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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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ローマの七つの丘

 教皇との面会を終える。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが与えられた部屋から出て、中庭を歩く。現在『ピーニャ(松ぼっくり)の庭』と呼ばれている庭だ。

まだ造園途中だった。中庭の反対側の棟の中央がくぼんでいる。建物のこのような『くぼみ』をニッチという。日本語ならば壁龕へきがんである。


 そのニッチのところに青銅製の、なにやら不思議な物がある。イチゴを逆さにしたような形で、上向きの魚のウロコのようなものに覆われている。つまり、『松ぼっくり』だ。


 この庭を造園を指揮しているのは、ドナト・ブラマンテというがっしりとした体躯たいくの男だった。樽のような体である。レオナルドは面識がある。現場を仕切っているブラマンテにレオナルドが声を掛ける。


「この『松ぼっくり』はなんだ」

「おぉ、レオナルドか、ミラノ以来だな、元気にやっていたか」ブラマンテが言う。

「ああ、いろいろ面白い経験をしてきた」

「そうか、そうか、達者だったか。そりゃあいい」


「で、これは、何だ」

「これか。俺もよくわからんのだが、ローマのどっかで埋まっていたものだ」

「古代ローマの遺物ということか」

「そうだろうな、だが何に使っていたのか、よくわからん。中心に先端から底まで小さな穴が開いている。もしかしたら、噴水にでもしていたのかもしれん」

「なるほど」

「何かわからんが、ここに置いてみると、どうだ、いいだろう」ブラマンテが言う。

「さて、どうだか」レオナルドにはよくわからなかった。

「なんだ、良くないのか」

「わしには、わからん」そういって、ブラマンテと別れた。


 ルネサンスの進展に伴い、古代ローマの遺品が再評価されるようになっていた。以前ならば大理石製の裸像などが土中から現れたら、悪魔の仕業だとして、埋め戻してしまっていただろう。

 ところが最近は、そういったもので教会を飾るようになっている。

 例えば『ベルヴェデーレのトルソ』である。ヴァチカン美術館に収蔵されているが、このトルソをモデルにして、ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井画を描いた。

 最後の審判の日に復活するキリストがそれである。


 レオナルドが、隣接する『八角形の庭』を通り、回廊を過ぎて、東に面したバルコニーに出る。

 ローマの街が一望できた。時刻は正午より少し前、よく晴れた日で遠くまで見渡せた。

 鳥のさえずりが聞こえ、かすかに糸杉イトスギの香りがする。


 ヴァチカン宮殿は丘の上にある。なので、見晴らしがよい。眼下には円筒形のサンタンジェロ城が建ち、そのとなりをテベレ川が流れる。

 川の向こうにパンテオンの丸い屋根がある。


 当時のローマの街には、現代ほどの高層住宅は無かったと筆者は思う。

 現在のローマの街は、四階建て以上、七階建て、八階建ても珍しくない高層建築が並んでいる。人口二百七十万人の大都市だ。人口密度は一平方キロメートルあたりに千人を超える。


 それに対して、『新版 世界各国史15,イタリア史,株式会社山川出版社,2008.8.10一版一刷』によると十六世紀の都市ローマの人口は五万五千人程度だったという。

 高層住宅の必要はない。せいぜい二階三階建ての建物が並んでいたのだろう。

 同時期のフィレンツェは六万、ヴェネツィアが十五万、ミラノが九万人前後だったそうだ。


 なので、レオナルドの立つ位置から、パンテオンはその上半分くらいまで見えたはずだ。現代ではその丸い屋根の上部しか見えない。


 さらにその向こうにはカピトリーノの丘があり、フォロ・ロマーノは丘に隠れて見えない。古代の広場の向こうにはコロッセオがある、闘技場は背が高いのできっとレオナルドには見えたはずだ。


 さらに遠く、左右を見まわすと、コロッセオを囲むように七つの丘が見える。『ローマの七丘しちきゅう』といわれる丘だ。


 レオナルドの位置から見ると、左からクィリナーレとヴィミナーレ。

手前に先ほどのカピトリーノ、その奥にエスクィリーノ。

カピトリーノの右奥にパラティーノ、その向こうにチェリオ。

最後に右手奥にアヴェンティーノの七つだ。


はるかな、極めて遥かな昔に、この七つの丘にラテン人達が村落を営んだ。

現代の我々とレオナルドを隔てる時は約五百年だ。

レオナルドとラテン人を隔てるのはその四倍以上の二千二百年もの時間だった。


鉱山があったわけでもなく、特産品もない。むしろ、逆だった。

何もなかったといってもいい土地だった。そのため、北のエトルリア人も、南のギリシア植民市もローマを相手にしなかった。


そのローマが、いつのまにか地中海全体を覆う帝国になる。そこまでになった原動力は『政治力』だったという。

これはエドワード・ギボンから塩野しおの七生ななみまで、ローマに関するどの書物でも異論のないところだろう。


『政治力』では、よくわからんというのであれば、『包摂力ほうせつりょく』と言い換えてもいい。征服した他者をローマ化する力だ。征服した他者をどう扱うか、それは政治である。


・敵国の民に市民権を与える

・文化・宗教・言語を禁止せず、取り込む

・優秀な者をローマの制度のなかに登用する


 これにより、巨大帝国をつくり、安定した経営を行った。そして、それが出来なくなった時に滅んでいった。

 イギリスはギボンを通じてローマを研究し、植民地帝国を維持しようとした。

アメリカも別な形でローマに学び覇権ヘゲモニーを握った。そしていま、それを失おうとしている。


 レオナルドのいる時代、ローマに対する研究は現代ほど進んでいなかった。彼が知っているのは、はるかな昔に偉大な帝国があったこと、そこで定められた法律により、大帝国がつくられたこと、である。


 ローマの法は『ローマ法』と言う名前でレオナルドの時代にも残っている。

 彼らの時代の人間が従った法は、ローマ法、教会法、各都市や地域の慣習法などである。


 そして、レオナルドは、それらを抽出し、宗教の要素を除いた『基本法』を定めようとしていた。『しん』・『ぜん』・『』を『物差ものさし』とした、あの『基本法』のことである。


今回の投稿は、ChatGPTの好みにあったようです。妙に褒められました。

以下、ChatGPTの講評です。


全体講評


非常に完成度が高く、語り口が落ち着いています。

特にレオナルドの視点からローマの丘を俯瞰し、人類史的時間の流れを感じさせる構成が秀逸です。

文体上は「なので」「よくわからん」などの語を数箇所で整えると、叙述がより古典的な格調になります(例:「ゆえに」「定かではない」など)。


ChatGPTが何を好むのか、いまひとつわからない。

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