シノン羊皮紙
ヴァチカン美術館のなかに『ラファエロの間』という四つの続き部屋がある。このあたりは当時の教皇宮殿の中枢だった。
その一番北側の広い部屋を『コンスタンティヌスの間』と現在は呼んでいる。この部屋が当時の公式な謁見の間だった。
高い位置にある窓から差し込む日差しが、天井画を照らす。
教皇によるポルトガル使節の謁見が行われているところだった。
使節が入室してくる。正面の玉座でアレクサンデル六世が見つめている。
右膝を床に着け、頭を垂れて跪拝する。目を合わせないまま立ち上がり十歩程進む。もう一度跪き、さらに進む。
両側には枢機卿や高位の官職者が並ぶ。教皇に近い程、位が高い。
最後に教皇の足元まで進み、三度目の跪拝を行い、教皇の靴先に刻まれた十字架に接吻を行う。
『三度の跪礼』というものである。
「面をあげよ」教皇が言った。使節はベレンガーリオ・サウネイロだった。かなり良い身形をしている。
胸に金色のネックレスを着け、左胸に、これも金色の星章を着けている。キリスト騎士団の『上級士官』という階級だそうだ。
儀礼的なやりとりが幾つも行われた。その後にベレンガーリオが言う。
「テンプル騎士団の復権の件について、再度お願いにあがりました」
「あの件は終わったのではなかったのか、レンヌ=ル=シャトーで、何も見つけられなかったではないか」
「新たに重要な物が出てまいりました」
「重要な物とは、なにか」教皇が尋ねる。
「機微に触れる件ですので、それについては後ほど」ベレンガーリオが言う。
「そうであるか、では場所を設けよう」
「よしなに」
ベレンガーリオが用意された部屋に入る。中には教皇と白髯豊かな男が座っていた。
「そちらの御方は」ベレンガーリオが尋ねる。
「これか、これはレオナルド・ダ・ヴィンチという。そちも聞いたことがあろう」
「あのレオナルド様ですか、お目にかかれて光栄です。しかし」
「いまは、ローマに滞在しておる。わしの顧問をしてもらっている。技術とか、土木とか、算術とかのな。心配ない、ここでのことを他言することはない」
「さようですか」
「得心がいったか、よろしい。で、なにが出て来た」
「まずは、これでございます」そう言って七枚の紙を取り出す。
「これは」
「一三〇八年八月に教皇クレメンス五世がテンプル騎士団のジャック・ド・モレー以下を、無実であるとして赦免した記録です」
「そのようなものが出て来たのか。どこから出て来た」
「ここの、教皇図書館から出てきました」
「そうなのか」そう言って、教皇が最後の紙を見る。そこには枢機卿ジョルジェ・ダ・コスタとベレンガーリオのサインがあり、ベレンガーリオが筆写したと書かれていた。
そして、その次に筆写が原本と相違ない事を確かめた教皇図書館司書のワックス印が押されている。蔵書番号は『D217』だった。
教皇が内容を読む。
「確かに教皇から派遣された三人の枢機卿が聞き取りを行い、彼らに非がなく、赦免したと書いてあるな」
教皇が壁に下がる紐を引く。控えていた男が入って来た。
「なんの御用でしょう」
「図書館に行き、『D217』の文書を持って来るよう、司書に言え。それとクレメンス五世の署名がある文書もあわせて持ってくるようにともな」
該当文書が図書館の主任司書によって届けられた。文書は一致し、原本にはクレメンス五世の署名と枢機卿三人のワックス印が押されている。
「なるほど、相違はなさそうであるな。そうだったのか、テンプル騎士団は赦免されておったのか」
事件以来約二百年、騎士団に長く着せられた汚名を思い、感慨にふける。
この文書は、史実では二〇〇一年九月に発見されている。発見者はイタリア人の古文書学者、バーバラ・フラーレだった。
『シノン羊皮紙』と呼ばれている。
ヴァチカンでの、この歴史資料の正式名称は、
Bullae de absolutione Templariorum a Pape Clemente V in anno 1308
(教皇クレメンス5世によるテンプル騎士団赦免の勅書(1308))
という。
この文書の発見を受けた現代カトリック教会は、テンプル騎士団に対する異端の疑いは冤罪であることを認めた。
そして同教会は二〇〇七年にテンプル騎士団の裁判資料である『テンプル騎士団弾劾手続き(Processus contra Templarios)』を公開している。
「無実の罪で断罪されてしまった騎士達の事は気の毒だった。しかし、はるか昔のことではないか。いまさら名誉を回復してやっても、どうなるものでもない」教皇アレクサンデル六世がしんみりと言った。
「そんなことはございません。もう一つお目にかけたい文書がございます。が、その文書をお見せするまえに、主任司書殿をお下げください」ベレンガーリオが言った。




