ちゃんと宿題はしてきているようだ。
当時フランスは、『フランス・フランドル戦争』の最中だった。
中世の北部ヨーロッパでは、まず内陸の『シャンパーニュの大市』が栄えたが、一二七四年にジェノバのガレー船が北海に進出したのを皮切りに、海沿いの低地フランドル地方が交易の中心地になっていった。
フランドル伯領は、名目上はフランスの領地であったが、半独立国家であった。
フランス国王フィリップ四世は、商売で豊かなフランドルを取り戻そうと企てた。
一二九七年にフランス軍がフランドルに侵攻し、これを力で支配する。
以来、フランドル側には不満が溜まっていた。そこに起きたのが『ブリュージュの朝課事件』だった。
二千人のフランス兵が虐殺されたという。
フランス王フィリップ四世は、フランドルの反乱を受けてアルトワ伯ロベール二世率いる八千の軍を送る。約二千五百の重装の貴族騎兵が中心だった。
この借用書は、その時の軍資金を調達したものだろう。
フランドル側は、ほぼ同数の市民兵で立ち向かう。ほとんどが歩兵だった。この戦いは『金拍車の戦い』と呼ばれている。
フランスが敗北し、貴族騎兵の拍車が五百対以上も戦場に残されたから、この名前がついた。
歩兵が重装騎兵の突撃に勝利した、最も有名な初期の例だと言われている。
「二万リーブルを借りた、とあるがどれくらいの価値がある金額なのか」教皇が尋ねる。リーブルはフランスの貨幣であった。
「リーブルは今のフランスでも使われております。一リーブルはローマでは銀四分の一リブラに相当します」ベレンガーリオが言う。
リブラは重さの単位でローマでは三三九グラムになる。リブラはイタリアの都市ごとに大きく単位が異なる。
一リーブルを銀に換算すると約八十五グラムになるということだ。二万リーブルであれば銀千七百キログラムになる。
新大陸からの大量の銀流入より前のことだ。中世後期の銀と金の交換比が、約十二対一なので金塊百四十キログラムぐらいと思えば、だいたい合っているだろう。
仮に金一グラムを一万円とすると、現代の価値としては十四億円になる。もちろん、物価も、労働対価も、国家の規模も、なにもかも異なるので、参考値にすぎない。
別の見方をしてみよう。フィリップ四世時代の王室の年間歳入は多くても百万リーブルくらいだったと言われている。現代の日本の国家予算が百兆円くらいなので、国家予算規模から比較すると、現代日本の二兆円に相当する使い勝手があるということになる。
二万リーブルの使い勝手は、十四億円から二兆円の間の、どこかだ、というくらいにしか言えない。
教皇が借用書を裏返してみる。四行の裏書があった。
1303.9.30 遅延損害金として2,000リーブルを支払う。
1304.9.30 遅延損害金として2,000リーブルを支払う。
1305.9.30 遅延損害金として2,000リーブルを支払う。
1306.9.30 遅延損害金として2,000リーブルを支払う。
「どうやら、元金を返すことはできず、毎年遅延損害金を払っていたようじゃな」教皇が言う。
「はい、そして一三〇七年には払っていません」
「テンプル騎士団が悲劇に襲われたのは、一三〇七年十月十三日であった」
「想像するに、払いきれなくなったのでしょう。借り入れ日付や金額は異なりますが、同じような借用書が、あと八枚程あります」
「そういうことだろうな」
「で、借用書を見せて、なにが言いたいのだ」教皇がベレンガーリオに尋ねる。
「テンプル騎士団の復権が認められれば、これらの借用書は有効になります」




