覚慶の最期
とびの村から急ぎの使者が来た。慈観寺の好胤さんからだった。
「覚慶が生入定をしようとしている、止めてくれ」という知らせだった。
「いきにゅうじょう、ってなんだ」片田が使者に尋ねる。
「さあ、わかりません」
「そうか、では好胤さんのところに行かなければならないな」
取り急ぎ、とびの村に行くことにした。
「好胤さん」
「おぉ、順か、よく来てくれた。覚慶が大変なんじゃ」
「覚慶さんが生入定、ってどういうことですか」
「それなんじゃ、説明するのが難しい。要は死のうとしているということじゃ」
「自殺ですか」
「そうじゃ。飢え死にしようとしておるんじゃ。地面に穴を掘って、そのなかに閉じこもっている」
「そんな」
「わしらの教義にはないのじゃが、真言を奉じる者たちの中に、食を絶って、餓死をすることにより、生きながら仏になる、というものがある。それを生入定というのじゃ」
「どうしてまた、そんなことを考えたのでしょう」
「それは、わからぬ。だが、法華寺の施餓鬼所の始末が終わって薬泉寺に帰ってきたときには、ずいぶんとしょげていた」
「それで、生きるのに疲れた、とか、罪深いことをした、とか言っておった」
「罪深いって、施餓鬼をしておられたんでしょう。反対ではないですか」
「その通りじゃ、様子がおかしいので、薬泉寺の寺男に異変があったら知らせろ、と言っておいたのだが、そうしたら、この有様じゃ」
「もっと早くに気づかなかったんですか」
「寺男に暇をだしていたそうじゃ。そうしておいて、真言の僧を呼びよせ、仕えさせていたという。寺男が気になって様子を見に戻ったところ、土中に埋められるところだったので、あわててわしのところに知らせに来たんだそうじゃ」
二人が薬泉寺を訪ねたのは夕刻であり、すでにあたりは薄暗くなっていた。
本堂の裏手の寂しいところに結界が張られており、四人の真言宗の僧侶が読経していた。
「あの、もし」好胤が年長の僧に声をかける。
「なんでしょう」
「この下に覚慶がおるのでしょうか」恐る恐る尋ねる。
「いかにも、めでたきことでございます」
「覚慶は、生きておりますか」
「はい、あのように」そう言って僧たちが読経を中断する。
結界の中央に建てられた竹筒、それは覚慶が息をするために立てられたものなのだが、そこからかすかに鈴の音がする。
「話しかけてもよろしいでしょうか」好胤が言う。
「ご存じなのですか」
「はい、若い頃から、旧知の仲です」
「さようですか、では、我々は一時退きましょう」そう言って、僧たちが宿坊に下がっていった。
「覚慶さんや」好胤が声をかける。鈴が震えたような音がする。
「覚慶さん」片田が言った。鈴の音が止まる。
「……順もおるのか」筒から覚慶の声が聞こえる。
「はい、おります」
「わしが送った者達は役に立ったか」
「はい、みんな生きて、人の役に立っています。彼らはシイタケをつくり、この国に米をもたらしました。河内で運河を作り、堺と大和の間を舟で行き来できるようにしています。運河は、河内半国の広い範囲の田に水をもたらすでしょう。みんな、役に立っています」
「そうか、それほどか。よい冥途のみやげじゃ」
「覚慶さん、生きて彼らの仕事を見てやってください」
「そうしたいものだが、無駄じゃ。いまわしの体からは脂肪も筋肉もほとんど抜けてしまった。こうなった者は、これから生き残ろうとしても駄目なのじゃ、飢え死んだものを無数に見ているから、よくわかる」
「なぜ、死のうなどとお考えになったのです」
「生きるのがつらくなったのだ。飢え死んだ者達のすがるような目が忘れられぬ」
「覚慶さんのせいではありません。覚慶さんは助けようとしました」
「助けようともしたが、選別もした」
片田は、胸が轟くような気がした。
「私のせいだったのですね。私が助けるものを選べといったから」
「おまえは、多くの人を助けたのじゃ。全部を助けられないのはあたりまえだ」
覚慶さんの鈴がチリンと鳴った。笑っているようだった。
「わしは、自分を見損なっていたのかもしれん」
「自分は才が立ち、理のある人間だと思っていた。生かす人間、見殺しにする人間を選別するなど、造作もないことだとな」
「しかし、わしにも慈悲心の欠片があったんじゃ。思ってもみなかったことじゃが、日を追うごとにつらくなってきた。死を待つだけの者たちが、わしのことをすがるように見つめるのがな。彼らは、わしが一言、村に行け、といえば助かったのだ。人間の生き死にを選別するなぞ、人のおこなうことではない」
「わしは、彼らに見つめられながら、こう考えるようになった」
「わしも、すぐ追いかけていくから許してくれ、とな」
「だから順、死ぬことを許しておくれ、わしは生きているのがつらくてしかたないのじゃ」
僧たちが帰ってきた。好胤が彼らに尋ねる。
「何日くらい持つものでしょうか」
「あそこまで精進なさっておりますので、あと、一日か二日でしょう」
好胤と片田はそれから、二日、覚慶の鈴の音を聞き続けた。間隔が長くなり、やがて止まった。
覚慶は掘り出したりするなと遺言していた。成仏したら筒を抜き、跡形もないようにせよと僧たちに言いつけていた。好胤がどこからか、石を抱えてきて筒のあったところに置き、墓の代わりにした。




