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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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魚雷艇母艦 (ぎょらいてい ぼかん)

 一五〇五年の冬、片田順は日本に帰っていた。ポルトガルとの本格的な戦争が始まる。その準備だった。


 片田商店という一企業とポルトガルという国家の間で戦争を行うとは不思議だが、過去に例が無かったわけではない。

 一七五七年インドのベンガル地方で行われた『プラッシーの戦い』がそれにあたる。

 一方はイギリス東インド会社であり、他方はムガル帝国のベンガル太守たいしゅである。ベンガル太守の側にはフランス東インド会社が参加している。

 この戦いはイギリス側の勝利に終わり、以後イギリスによるベンガル地方の支配が強まる。

 以降のイギリスによるインド支配の基礎となった戦いであった。




 片田は、自身がオルダニー島に出発する以前から以下の方針を示していた。


「近い将来、大西洋か地中海において、西洋式ガレー船百から百五十隻の船団と海戦をおこない、勝利する」


 百から百五十隻としたのは、『レパントの海戦』を参考にしている。ポルトガル、スペイン、フランス、教皇領などが全力を挙げて海戦に臨むとしたら、それぐらいの軍艦を揃えてくるだろう。


 それに対して、片田商店がはるばる大西洋まで運べる軍艦は、主力艦が二十から三十隻、輸送船や石炭船などの補助艦がそれに加えてせいぜい五十隻くらいだろうと考えていた。


 主力艦の数でみるならば三十対百で三分の一、二十対百五十だと七分の一か八分の一にすぎない。圧倒的に劣勢なことは明らかだ。乱戦になったら、まず負けるだろう。


劣勢でも海戦に勝利するための方法が魚雷戦だった。


全長六十メートル、排水量二千トンの『金剛』と同等の艦船を建造する。ただし艦載砲は載せない。砲がないので火薬も砲弾も搭載しない。

 代わりに搭載するのは六メートルの魚雷艇だ。これを一艦あたり二十艘搭載する。


 魚雷艇は外洋を航行できるようにアウトリガーを備えている。また左右に四本の魚雷を載せる魚雷架台も持っている。これらの幅をとる部分は舶載時には折りたためるように作られた。

 魚雷艇は母艦の艦尾扉から海面に降ろされ、魚雷運搬船から魚雷の供給を受ける。そして、三十ノットの高速で敵艦に接近し、距離二百メートル程で魚雷を発射する。

 発射された魚雷は手動の無線誘導で敵艦を目指し、衝突して爆破、敵艦を破壊する。


 魚雷艇母艦一隻で、同時に二十艘の魚雷艇を戦場に出すことが出来る。一艘には四本の魚雷が装填されるので、魚雷数は八十本だ。

 母艦が二隻あれば、百五十隻のガレー船団に対抗できる。


 魚雷運搬船は一隻当たり二百本の魚雷を搭載できるように作られているので、魚雷艇は魚雷を再装填することもできる。


 このような魚雷艇母艦を二隻、可能ならば三隻建造し、戦場に持っていくことが出来れば、数で不利な戦闘であっても勝利することができるはずだ。

 片田商店の戦術構想はこのようなものだった。




 魚雷艇母艦は艦載砲を持たないので無防備だった。そこで母艦護衛のために戦艦二隻と巡洋艦二隻を随伴ずいはんさせ、これを一つの戦隊とする。

 この戦隊を二組用意して百隻を超えるであろうガレー戦隊群と対峙たいじしようというのである。


 言うは易し、行うはかたし、であろう。例えば海戦が一回で決着する可能性は低い。最低でも二回の戦闘があるかもしれない。

 そうすると、魚雷運搬船は四隻用意する必要がある。遠い日本からすぐに運ぶわけにはいかない。

 ならば、八百本の魚雷を戦場に持ち込まなければならない。魚雷は複雑な兵器である。例えば、弾頭には火薬、雷管、弾体容器が必要だ。火薬は木炭、硝石、硫黄からなる。

 雷管を作るには、塩化ナトリウム、アンモニア、酢酸、鉛が必要だった。弾体容器は鉄で出来ている。

 同様に無線受信機も半導体や銅線、電池などから構成されている。


 これらを、片田順が想定する海戦日までに、海戦予定場所に運ばなければならない。


 この問題における数式は、石英丸や鍛冶丸があらかじめ立ててあり、プログラムも組まれていた。魚雷、魚雷艇に、艦船を操縦する人間のための食料や水、その他の消耗品、艦船の燃料、あらゆるものについて、それらを作るには何がどれほど必要で、製造にどれくらいの時間がかかるのか、すでに数式があり、プログラムもあった。


 コンピュータは弾道計算もできるが、それよりも真価しんかを発揮したのは兵站へいたんにおいてであった。


 彼らの計算機はメモリわずか三十二キロワードだったが、紙テープにデータを蓄える簡易DBデータベースプログラムが出来ていたので、大量のデータを扱える。

磁気テープのように再書き込みができないので、紙テープは一度使用したら使い捨てになる。大量の紙テープが必要だったが、それでも同じように動作する。

『かぞえ』と『ならべ』による、傑作といってもよいほど優れたプログラムだった。


 史実では、初期のデータベースシステムは、その後リレーショナル・データベースというものに発展する。リレーショナル・データベースが兵站で本格的に注目されたのは、おそらく湾岸戦争(一九九〇~九一年)からだろう。ベトナム戦争のときには、まだIBMのパンチカードシステムなどが使われていたと思われる。その後、コソボ紛争(一九九九年)、アフガニスタン戦争(二〇〇一年)、イラク戦争(二〇〇三~二〇一一年)などでは、米軍の兵站管理システムに高度なリレーショナル・データベース管理システムが使用されている。



 片田が帰国する船上でも、ポルトガルやスペインの造船所が活発に動いていることが報告されていた。フランスのマルセイユ、イタリアのヴェネツィア、ジェノバも活況だという。


 ヴァスコ・ダ・ガマは巧妙だった。彼の『ジブラルタル沖海戦』の際、スペイン、フランスなどの観戦武官を彼の船に載せていた。

 そして、片田商店はキリスト教国全体に対する脅威なのだと強調した。


 商売敵しょうばいがたきのポルトガルにガレー船を売るとは、ヴェネツィアの商魂しょうこんもあなどれない。


 なので、近い将来に片田商店とポルトガルなどのキリスト教国連合が大海戦をすることは、ほぼ間違いない。


では戦闘が行われるとしたら、いつか。

 片田が、戦闘予定時期を決めた。


「地中海のジェルバ島を襲うのであれば、来年の五月から九月。イギリス海峡のオルダニー島が戦場になるのであれば、六月から八月に彼らがやって来る。

 彼らがジェルバ島を占領しても、あまり意味はない。おそらくオルダニー島だろう。来年五月末までに、全装備をオルダニー島に運ぶ」

 これは、それまでの航海で蓄積された、それぞれの地方の風や波、視界や天候、補給の容易さなどから判断したものだった。


 そして、半年後にすべてをオルダニー島にそろえるように、電子計算機が無数の逆算を始める。


 来年五月末にオルダニー島に八百本の魚雷を到着させる。そこから始める。

 そのためには、何本の魚雷をいつまでに作って、輸送船で送るか。

いつまでにどれだけの木炭、硝石、硫黄が必要か。

いつまでにどれだけの塩化ナトリウム、アンモニア、酢酸、鉛が必要か、などである。


 また、連続的に複数の工程になるものもある。そのようなものは順番に計算しなければならないし、場合によっては一時保管のための倉庫も必要だ。


 最後に、当然のことだが、いつかこの時がくることはわかっていた。なので、半導体など保存のきく物については備蓄がある。このような物は生産しなくてよいので、製造計画から除いておかなければならない。

 船には燃料や水、食料が必要だ。

 水や生鮮食料など、保存の効かないものについては、出港予定の何日前に用意しなければならないか、決まっていた。


 それらすべてが、彼らの計算機によって計算されていった。


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― 新着の感想 ―
技術力がバグったこの世界どこまで行くんだろう。 普通の帆船時代なら魚雷艇という発想は魚雷の存在以前に出て来そうにない、この世界観ならではなんだろう。 それにしても魚雷の大量配備ってその後のフラグなんだ…
甲標的母艦ですな 回天母艦になりませんように…
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