十字軍旗(パンデイラ・ド・クルザード)
一五〇四年の年末が近づいた。リスボンの、テージョ川沿い、現在はコメルシオ広場になっている場所に、建造途中のリベイラ宮殿があった。
一四九八年からポルトガル王マヌエル一世が建造を開始し、インド航路よりもたらされた胡椒などの利益で豪壮華麗な建造物となっている。
一五〇二年には王室一家が住めるほど建設が進んでいたが、完成は一五一〇年とされている。
マヌエル一世の二人目の妻、『アラゴンのマリア』が第三子の出産を控えていた。そこにローマ教皇アレクサンデル六世の使者がやってきた。
なお、史実ではアレクサンデル六世は前年にマラリアで死亡している。このとき息子のチェーザレ・ボルジアもマラリアで重篤となり、このことが禍して、権力の座から転落している。
しかし、この物語では、アレクサンデルも、息子のチェーザレ・ボルジアも健在ということになっている。
なぜか。
それは、シンガの何気ない一言にある。
シンガが初めてフィレンツェに旅したときの船上で、人文主義者のアゴスティーノにマラリア治療薬の話をしている。『アルノ川の船旅』回である。
ヤコブが操り、アルノ川の遡る船の上で、シンガとアゴスティーノ・ニフォはマラリアの治療薬について話していた。
「えっ、マラリアに治療薬があるのかぃ」アゴスティーノが驚く。
「最近みつかったんだけど、ヨモギ液の薬があるんだ」シンガがアルテミシニンの話をした。
「このあたりでも、水辺に住む人々はマラリアで苦しむことがある。その薬があれば、助かるだろう」
「そうか、こっちには薬がないのか。じゃあ、次の船便で持って来るように言っておくよ」
ということで、ヤコブ商店が『マラリア特効薬』を販売したところ、フィレンツェでよく売れた。それでアレクサンデルもチェザーレも助かっている。
まだ、アレクサンデルに死なれては困るのだ。
時のポルトガル人枢機卿はジョルジュ・ダ・コスタという。ただ、この方は当時たいへん高齢であった。一四〇六年頃の生まれというから、百歳近くになっている。当然、ローマからポルトガルまで旅することはできないので、代理を送って来た。
「マムルークのスルタンが、ローマ教皇に宛てて、苦情の書簡を送ってまいりましたそうです」使者がマヌエル王に言った。
「苦情とはなんだ」
「最近、ポルトガルの船がアラビア海に達し、乱暴狼藉を働いているのは、けしからん。とのことです」
「乱暴狼藉とは、ひどい物言いだな。キリスト者として、正当なことをしているまでだ」
「スルタンが所有する豪華客船を乗員乗客もろとも沈没させたといっておりますが」
「もちろんだ、乗客はイスラム教徒だからな」
「では、ヒンドゥー教徒の港であるカレクトを無差別に砲撃したというのは」
「イスラム教徒との商売をやめろ、といっているのにやめないからだ」
「しかし、女子供もまとめて砲撃とは、いかがなものでしょうか」
「我々は、イスラムに聖戦を行っているのだ。イスラムに利する者は容赦しない」
「イスラム、ヒンドゥー教徒に関わらず、商船を襲っているとも聞いていますが」
「それらの商船が運ぶ商品は、アレクサンドリアで法外な値段で、キリスト教徒に売却されるのだから、その息の根を止めるのは当然だ」
「略奪した商品を元手にインド交易をしているとも聞いていますが」
「人聞きの悪い事をいうな。聖戦の結果たまたま手に入れた戦利品だ」
「マムルークのスルタンは、こう申しております。『これ以上ポルトガルの狼藉が続くのであれば、わが領土内にある聖地エルサレムの神殿と、シナイ山の修道院を破壊し、キリスト教徒巡礼者の入国を禁止する』だそうです」
「なにを、戯けたことを。それを実行する前に、地中海と紅海、二つの海から十字軍を聖地に攻め上らせるまでのことだ」
「さようですか。しかし、マムルークの王は、このようなものを教皇に送りつけてまいったのですが、心当たりはございませんでしょうか」ローマの使者がそういって三枚の大型の布を取り出した。
「これは、なんだ」
「見覚えはございませんか」
出て来た布は、旗だった。白地に赤十字が描かれている。十字の中心には白い盾があり、その中に、やはり十字型に五つの盾が置かれている。ポルトガル王家の紋章だった。これは当時のポルトガル国王旗である。
現在のポルトガル国旗の原型となったもので、現在の国旗の中央に描かれているのが白い盾だ。
次の布も旗だった。白と赤に金の縁取りがある。これはキリスト騎士団旗。
「これは、どういうことだ」マヌエル王が尋ねる。
「最後の旗をご覧になれば、何が起きたか、おわかりになると思います」
最後の旗は、やはり白地に赤の十字だった。端のところに金糸でローマ数字のVIと縫い取られている。
マヌエル王が、七カ月ほど前のアルベルガリア艦隊の出航の時の雄姿を思い出す。あの時、旗艦中央の主檣に翻っていたのが、国王旗だった。そして前檣にVIの刺繍を施した十字軍旗、後檣に騎士団旗がはためいていた。VIとは第六次艦隊を意味していた。すなわち、アルベルガリアの艦隊の十字軍旗だった。
「これは、アルベルガリア艦隊の旗なのか」
「どうも、そのようです」
「なぜ、イスラム教徒どもの手に渡った」
「それは、わかりかねますが、どうやら艦隊の帰還は期待できないのではないかと」
「カタダ国艦隊であろうな」マヌエル王が言った。
ヒンドゥー教徒のカレクト王、ザモリンがローマ教皇に訴え出る、などということを思いつくとは考えられない。
この訴えは、おそらくカレクトのヴェネツィア人技師が考え出したのだろう。




