百五十パーデ
バチカン宮殿の一室。教皇アレクサンドル六世とドナト・ブラマンテ、レオナルド・ダ・ヴィンチの三人が話していた。
彼らが囲むテーブルには新聖堂の平面図と幾つもの数字が書かれた紙が広がっている。
図面を見ると、新聖堂は、縦長のラテン十字ではなく、すべての腕が等しい長さのギリシア十字だった。スイス国旗のような十字だ。
彼らの時代のサン・ピエトロ大聖堂は四世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスが建設したものだった。
それから千二百年が経過している。
八〇〇年にはカール大帝が、ここで戴冠式をおこないカロリング朝の皇帝として即位した。
八四六年にはアラブ人によるローマ襲撃にさらされた。ローマの市街は『アウレリアヌス城壁』に守られて無事だったが、サン・ピエトロ大聖堂は城壁の外にあったので略奪に遭った。
レオ四世は翌年教皇に即位し、レオニーノ城壁を周囲に築く。これが現在のヴァチカン市国の境界になっている。
聖堂の建築様式はバシリカ型式という。全体が大文字のTの形であり、交点の部分に主祭壇があった。多くの教会は東を向いているのであるが、サン・ピエトロは例外的に西を向いている。
縦線の部分に身廊が延び、両側に二つの側廊を持つ。屋根は三十メートルもの高さを持つ切妻屋根で、三千人以上の信者を一度に収容できたそうだ。
聖堂の手前にはアトリウムという露天の中庭を持っていた。
現代に残っている似た形式の建物としては、コロッセオの東三百メートルところにあるサン・クレメンテ聖堂が挙げられる。これもバシリカ型式だ。
もちろん、この建物は中世に立てられたもので時代は異なるし、規模も小さいが、切妻屋根の建物の形、前部のアトリウムなどを見ることができる。
「とてもじゃないが、こんな金額は集められぬ」教皇が言う。
「さようですか、残念です」これはブラマンテ。
「これは、中央のドームが大きすぎるのだ。百五十パーデもある。ドームが大きくなるので、身廊の幅も大きい。だから高額になる」レオナルドが言った。パーデは彼らの時代の長さの単位だ。一パーデは〇.二九六メートル、約三十センチだ。
百五十パーデならば、四十四.四メートルになる。
「ドームの直径を百二十パーデにすれば、全体の建設費が半分になるだろう」レオナルドが言った。
「そのとおりなんだが」設計したブラマンテが言って、教皇の方を見る。
「しかしなぁ」教皇が小さな声で言う。
「なんで百五十パーデなんだ」レオナルドがブラマンテに尋ねる。
「それなんだが、実はパンテオンのドームが百四十六パーデだ。あれより大きなものにしたかった」
「そういうことか」レオナルドが頷く。
パンテオンとはローマ市内にある古代ローマ人が建設した建物だ。
すべてのローマの神々を祭る神殿で、『汎神殿』とも言う。
最初のパンテオンは紀元前二五年にアウグストゥスの側近マルクス・アグリッパによって建造された。
このパンテオンは後に焼失している。
二代目のパンテオンは西暦一一八年から約八年かけて建設された。当時のローマ皇帝はハドリアヌス帝だった。ブリタニアの『ハドリアヌスの長城』を築かせた皇帝であり、ヤマザキ・マリの『テルマエ・ロマエ』に登場する皇帝でもある。
五賢帝時代の三番目だ。経済的・文化的に見た時に古代ローマの最盛期の皇帝だったと言えるだろう。
その古代ローマ帝国に張り合おう、パンテオンよりも雄大な聖堂を建設しよう、そう考えたのだろう。
なにしろ、パンテオンは建設して千四百年近く経っている。後世に自分の名を残すことになるに違いない。
現に、ローマのパンテオンの正面には、初代のパンテオン建設者に敬意を表して以下のように刻まれている。
M·AGRIPPA·L·F·COS·TERTIVM·FECIT
M(arcus) Agrippa L(ucii) f(ilius) cos(ul) tertium fecit
(ルキウスの子マルクス・アグリッパが第三回目の執政官任期中にこれを建てた)
もしかしたら、サン・ピエトロ大聖堂の正面入り口の上に、『ホフレ・ランソルの子、ロデリック・デ・ボルハがローマ教皇在位〇○年目にこれを建てた』などと刻むことを夢見ているのかもしれない。
実際に現在のヴァチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂正面ファサードには、以下の文字が刻まれている。
IN·HONOREM·PRINCIPIS·APOSTOLORUM·PAULUS·V·BURGHESIUS·ROMANUS· PONTIFEX·MAXIMUS·ANNO·MDCXII·PONTIFICATUS·VII
(使徒たちの首長(=聖ペトロ)への名誉のために、ローマ生まれでブルゲーゼ家出身パウルス5世ローマ教皇が、在位1612年、教皇職7年目にこれを建立した。)
「ひ、百四十七パーデで、幾らになるか、試算してみてくれないか」教皇が言った。
「一割も減らないと思いますが、承知しました。試算してみましょう」とブラマンテが応える。




