TSS (タイム・シェアリング・システム)
驚異的なことだが、PDP-8には、タイム・シェアリング・システムというプログラムが搭載されていた。Time Sharing System つまり、時分割処理は、コンピュータを複数のユーザーまたはタスクが、疑似的に同時に使用するための技術だ。
人間が端末(例えばテレタイプ)の前に座ってコマンドを打ったり、プログラミングしているときに、コンピュータが待機している時間の方が長い。
高価なコンピュータを、一人の人間だけが使っていたら、ほとんどの時間が無駄になってしまう。
そこで、複数の端末をつなげて、同時に使わせようという発想が出て来た。
全ての処理が端末からの入力と、その結果表示だけならば、それほど難しくないだろう。しかし、同時に大量の計算処理も入ってくると、困難に直面する。その計算処理が終わるまで、誰もコンピュータを使えなくなってしまうからだ。
そこで、単純な応答処理も大規模な計算処理も、それぞれ一定の時間間隔毎に切り替えて処理するというアイデアが生まれた。
そんな軽業のようなことができるのか。当時の人々はそう思ったかもしれない。
しかし、やってみたら、出来てしまった。一九六一年十一月のマサチューセッツ工科大学でのことだった。
数年後にはPDP-8にもTSSが搭載された。TSS/8という。これは一万二千ワードもあった。-(ダッシュ)と/(スラッシュ)は、何が違うのかと疑問に思うかもしれないが、筆者もそれは知らない。
とりあえず、最優先の数表を幾つか作り終えた後、『ふう』と『ならべ』の二人は、この紙テープ作成に取り組んだ。紙テープを作成するだけならば、コンピュータから切り離されたテレタイプ端末があれば、単独でもできる。
彼女らがTSS/8実装を行っている間、石英丸や茸丸達が入れ替わりに来ては、彼らのデータを処理していった。
鍛冶丸はインドに行っている。もうすぐ帰ってくるはずだった。魚雷艇の実戦投入に関するデータや、戦艦の運用実績データなどを持って帰って来る。
これらには、食料品や各種兵器の消耗、損耗のデータ、艤装品の交換頻度などが含まれている。
艦船の運用に必要な消耗品備品の準備に使われる重要なデータだった。
『ならべ』が紙テープの穴を直接読み取って、声に出す。『ふう』が物差しをあてたPDPのマニュアルの該当箇所を見て、「よし」と言った。その連続だった。
読み手と、マニュアル確認担当を交代する。
『ふう』は紙テープを直接読み取るという芸当ができない。なので、連帳紙にテープのダンプリストを印字して、それを読み上げる。『ならべ』がマニュアルで、それを確認した。
やっと一万二千ワードの確認を終える。
TSS/8 の紙テープを読み込ませた。二台並んだテレタイプのそれぞれに『ふう』と『ならべ』が座る。
「じゃあ、私が長時間のジョブを流すから、『ならべ』が同時にコマンドを打ってみて」『ふう』が言う。PDP-8のマニュアルを読み込んでいるので、コンピュータ用語に慣れてしまっている。
『ふう』が1+1を千回実行するFOCALプログラムを作成した。実行回数のみ、テレタイプで印字させて、実行状況がわかるようにする。
「行くわよ」そういって、リターンキーを押した。テレタイプが連続音をたてて、1から数字を打ち始める。
『ならべ』が、自分の端末で、
.R FOCAL
と打って、リターンする。『*』が帰って来た。
「やっぱり、気持ち遅いかもしれない。でも動くことは動くわ」
『かぞえ』も簡単なプログラムを組み、実行させる。問題なく動いた。『ふう』のプログラムが連帳紙を打つ音が、ときどき不規則になる。
「だいじょうぶみたいね。ちゃんと計算したわ」『ならべ』が言う。
「すごいわね。二つの違うことを同時におこなえるのか」『ふう』が感心する。
「このプログラムを作った人、誰だか知らないけれど、すごい人ね」『ならべ』も言った。
「マニュアルには、最大十六台の端末が接続できる、と書いてあるけど、それには三十二キロワード以上が推奨されるとあるけど」
「いまは十二キロだから、石英丸にもっとフリップ・フロップを作ってもらわなければならないわね」
PDP-8の一ワードは十二ビットだったから、二十四万個のフリップ・フロップを作ることになる。
実際には八個のフリップ・フロップを一つのパッケージに収めた半導体集積素子だった。それでも三万個必要になる。
石英丸の半導体工房が二十四時間体制でメモリを作り始める。
TSSが使えるようになり、それが無料で開放された。テレタイプ装置さえあれば、地球上のどこからでも、堺の電子計算機が使えるようになったという事だ。
淡路島からも、イングランドのオルダニー島からも使える。
テレタイプには初めから専用の無線通信機が搭載されていたからだ。
「今日は、計算機が遅いようだな」石英丸が言った。
「そうですか」そういいながら、『ならべ』がコンソール用テレタイプからコマンドを打つ。コンソールとは、計算機を管理する端末の事だ。古い初代テレタイプを充てていた。
ジョブの一覧が表示される。十六のジョブが表示された。
「なによ、これ」
先頭のジョブは、このコンソールだ。端末番号0番だった。
石英丸の端末も番号で確認できる。それ以外はジョブ名が似ていた。
KAZOE01からKAZOE14までのジョブが並んでいた。
「これ、淡路島のかあさんね」『ならべ』が呆れる。『かぞえ』の申請した空力計算が、ことごとく却下されたので、テレタイプを買い集めて、淡路島から実行しているのだろう。
FOCALは、自力で習得したみたいだ。
『ならべ』が十四個のジョブの優先度を最低に下げた。
「これで、どうでしょう」
「うん、大丈夫だ。反応が速くなった」
『ならべ』が無線で淡路島の母を呼び出す。そして、計算するなとは言わないが、せめて一度に一つのジョブにしてほしい、そうでないと他の人が使えない。そして優先度を最低にする方法を教えた。
母の空力計算は大量の計算処理を行う。通常の優先順位で実行されては、とてもではないが、たまらない。
計算を続けたいのであれば、他の人に迷惑をかけずにやることだ。




