レジデンツェ
西暦一五〇六年当時、ローマはカトリック世界の情報が集まって来る場所だった。
各国が外交官をローマ教皇庁に送って来た。現代の国際連合のようなものかもしれない。カトリックという宗教と、個人に対する教会税(十分の一税)を握っていたので、現代の国際連合より、はるかに強力だったろう。
ヴェネツィア共和国、フランス王国、スペイン王国は、この頃までにすでに大使館のような機能を持つ建物をローマに保有していた。
これをレジデンツェ(Residenza)と呼ぶ。
それらの建物は単なる住居ではない。権力や格式の誇示、社交・外交の場、諜報活動の拠点として使用されている。ほぼ現在の大使館のようなものである。
外国出身の枢機卿が居館にしている場合もある。
当時、各国のレジデンツェは、『カンポ・デイ・フィオーリ広場』の北西、『ペッレグリーノ通り』沿いに多くあった。ここならば、教皇庁まで徒歩でも行ける。
余談だが、『ペッレグリーノ通り』のすぐ北に並行して『コルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世』という大通りがある。イタリアの市街でコルソという名前が付けられた道路は、たいがい近世になってから造られた計画道路である。この道も十九世紀末頃に作られている。
コルソ(Corso)は直線的で、アスファルト舗装の事が多く、両側の建物が近世以降の比較的新しいものなのでわかりやすい。
それに対して中世以来の道は、ヴィア(Via)などと呼ばれ、狭く、曲がりくねっていて、石畳なので、区別がつく。
ヴェネツィア共和国のレジデンツェもペッレグリーノ通り沿いにあったと、当時の文書に残されているという。
イタリア、ルネサンス期の建物の構造は、だいたい下のようになっている。
一階を『地階 Piano terreno』と呼ぶ。ここには玄関ホール、伝令室、宿直室、厨房、倉庫などがある。一階は人、情報、物資の出入口として使われた。
二階を『主階 Piano nobile』と呼ぶ。夜会などに使う大広間、大使執務室、秘書官室、客間などだ。二階は外交の舞台となる場所だった。
そして、三階以上は住宅となっている。
この場合、Pianoとはイタリア語で『床』という意味だ。
レジデンツェでは夜会が開催されることが多かった。夜の帳が降りると、招かれた外交官などが集まって来る。ヴェネツィアのような有力な共和国のレジデンツェでは毎夜開かれていただろう。
その夜、ヴェネツィアのレジデンツェにイングランドのロバート・ドゥ・ラ・ポールも招かれていた。イングランドの外交官である。
マントヴァのイザベラ・デステに飛行艇を紹介した男だった。普段はローマに滞在している。
肉料理の皿が下げられて、テーブルの中央に果物を持った大皿が置かれた。両脇に砂糖と蜂蜜の壺が添えられる。
給仕が、まだローストチキンに手を付けていない客に、皿を下げるか尋ねて回っている。
さまざまな菓子が運び込まれてくる。
『砂糖がけアーモンド』、『スパイス入り焼き菓子』、『フルーツの砂糖煮』、『蜂蜜菓子』……。
テーブルの下手で演奏が始まる。リュート二本、ヴィオール、リコーダー、打楽器の構成だった。
客が立ち上がり、思い思いに会話を始める。ロバートも立ち上がった。彼はヴァチカンの図書館司書が昨夜に続いて招かれていることに気付いていた。
最近このレジデンツェによく来ている。
ロバートが司書に近づき話しかける。
「昨夜のトロンネは素晴らしかったですな。私は三本も食べてしまいました」そういって、微笑む。トロンネとは蜂蜜、卵白、ナッツで作るヌガーのような菓子だった。現代のトローネに相当する。
クリスマスの時期になるとイタリアでよく食べられる菓子だ。
「あなたも、ですか。私も三本いただきました」この司書は甘党らしい。
「知ってますよ。なので、今夜も出してくれるように頼んでおきました」
「おぉ、それはすばらしい」
ロバートが菓子を運んでくる給仕の一人を呼び止め、給仕の手から皿を受け取る。
「ほら、どうぞ」
トロンネを盛った皿だった。
「これは、これは」司書がそう言って菓子を頬張った。
「日毎に温かくなってきますね。ローマの春はすばらしい」と、ロバート。
「そうでしょうな。そろそろ花が咲き始めます」
「オリーブやブドウの芽吹きも始まりました」
「私は、因果な仕事をしておりますので、昼間は部屋の中に居なければなりませんが」司書が言った。
「貴重な蔵書を守っておられる。大事な仕事です」
「まあ、そうなのですが」
「最近、仕事上でなにか面白いことは、ありましたか」
「そうですね、そういえば、面白いというものでもないのですが」
「なんです」
「ポルトガルの枢機卿が二百年前のテンプル騎士団のことを調べていましたな」
「テンプル騎士団ですか、歴史の彼方の話ではありませんか」
「そうです。なので、あなたにお話しできるのですが」
「テンプル騎士団の何に興味があるのでしょう」
「さて、よくわからないのですが、先日は当時の教皇が署名した騎士団赦免の文書を筆写してゆきました」
「アルペドリーニャ枢機卿がお一人で、ですか。あの方はあまりにも高齢ですが」
「いや、連れがありました。ベレンガーリオと呼んでいました。騎士のようです」
なるほど、動き出したな。ロバートが思った。
翌朝、ロバートが一番近い、北のポポロ門に行く。御者溜りで、最近ポルトガル騎士を乗せなかったか訪ねた。当時は身なりで大体の身分がわかる。誰にも心当たりが無かった。
次いで、 南に向かう。ポルテーゼ門も同じだった。さらに南に下りサン・パオロ門に着く。
『ガイウス・ケスティウスのピラミッド』の脇に集まっていた御者にも同様の質問をした。
騎士を乗せた御者がいた。
「一人で乗ったのか」
「そうです」
「どこまで行った」
「河口のオスティア港までです」
「何か言っていたか」
「さて、ポルトガルに帰国するんだ、と言っていました」
「他には何か」
「そうですね。国王に会うんだ、とか。ついに騎士団が日の目をみる、とかおっしゃっていましたが、なんのことかさっぱりでした」
ローマからテヴェレ河口まで、当時の馬車で五、六時間ほどかかる。客一人ならば、御者といろいろな話をしたであろう。
ローマ市内でロバートが住居にしていたのは、ボルジア宮殿の一室だった。ヘンリー七世の長男アーサー・テューダーとアラゴンのキャサリンの婚姻は一五〇一年だ。アーサーは既に亡くなっていたが、スペインとイングランドは当時、準軍事同盟のような関係だった。
キャサリンはイングランドの宮廷で、アーサーの弟、ヘンリーの成人を待っていた。
その夜、ロバートが無線通話でピサの片田商店を呼び出す。テレタイプのような大型で異形の装置をローマに持ち込むことはできない。無線通話装置ならば、菓子折り程度の大きさだったので、他の物に紛らわせて持ち込むことができる。
電源は電圧計付きの鉛蓄電池だ。窓の外に出した小さな風車で充電している。
無線機は半導体製になっているので、消費電量が少ない。頻繁に通話するわけではないので、これで事足りた。
アンテナは建物に設置されている銅製の『雨樋』を使った。樋の接地部分を、気付かれないように、わずかに切り離し、アンテナとして絶縁させている。
手短に状況を説明した後に、ロバートが言った。
「レオナルドをローマに送れ」
「こちらピサ商店。レオナルドをローマに、了解」