菖蒲湯 (しょうぶゆ)
安宅丸が片田順の執務室で報告をしている。
オルダニー島南部のロンジー湾に侵入を試みたポルトガル船への対処についての報告だ。結局、安宅丸の『金剛』が左舷斉射の威嚇射撃を行った後、ポルトガル船隊は西南西に針路を変更していったので、そのまましばらく追跡しただけで見逃していた。
「ということです。今回はおとなしく去って行きました、威力偵察のつもりでしょう」
「そうだろうな」片田が答える。
「最後に今後についてですが、ポルトガルがこの湾に目を付けたということは、対処が必要になるでしょう。私として湾の出口西側の岬に海岸砲台を設置するか、もしくはこの岬と東側のラズ島との間に閉塞用の鉄鎖を設けるのがいいと考えます」安宅丸が締めくくった。
「わかった、検討してみよう」片田が答える。
「ところで、一つ希望があります」安宅丸が続ける
「ん、なんだ」
「艦隊司令の職を辞したいと思います」
「そうか。そうだろうな。理解する」
安宅丸はウツロギ峠の戦闘で、大きな心的外傷を負ったらしい。その直後に艦隊司令を辞職した。そして、片田の遺留で南方交易船の船長となっていた。シンガプラ近海でマラッカの海賊退治に参加したことはあるが、それ以外には、ここまで戦闘らしい戦闘を行っていない。
海軍経験者ということで、片田商店がインド洋や大西洋に進出するにあたり、自然と司令官の位置に戻っていた。
今日までは、敵対する相手がいなかったので、それでもよかった。
しかし、ポルトガルが現れた。彼らは発砲してきた。いずれ大規模な戦闘に発展するかもしれない。安宅丸はそれに自分が耐えられるとは思えなかった。
「わかっている。戦は酷いものだ。もう二度と経験したくないだろう。辞職を許す」片田が言った。
「ありがとうございます」
「で、どうするつもりだ」
「まだ、決めていませんが。そうですね、クニヨンに戻り菊丸と香木の取引でも再開しようかと思います」
「そうか、それもいいだろう。しかし、せっかく英語を話せるようになっているし、ヘンリー国王とも親しい。ここに残ってイングランドとの橋渡しを続けてはどうだろう」
片田はまだ安宅丸を手放したくないようだ。オルダニーかロンドンに残って駐イングランド大使のようなことをやらないかと言っている。
「そうですね、考えておきます」そういって安宅丸が部屋を出て行った。
残った片田順が考える。戦は酷いものだ。
室町時代にやってくる直前のことを思い出す。
ラエでの敗戦、名も無い川岸での戦闘。自身もオーストラリア兵に対して迫撃砲弾を打ちまくった。何人かのオーストラリア人兵士を殺したかもしれない。彼らには家族がいただろう。それを考えると、後悔に心が疼く。このことからは、死ぬまで逃れることができそうもない。自分の業になっている。
時々、夜中に悪夢を見て叫び声をあげる。当時の事を思い出すのだ。
有馬大佐の頭が、名前を知らない少佐の頭が、敵の狙撃兵により吹き飛んだ。そして平井兵長があおむけに倒れてこと切れた。敵も我々を殺した。戦争だからだ。しかし、あのオーストラリア人狙撃兵が生き残っていたら、おなじように業に苦しんでいるだろう。
そして、安宅丸も同じなのだろう。ひどい業を持たせてしまった。その責任を自覚する。
それでもやらねばならぬことがあった。
“そういえば、いまは五月だったな”片田が思う。安宅丸が片田村を出て堺にやって来る前日、村に出来たばかりの公衆浴場、『桜湯』で菖蒲湯に入ったということを、なつかしそうに言っていたことを思い出す。
“オルダニーの共同浴場で菖蒲湯をやろう”
イングランドにも菖蒲はある。もともとは中央アジアからシベリア周辺が原産地とされ、古代にギリシア・ローマ人によってヨーロッパへ薬草として伝わった。
見た目が似ているアヤメのことをフラッグと呼ぶので、『よい香りのするフラッグ(アヤメに似た草)』という意味合いだろう。
入浴剤として使用することも知っていた。
なお、似ているとはいえ、アヤメ(アイリス)は入浴剤には使用できない。葉にサポニンが多く含まれているので、アレルギーなどをおこすことがあるそうだ。
“菖蒲湯か、あの『桜湯』以来だな”と、安宅丸が思う。薄暗い電球に照らされたオルダニー島の共同浴場だ。
“もう四十年以上前の事だ。あの頃は、船の模型を作る事しか考えていなかった”
“そういえば、桜湯のこと、『じょん』に話したことがあったな”
あの頃に戻りたい、などと安宅丸は思わない。あれ以降の経験をもう一度することなど、考えただけでも嫌だった。しかし片田が何をしようとしているのか、それを彼は知っている。
インドからの通信を見るだけで、ポルトガル人達がこれからどのようなことをしでかすか、想像するのは容易だ。
“もう少し、『じょん』の手伝いをするか”
安宅丸はイングランドに残ることを決めた。




