数表 (すうひょう)
『ふう』と『ならべ』が紙テープの読み合わせを終える。まずOSに相当するモニターの紙テープを読ませる。軽快な音をたてて、あっという間に読み込んだ。あっけないほどだ。
そして、テレタイプが『.』と印字する。これをプロンプトという。命令を受け入れる準備が出来ている、という意味だ。
次いで、FOCALというプログラミング言語を読み込ませる。『ならべ』が紙テープを差し替えて、パチンと音をたてて、テープ・ガードを閉じる。
『ふう』が下のようにタイプして、リターンキーを押す。先頭のピリオドは、モニターが印字したプロンプトだ。
.R R
先頭のR はRun の略で、『実行せよ』という意味だ。二番目のRはReaderの略で、紙テープリーダーを意味する。
つまり、紙テープリーダーからプログラムを読み込め、という命令だ。これも素早く読み込まれた。
.R FOCAL
とすると、プロンプトが『*』に変わる。
*
「やった、FOCAL が起動した」二人が、声をあわせて叫ぶ。
「少し、試してみようか」『ふう』がそういって、動作確認のプログラムを打ち込んだ。
01.10 FOR T=1.0, 1.0, 5.0; DO 2.0
01.20 QUIT
02.10 LET X = 2.0 * T
02.20 TYPE “T=”, T, “ , 2T=”, X !
最後の『! 』は、改行せよ、という意味だ。これをいれないと、プログラム最後の行の後ろに、計算結果が印字されてしまう。
「間違っていないかしら」『ふう』が言った。
「大丈夫そうですね」と、『ならべ』
「じゃあ、いくわよ」
*G
と、タイプしてリターンキーを押す。Goの略だ。とたんにテレタイプがガチャガチャ鳴る。
T= 1.0 , 2T= 2.0
T= 2.0 , 2T= 4.0
T= 3.0 , 2T= 6.0
T= 4.0 , 2T= 8.0
T= 5.0 , 2T= 10.0
そして、止まった。
「おぉ、計算できていますね」『ならべ』が、うっとりとした様子で言った。
「そうね、すごいことだわ」『ふう』も言う。
この瞬間、二人は全能感に満たされていた。――この機械があれば、何だってできる。
その昔、今から四十年前の一九八〇年代。当時のパソコン少年達が、MSX規格のパソコンを手に入れた時、同じように思った。
電子計算機が手に入った。やらなければならないことは、無数にあったが、まず最優先は常用対数表の作成だった。対数表があれば、掛け算、割り算を足し算、引き算に変換して処理できる。
log(A×B) = log(A)+log(B) , log(A÷B)= log(A) – log(B)
と言う関係があるからだ。
例えば 123×456 という計算を考える。これは筆算でもできるが、対数表があれば、以下のように簡単な足し算にすることができる。
1.log(123)とlog(456)を対数表で探す。それぞれ 2.0899 と 2.65896 になる。
2.二つを足す。 4.7489 になる
3.逆対数表 で 4.7489 にあたるところを見る。56088だ。これは 123 × 456 に等しい。たしかに、三桁の掛け算をするより簡単だ。
天文学、航海、工学、測量、軍事などあらゆる部分で計算が必要だった。概算だったら計算尺が使えたが、もうすこし精度の高い計算を行う場合には、常用対数表が必要だった。
なので、コンピュータの使い道の筆頭は、この対数表の作成だった。
史上、対数表を発明したのはスコットランドのジョン・ネイピア(1550~1617)である。彼は二十年を費やして、七桁の対数表を作成した。フランスの十九世紀の学者、ラプラスは「対数は天文学者の寿命を二倍にした」と称賛している。
ラプラスはラプラシアンという演算子で有名な数学者、物理学者、天文学者だ。
対数表は、日本でも丸善が出版していた。しかし、関数電卓やパソコンの普及で歴史的使命を終えている。
常用対数表の次は、三角関数表だった。世界中を航海する船舶が急増している。位置天文計算の需要があった。片田が未来から持ってきた理科年表の付録に一度単位、五桁の簡易三角関数表がついていたが、もっと精度の高い物が必要だ。
さらに、正規分布表をはじめとした、統計数値表も優先度が高かった。
誰でもがコンピュータを使えるわけではないので、まずこれらの数表の整備がなされることになる。
次に優先されるのは、これから始まるであろう海戦のための兵站計画と生産計画だった。
そのあとにも、鍛冶丸や石英丸が、計算機の完成を前提とした諸実験データの解析が待っている。
例えば、鍛冶丸は、さまざまな温度、気圧、気温条件下で大砲を発射し、その到達距離を測っている。これらから異なる気象条件での空気抵抗を求めようとしている。
石英丸も、茸丸も、じきに計算機が出来るだろう、と期待して実験や観察データを貯めこんでいた。
半分道楽のような計算需要もある。『かぞえ』が考え出した飛行機の空力計算が無数にあった。




