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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
603/607

ジョルジェ・ド・コスタ (Jorge da Costa)

 ヴァチカン宮殿の蔵書室入口。

 この蔵書室は宮殿内の教皇私室と礼拝堂の間にあった。蔵書はギリシア語・ラテン語の神学文献、古典の写本、公式勅書ちょくしょや外交書簡。教会がかかわった裁判記録などである。

 当時の蔵書数はおよそ三千五百点ほど、それ以外の文書類については記録が残っていない。現代の地方の公立図書館は数十万点の蔵書を持っている。それに比べれば小さな規模だ。


 ベレンガーリオ・サウネイロが高齢のポルトガル人枢機卿とともに、身体検査を受けている。

 ベレンガーリオとは、オルダニー島にフランス国王の借用書を探しに来た、あのポルトガル人である。


「いつも思うのですが、なぜ身体検査などされるのでしょう」ベレンガーリオが尋ねる。

「それは、なにか偽書を持ち込む者がいるかもしれん。反対に蔵書を持ち出す者もな」極めて高齢の枢機卿が細い声で言った。

 彼の名をジョルジェ・ダ・コスタという。一四〇六年生まれなので、今年でちょうど百歳になる。当時としては極めて高齢だが、まだ立って歩けるほどに元気だった。

 この枢機卿は、一五〇八年に天に召されている。


 身体検査を済ませた二人が、蔵書室内部の司書の所に行く。

「おや、アルペドリーニャ枢機卿殿、本日もテンプル騎士団文書ですか」司書が言う。アルペドリーニャとは彼の生まれ故郷の土地の名だ。

「いや、あれはすでに見終わった。探している物はなかった」

「それは残念でした。では、本日は何をお探しで」

「うむ、西暦一三一〇年頃のフランキアの宗教裁判記録が見たい」フランキアとは当時のラテン語呼称でのフランス王国のことである。


「一三一〇年のフランキアというと、やはりテンプル騎士団ですね」

「そうじゃ、まぎれているかもしれぬ」

「なるほど、それではDの列の棚にいってください。あのあたりが当時の裁判記録などを保管してあるところです」


 二人が指定された棚に行き、文書を探し始める。

 蔵書室は南向きの部屋で、小さな窓が幾つもあった。明るい陽射しが室内に差し込んでいる。壁は白く塗られていて、日光を反射し、読書を助けている。


 ジョルジェが読書机の椅子に腰かけ、ベレンガーリオが書類を探し出す。古い羊皮紙の、少し甘くて土っぽい香りがあたりにふりまかれる。

 わずかな獣臭、カビ、石灰やインクなどの混ざり合った香りだ。


 二時間以上、二人は黙っていた。一人は黙々と文書を取り出し、片端から読む。もう一人は目をつぶって、かたの夢を見る。

 老枢機卿の脳に去来する記憶とはどのようなものか。


 彼はポルトガル中部の、山に囲まれたアルペドリーニャという村で生まれた。父は「ラバ使い」で、十六人の兄弟がいた。

「ラバ使い」とは最近までポルトガルにあった職業で、荷役動物を使って荷物を運ぶ仕事だ。沿岸から内陸に魚を、逆方向に穀物を運ぶのが主な仕事だった。

 出生は貧しかったが、兄弟皆が一様に優秀だったらしい。彼らはリスボン大司教やブラガ大司教になっている。


 幼いころに家を出て南に向かい、テージョ川を下ってサンタレンに出る。そこで豚の世話をして金を稼ぎ、リスボンで生まれて初めて海を見た。

 学生宿の手伝いをしながら自らも、ラテン語、哲学、神学を学ぶ。やがてラテン語を学生達に教えることができるようになり、学業生活が安定する。


 ラテン語学者としての名声が高まると国王アフォンソ五世の目に留まり、パリに留学を命じられた。

 パリ大学から帰って来たジョルジェはアフォンソ王から、妹のカタリナの主任司祭に任命され、王女の教育を担うことになった。

 ジョルジェ三十九歳、カタリナは九歳だった。


 カタリナも優秀だったらしく、道徳と宗教に関する幾つかの著書を残しているという。しかし、惜しむらくは二十六歳で亡くなってしまった。

 彼女が埋葬された修道院に墓廟ぼびょうを建設したのもジョルジェだった。


 ジョルジェは、その後司教、大司教などを務め、一四七六年に枢機卿にまで登り詰める。

一四八一年にアフォンソ五世が亡くなり、ジョアン二世が即位すると、この王とうまくいかず、ローマに亡命した。


 ローマでは、近郊の幾つかの司教区を次々に獲得し、名声と権力を高めた。しかし、教皇になることはなかった。推薦されても辞退していたといわれる。

 当時のローマは荒れていた。紛争に巻き込まれたくなかったのだろう。彼は四回の教皇選出選挙コンクラーベに枢機卿として参加している。


 一四八四年:インノケンティウス八世選出選挙

 一四九二年:アレクサンデル六世

 一五〇三年:ピウス三世

 一五〇三年:ユリウス二世


 だが、彼が誰に投票したのかまでは、わからない。この物語ではアレクサンデルが生存しているので、一五〇三年の二回の選挙は行われていないことになっている。

 アレクサンデル六世は、教皇になったのち、ジョルジェにポルトガル教会全体の統治を委ねたという。




「枢機卿殿、見つけたようですぞ」ベレンガーリオの声がした。


 ジョルジェが我に返る。


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