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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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ルネサンス温泉

 福良ふくら港を囲む山裾やますそには、いくつかの温泉がわき出していた。


 よい


 レオナルド・ダ・ヴィンチがそのような温泉の一つで体を温めている。一日数時間とはいえ『かぞえ』師匠の猛烈講義に耐えるのは、相当そうとうこたえる。

 単なる知識を教授されているのではない。

 座標系、ベクトル、行列などの、それなりの体系を持つ『概念がいねん』が、ポンポン投げつけられるからだ。

 これでは、レオナルドといえども、たまったものではない。


 レオナルドは、中世末期のイタリア半島の人間だ。彼らは、おそらく入浴という習慣がなかったと考えられている。

 古代ローマ人が入浴を好んだことは有名だ。しかし、その習慣は西ローマ帝国の滅亡とともに失われたらしい。

 彼らの時代には、体の表面を湯や水に浸した布でくことにより、清潔を保っていたそうだ。湯舟を使えたのは、富裕層だけだったろう。


 ところが、ここ日本では、可能ならば頻繁に入浴する。

『可能ならば』というのは、近くに温泉があったり、銭湯のような入浴施設があれば、ということだ。

 また、暑い季節には、川や海に入ることもあるらしい。


 誰でもが入れる公衆浴場になっていて、人前で全裸になって入浴する。しかも男女混浴であった。


 ルネサンスである。


 松明たいまつに照らされた温泉にかりながら、レオナルドは、そう思った。

 ルネサンス時代に、何故あれほど裸体画や裸体像が造られたのか。

 筆者は西洋美術史を習ったことはない。しかし、中世キリスト教的倫理観、例えば人前で肌をさらすな、といったようなことからの解放だったのだそうだ。


 ローマの町をちょっと掘れば、古代ローマ時代の裸体像が、いくらでも出て来る。『いくらでも出る』というのは、おおげさか。潮干狩しおひがりじゃないんだから。時々出てくる。

 そこに、中世キリスト教的美学とは異なる美しさを彼らが発見した、というわけだ。


 サヴォナローラが、裸体画を目のかたきにしたのは、あたりまえだった。


 レオナルドはルネサンス人だったが、さすがにそこまで『解放』されてはいなかったようだ。彼が描いた裸体画というと、『ウィトルウィウス的人体図』と『レダと白鳥』の素描画そびょうがくらいしか思い出せない。彼の描く絵は、ほぼ着衣である。


 ところが、ここ日本では、どうだ。男も女も裸になってひとつの湯に入っている。さすがに女性は手拭てぬぐいで体を隠し、奥の暗い方に下がっていく。

 どうも、羞恥心しゅうちしんが無いわけではなさそうだが、キリスト教世界におけるような宗教的増幅は無い。


 当時どこでも混浴だったかどうか、それは知らない。

少なくともここ福良ではだれもが、裸で入浴施設に入って来て、洗い場で泉から流れてくる水をおけに汲み、たらいに入れる。そして、糸瓜へちまと呼んでいる植物の繊維のようなものに石鹸せっけんを塗って、体を洗う。海綿スポンジのようなものだ。

 そして、体を清めたら、温泉の湯に入ってくる。


 日本はいいところだ、とレオナルドが思う。そして、彼の頭は別のことを考え始めた。


『温泉』である。地中から熱い水が泉のように湧いてくる。これは、地中に熱い部分があることを意味している。

 イタリアにも火山がある。なので、地中から溶岩ようがんが出てくること、温泉のような熱い水が出てくることをレオナルドは知っていて、彼の手稿にも書いている。


 ヨーロッパでは、古来地球内部に常に燃え続ける火がある、と考えられてきた。

 恐らく、それが『業火ごうか地獄インフェルヌム』という連想になったのだろう。

 このような考え方は、古代に生まれ、中世キリスト教会に受け継がれている。しかし、彼らはその業火の原因については考えてこなかった。


 レオナルドは異なる。なぜ、地中が熱いのか、彼は考えた。考えるにあたっては、超自然的なものを前提に置かない。かれは、ルネサンス人だったからだ。

 神も地獄も前提にしない。彼が見て、知ることが出来る範囲のことに原因を求めた。


 そして、太陽のエネルギーが地中に浸み込んで、あの高熱の元になる、と推測した。


 間違ってはいるが、彼らしい考え方だ。そして筆者はそれを気に入っている。これは彼の手稿の中に書かれているそうだ。ChatGPTさんが言っていた。今回は裏をとっていない。

 今調べたら、岩波文庫から『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上下巻が出ているらしい。こんど図書館から借りて読んでおくことにする。


「あ、レオ達磨ダルマのおっちゃんだ」子供の声がした。下を向き、湯煙ゆけむりを見つめながら考えていたレオナルドが、そちらの方を見る。

 三人の男の子が竹製の水鉄砲を手にして、こちらに駆けてくる。

「走るんじゃねぇ」大人に怒鳴られる。


 先日レオナルドが竹を切り、節に穴を開けてやった子供達だ。小さすぎて、道具を使うことを許されていなかった。水鉄砲の残りの部分の工作は、彼らが器用にやった。

「おっちゃんも温泉に入るようになったのか」そういって水鉄砲を背後の岩に向けて発射する。

「ああ、最近は慣れて来た」

「そうか、気持ちいいだろ」

「そうだな」


 恰幅かっぷくが良く、目がギョロリとしていて、長い髯を伸ばしている。その姿が禅寺の書院に吊るされた掛軸かけじくの達磨を連想したのだろう。

 達磨と言われたレオナルドは、近所の寺に行って『達磨』なるものの絵を見せてもらった。


「こんなに、禿はげとりゃあせんがのぅ」


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― 新着の感想 ―
>わたしは西洋美術史を習ったことはない。 この一人称のわたしって誰なんだろう? 作者なのか片田なのかダ・ヴィンチなのか…… ダ・ヴィンチは除外出来そうだけど確定できない
いつも楽しく拝見しています。今回の話は、 物語とは直接関係のない作者様の感想や解説が挟まるため、 展開が途切れてしまう印象を受けました。 作者様の独白部分は後書きなどにまとめていただけると、 より物語…
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