表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
599/636

オルダニー島の三賢人 1

 オルダニー島の南側の湾に輸送船が入る。湾の左右が岩礁になっていた。東側の岩礁のなかに、船を接岸させるのにちょうど良い水道がある。そこに桟橋が建設されていた。

 水道と外海の間には古い要塞が建っている。


 レオナルドが上陸すると、一人の若者が待っていた。

「レオナルド・ダ・ヴィンチさんかな」若者がトスカナ方言で尋ねる。乗客に西洋人は一人しかいないので、あきらかだった。

「そうじゃ、言葉が上手だな」

「僕はシンガ、一時フィレンツェに暮らしていたんだ」

「ほう、そうか、それは助かる」

「今日は船旅で疲れているでしょう。宿所に案内します。明日の朝、また僕が迎えに来ますので、お二人にお会いください」

「そのあたりの事は、日本にいる時に聞いている。デジデリウス・エラスムスとジロラモ・サヴォナローラのことだな」

「そうです」




 翌朝、シンガが迎えに来る。二人は島の東端に近い小屋を目指す。そこにも要塞の遺跡が建っていた。要塞だらけの島である。その隣に目指す小屋がある。


「ジロラモさん、お早うございます。レオナルドさんを連れてきました」シンガがドアを開けてそう言った。中から二人の男の声がする。


 レオナルドが室内に入り、二人を見る。一人は初老の僧、もうひとりは壮年そうねんの学者だった。


 ジロラモとレオナルドは同じ五十四歳、エラスムスは四十歳である。

 ジロラモとエラスムスはラテン語で自由に会話できるが、レオナルドのラテン語は不十分だった。なので、シンガが通訳兼書記を務める。ジロラモもトスカーナ方言をあやつれたので、それで十分だった。


 三人が挨拶を交わし、レオナルドが本題に入る。

「現在大陸において、いくつもの宗教暴動が起きている。これは聖書をどう理解するか、というところに原因がある」

「そうじゃ、ローマ教会の理解の仕方が正しいはずだった、何百年にもわたって研究されてきた結果なのだから。アンセルムス、トマス・アクィナス、オッカムとな」ジロラモが言う。

「ところが、そうではなくなりました」エラスムスが言う。ジロラモは反論しなかった。


「そうだ、そこでカタダ殿が言うには、聖書とキリスト教に解答を求めても得られない、果てしない教義論争になるだけだろう」レオナルドが言う。


「それは、わしも良く考えてみた。どう考えてもそのとおりだ。論争が止むことはないであろう」これはジロラモ。

「それを認めてくださるのか。ありがたい」レオナルドが応えた。

「それは、私も認めます。事がこうなってしまった以上、聖書に答えを求めてもしかたありません。いくらでも相矛盾あいむじゅんすることが書いてあるのですから」エラスムスも言った。


「人は信仰によって救われるのか、それとも『おこない』によって救われるのか、じゃな」ジロラモが言う。


『ローマの信徒への手紙』には、「人は律法の行いとは別に、信仰によって義とされる」とある。義とされる、というのは救われるということだ。

一方『ヤコブの手紙』には「人が義とされるのは行いによるのであって、信仰だけによるのではない」と書かれていて、信仰だけでは不十分だとしている。


 他にもある。人が救われるのは、人の意思によるのか、それとも神に決められているのか。神の姿は見えるのか、見えないのか、律法は守るべきか、破棄すべきものなのか。神に救われる人数は多いのか、少ないのか。数え上げれば際限がない。

 神が態度を変えることがあるのか、変えないのか、なんてのもある。

『出エジプト記』にはこう書いてある。

「主は、その民に下そうとしたわざわいを思い直された」


 こんなものを基準にしていたら、まとまりようがない。




「宗教よりもっと上位の概念が必要になるだろう、そう彼はいった」

「宗教より上位ですか。そんなものがあるのでしょうか」

「ある、のではなく、作らねば収まらない、そう言っている」

「そういうことですか」

「そこで、ここに来るまでに、わしが頭を絞って考えてみた。間違っていたら指摘してほしい」

「話してみてください」


「もっとも単純なことから始めなければならない」レオナルドが宣言した。彼が『かぞえ』師匠に教えてもらった数学の初歩を思い出す。

「数学は、必要最小限の、明白で、あきらかに否定できない事実から始めるのよ、そしてそこから積み上げるの」そう師匠は言っていた。


「そこで、王も神も宗教も無かった、はるか昔のことを考えてみよう」


「神は人間が存在する前から、すでにおられた」と、ジロラモ。

「もうしわけありませんが、思考の実験ですから、それは少しの間、脇に置いておいてください」レオナルドが頭を下げる。

「『オッカムの剃刀かみそり』ですね。それは、面白いかもしれない、続けてください」これはエラスムス。


「ここに一人の健康な男がいる。彼は生き続けたい。そのためには食物が必要だ。彼は周囲の木の実や魚を採って食べるであろう」

「それで」

「人間は将来を予見する能力があるから、食料はいくら蓄えても十分だということはない。死期を知ることは出来ないからだ」

「そうすると、無限に食料を手に入れようとするでしょうね」


「そうだ、ここにもう一人の男を連れてこよう。初めの男の隣人だ」

「そうすると、やがて二人が戦うことになるでしょうね、両方とも無限の要求を持っているのですから。あるいはたもとを分かって、どちらかが、どこか他所の土地に行くかもしれません」

「そうだ。人間は自己を保存するために、暴力を使う権利がある。これを仮に『自然権』と呼ぶことにしよう」


「人がだんだん増えていくとする」レオナルドが続けた。

「そうすると、他所に行くことはできなくなりますね、いずれは」

「どうなると、思う」

「『万人の万人に対する闘争』になりますね。しかし、それは不毛です。やがては食料を集めるより、それを守ることに忙殺ぼうさつ」されることになるでしょう」


「そうならないために、神の教えがある」ジロラモが言った。

「あの」

「わかっとる、神は脇に置いておく、続けてくれ」


「自己保存を妨げるのは、他人の自然権だ。なので、全員が自然権を誰か唯一の者に預ければいいということになる。預けられた唯一者は、全員の代理として自然権の行使を行う」

「王のことを言っているのか」

「王とは限りませんよね。唯一者といっても、個人でなくともいいでしょう。なんらかの組織かもしれない。古代ギリシアの例もあります」エラスムスが言った。


「この唯一者のみが自然権を行使するのだが、そのためには規範がなければならない。この規範を、これも仮に『正義』と呼ぶことにしよう」

「アリストテレスにおける『正義ユスティティア』のことを言っていますか」

 ユスティティアとは、ラテン語で書くと iustitia のことだ。

「同じになるかどうかは、わからない。これから決めるのだから」レオナルドが言う。


 エラスムスが、『アリストテレスにおける正義』と言っている正義とは、だいたい以下の意味だ。

「正義とは、共同生活における他者に対する完全な徳である」

 徳といっても、よくわからない。公平のことを言っている。アリストテレスは分配的正義と矯正きょうせい的正義があるという。

 財を共同体構成者で分配するときに、各人の功績や資格に応じて分配する。これを分配的正義という。

 共同体構成者の間で、損益の不均衡が発生した時、それを調整して元に戻す。これを矯正的正義という。


 たとえば、

 みんなでピザを分けるときに、功績や貢献度に応じて分けるのが分配的正義。

 誰かが他人のピザを1枚余計に取ったら、取ったピザを返して平等に戻せと命じるのが矯正的正義。

 ということになる。


 万人がそれぞれ食物を奪い合えば、『万人に対する闘争』となる。なので、唯一者が、公正に(正義をもって)分配すればよいのではないか、という考え方である。

 そして、構成者は、唯一者の正義の行使を受け入れる。これならば、皆が安心して暮らしていける。


 レオナルドは、そう言っている。トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ