工作船『明石』
『りびあ丸』の機関室が冷えたので、甲板長が降りて行った。機関長を含め、生存者はいなかった。
「こりゃあ、ひでぇ。みんな茹でられている」持ち込んだ電灯の線を引きずりながら、機関室の床を見回す。高温の水蒸気にやられた機関士が何人も横たわっていた。
電灯の向きを上にして、ボイラーの様子を見る。
「あれだ、どう思う」
「ボイラーが大きく裂けていますね。あれはもう使えないでしょう」非番で生き残った機関士が言った。
「交換が必要、ということか」
「そうです」
「地中海のこんなところで、代わりのボイラーが手に入るわけはない」
「工作船『明石』ならば、なんとかしてくれるかもしれません」機関士が言った。
「ボイラー交換も出来るのか」
「そのように聞いています」
「すごい船だな」
無線室に上がって来た甲板長が『衣笠』艦長の村上雅房に状況を説明した。
船長と航海長は、重度の火傷で、爆発からしばらくして亡くなっていた。いま、機関長の死亡も確認された。
序列に従って甲板長が臨時で船長代行を行っている。
それが、村上雅房により、正式に船長代行に任命される。それと同時に工作船『明石』のジェルバ島派遣も決まった。
八ノットでジェルバ島に向けて航行する船団の後を追い、『青葉』に護衛されてジェルバ島に向かうことになる。
翌日、『りびあ丸』の上甲板で水葬式が行われた。船長代行の甲板長が一夜漬けで覚えた念仏を唱え、手を合わせる。生き残った士官や船員達もそれに従う。
まず、帆布に包まれた船長の遺骸が舷側に置かれた板に載せられる。板が傾けられ、遺骸が海中に没した。次は航海長、機関長、当直だった機関員が続く。
この時代、船上で死んだ者の遺骸を残しておくことはできなかったので、速やかに水葬に付された。
そして以前『船長は船上では王である』と書いたが、また僧侶の役も担わなければならなかった。
ジェルバ島に到着した船団は、食料や水を補給し、持ってきた商品の一部を売却する。そうしているうちに、巡洋艦『青葉』と工作船『明石』が到着した。ジェルバ島の湾に『りびあ丸』と『明石』が並んで停船している。『青葉』は湾口付近で哨戒を始める。
『衣笠』と商船四隻はピサ、そしてヴェネツィア沖などでの交易に行くために出港していった。
「どうだ、直せそうか」『りびあ丸』の機関室に立つ甲板長が、『明石』の技師に尋ねる。
「これは、直すというより、交換だな」
「交換できるのか、代わりのボイラーを持っているのか」
「ボイラー部品から組み立てることになるが、持っていると言っていいだろう」
「しかし、こんな船尾船底にどうやってボイラーを入れる」
「船尾の下甲板から中央部の上甲板まで、一旦剥がすことになる」
「そんなことが出来るのか」
「出来るとも、船体もシャフトも異常はない。『明石』には大小三台の電動デリックがある。甲板を順番に外していき、壊れたボイラーも吊り上げて取り除く。その間に『明石』の甲板上で新しいボイラーを組み立てておくので、それを入れればいい。甲板は元の通りにしてやる。注意しなければならないのは、ボイラー組み立ての際のリベット打ちだが、うちには熟練工がいる」
「そんなことして、船が脆くならないのか」
「大丈夫だ。劣化した甲板があったら新品に交換しておくから、修理前より丈夫になるだろう」
「何週間くらいかかるんだ」
「なに、六日もあれば出来るだろう」
そして、そのとおりになった。
二日目の作業が終わった時には、三層の甲板が取り除かれて、機関室がむき出しになった。
四日目には破損したボイラーが、『明石』で組み立てられた新品のボイラーと交換され、各部のパイプなどが繋ぎ直された。
そして、六日目の夕方までには、三層の甲板が元通りに戻されていた。
その仕事ぶりの鮮やかさに、甲板長は自分の目を疑うばかりだった。そして、試運転をおこなうと、以前と同じように蒸気が上がった。
なお、デリックとは起重機のことである。人手に余る重い物を持ち上げて移動する機械のことだ。現在ではクレーンという言い方が一般的になっている。
もともとのデリックという言葉は、昔の帆船などが檣などを利用して、ロープと滑車を組み合わせた簡易式起重機の事を言った。
『電動デリック』とは台座を持ち、電気で回転する本格的な旋回式起重機ということだ。ここまでの設備であれば、通常はクレーンと呼ぶが、太平洋戦争当時の日本海軍艦船では、伝統的に艦上の起重機の事を『デリック』と呼んでいた。
太平洋戦争当時に実在した工作船『明石』に備えられていた五台の起重機はいずれも電動式であったので『クレーン』と呼ぶべきものであったが、当時は伝統的呼び名として『電動デリック』と呼ばれていた。
史実の『明石』は一九四二年八月以降、トラック泊地において、戦艦から小型船舶までの修理に大活躍した。そのため一時はアメリカ海軍から『最重要攻撃目標』としてマークされていたという。




