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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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 レオナルド・ダ・ヴィンチが日本に来て、『かぞえ』のところで飛行について学んでいる。


『かぞえ』は飛行について、基礎的な数学から始め、航空力学までを教えようとしている。関連することに関しても、尋ねれば教えてくれ、電子計算機なるものの使い方まで指導してくれた。

 しかし、教えることを拒否されることも多かった。


 例えば、ガソリン。ギンマルが『燃える水』と呼んでいた燃料のことだ。この製法については、教えることを断られた、ガソリンを使用するエンジンについてもだ。

 それでは、せっかく航空力学を学んでも宝の持ち腐れではないか、と抗議したが無駄だった。

 また、尿素にょうそなる肥料の製法についても教えることを断られた。尿素はすでにヨーロッパ全域で知られるようになった肥料だった。ムギでもブドウでもオリーブでも、尿素一に草木灰そうもくばい五を混ぜてやるとよく育つ。

 まあ、無理もない。例えばレオナルドのイタリアでも、ヴェネツィアは『クリスタッロ』というガラスの製法を門外不出にしている。なんでも、かんでも、教えろというのは無理だ。


 ガソリンや尿素以外にも、この国には目新しい物がたくさんある。一番面白いと思ったのは、竹だった。


 この、草なのか、木なのか良く分からないものには驚かされた。なにしろ、中が中空になっているからだ。

 パセリやムギは、中が中空になっている。レオナルドはそれを観察して知っていた。しかし、いずれも小さい植物だ。

 人間の身長の何倍にもなる木のような植物の中が中空だなどということは、自分の目で見るまでは信じられない。

 しかも、木とは異なり、しなやかでかなり曲げても折れることはない。


 この国の人間は建築の足場に使っている。それだけではない、樽のたがとしても使用していた。レオナルドはこれに驚く。

 この時期、ヨーロッパで樽の箍といえば、小さな樽はヤナギやハシバミを使う。しかし数百リットルもの容量のワイン樽やビール樽などには鉄製の箍を使用していた。

 同じ程度の容量の樽に対して、日本人は竹箍を使用している。それで問題なく使えているらしい。日本酒樽や醤油樽などだ。

 強靭きょうじんな材料といえる。

 他にも、この国の人間は、ありとあらゆるものに竹を使用していた。


 薄くいで、ざるかごを編む。柄杓ひしゃくや花入れ、水筒などにもする。

 矢の胴体、矢柄やがらの材料も竹だった。中空なので笛のような楽器にもなる。よほど便利な素材なのだろう。


“葉の形からして、パセリではなく、ムギの仲間なのかもしれん”レオナルドが思った。

 葉脈が平行に走っている。


 中世ヨーロッパの植物学は、『薬草学』が中心で、医療用途の記述が多かった。それに対してレオナルドは薬効よりも形態や機能に注目して植物を観察した。当時としては画期的なことだ。




 今は夏だが、この年の春レオナルドも福良の住民も驚くことがおきた。港に近い竹林に花が咲いたのだ。そして、そのあと、竹林が丸ごと枯れてしまった。


「これは、どういうことだ。一山まるまる枯れてしまったぞ」レオナルドが言った。

「竹林って、そういうものだそうよ」『かぞえ』が答える。

「冬でもないのに、全部が一度に枯れるのか」

「私もよく知らないけど、竹林って、数十年に一度一斉に花が咲いて枯れてしまうのだそうよ」

「不思議なものだな。ところでこれは木なのか、草なのか」

「さあ、どっちでしょう。知らないわ」

「ここに、ほれ、種を拾ってきたのだが」

「あら、これが竹の種なの。イネみたいね」

「そうじゃろ。もし、そうだとしたら竹は草かもしれんな」

「その種、どうするの」

「竹は便利なものだが、私の国にはない。帰国したら植えてみる」

「種が出来るっていう事は、まあ、植えれば芽が出てくるかもしれないわね。でも、私たちは竹を増やすとき、地中の茎少し切り取って、他所に埋めて増やすわ」

「それでも生えてくるのか」

「ええ、だから、種もいいけど、増やしたいなら、地下の茎も持っていくといいわ」

「なるほど。では、帰国が決まったら、わけてもらうことにしよう」

「私が頼んであげるから、大丈夫でしょう」




 竹の利用で、レオナルドが感心したものが、もう一つある。『竹とんぼ』だ。

 細長い竹片の左右を斜めに削る。ただし、左右の傾きは逆方向にしてある。中心に穴を開け、軸をとりつける。軸を両手に挟み、こすりあわせるように回転させると、竹トンボが空に飛んでいく。


 彼は二十年程前、『空気の螺旋らせん』というスケッチを描いたことがある。ヘリコプターのことである。

 空気も実体であるならば、それをネジのような螺旋によって、下に押し下げることにより、空を飛ぶことができるのではないか、と考えた。

 もちろん、ネジを高速回転させる動力があれば、の話なので思考実験に留まっている。


 しかし、この『竹とんぼ』は、確かに飛翔する。村はずれの広場で子供達が集まり、それぞれ『竹とんぼ』を空に放っていた。


 大人の背丈の数倍の高さまで飛んでいくではないか。

 もし、動力が、エンジンがありさえすれば、『空気の螺旋ヴィーテ・アエレア』も空を飛ぶことができるのだ。


 現代のヘリコプターである。



 図書館から「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」を借りて来たので、その一節を紹介します。

「自然の中には理法(自然法則のこと)なき結果は何ひとつ存在しない。理法を理解せよ、そうすればおまえの経験は必要でない」

(CA.147 v.a)


CA.とはミラノ、アムブロジアーナ図書館蔵という意味だそうです。


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