終生、この日を忘れないだろう
十月三日になった。この日の朝、風は凪いでいた。東に向かう航海の季節が終わりかけている。空気は熱く淀み、もう十日も雨が降っていない。
この日も、朝からポルトガルの軍艦からボートが降ろされる。しかし、いままでと違い、ボートの兵はメリ号の甲板に上がって行かない。
「どうするつもりなのでしょう」フィレンツェ商船の書記官トメ・ロペスが傍らの商人に言った。
「メリ号から奪える物が無くなったようだ。金銀も、宝石も、商品も、そして恐らく武器もことごとく奪ったのだろう」
「では、彼等は何をしているのですか」
「普通であれば、船の檣や舵を壊し、航海できないようにしておいて、陸まで牽引してゆく」
「身代金ですか」
「そうだ。あれだけ豪華な船であれば裕福な商人や高位の貴族が、多数乗っているだろう。巨額の身代金を請求できるはずだ」
ボートが漕艇してメリ号を船団から離れたところに移動させた。ついでポルトガル兵がメリ号の甲板に上がる。
銃と弓で威嚇している。イスラム教徒の乗客が甲板の下に降りていくのが見えた。
乗員乗客が甲板上にいなくなると、ポルトガル兵が樽からなにかの液体を甲板に撒いた。
「何をするんでしょう」と、トメ・ロペス。
「さあ、なんだか、さっぱりわからんな」
「あ、火を点けた。あれ、油ですよ」
「あいつら、何やってんだ」フィレンツェ商人が驚く。とても考えられないことだ。
ヴァスコ・ダ・ガマの船団に参加していた商人達が、みな驚愕した。この船団にはヨーロッパの多くの国々から参加した商人が乗っていた。
彼等はインドへの直接航海で、一攫千金を夢見て参加してきていた。
イングランド人、フランス人、オランダ人、イタリアの諸都市の商人だった。なんと、ヴェネツィアの商人もいた。
洋上での火災は致命的だった。なので、船では、常に厳格に火の管理がなされている。
「イスラム教徒の乗員乗客、皆殺しにするつもりだ」フィレンツェ商人が言った。
「これは、ひどい」
「なぜ、あんなことを」
商人達には、提督の意図が理解できない。
十分火が回ったと判断したのか、メリ号の甲板からポルトガル兵が退去し、ボートに移る。それを見たメリ号の人々が、手に布や布団を抱えて甲板に出て来て、消火を始める。
ポルトガル人のボートからは、メリ号甲板の様子を見ることができない。しかし、どうやら鎮火に成功したらしい。もう一度接近してみると、はるかに高いメリ号の甲板から石を投げつけてくる。
どうやら、バラストの石を運び上げているようだ。
イスラム教徒達が、ポルトガルの意図を理解した。一人も助けようとしていない、人質をとる気もない。皆殺しにするつもりだ。
それならば、捨て身で戦うしか道は残されていなかった。
“まずい仕事だ。ボートによる再度の放火は、ああなっては無理だ”ヴァスコが判断する。彼は旗艦サン・ジェロニモ号の艦尾楼に立って様子を見ていた。
五番艦サン・ラファエル号のディオゴ・フェルナンデス・コヘイア艦長に向け、『接近せよ』と旗旒信号を上げる。
サン・ラファエル号がボートに牽引されて、ヴァスコの声が届くところまで寄って来た。
「貴艦の艦尾楼を、あの客船の横腹にあてて、楼から火矢と小銃弾を浴びせかけよ」
サン・ラファエル号の艦尾楼ならば、メリ号の上甲板に届く。同艦が命令を受領して、メリ号に向かって行った。
次いでヴァスコが自艦の艦長を呼び出す。
「ボートを二隻出し、あの客船の舵を爆破してこい。やつらがサン・ラファエルに気を取られている間にやるんだ」
ボートに牽引されて、サン・ラファエルが艦尾からメリ号に近づく。メリ号からの投石がボートに集中する。たまらずに、ボートが後ろに下がり、後ろ向きに進むサン・ラファエルの船首を押した。
火矢がメリ号に降り注ぐ。消火しようとする男達が小銃弾に倒された。ありあわせの板が舷側に並べられ、盾になった。
薄い板が銃弾で割れて、背後にいた男が倒れる。
この当時のポルトガル艦は舷側砲を多数並べる、という武装をしていない。砲は上甲板に舷側砲が数台、あとは艦首と艦尾甲板にそれぞれ数台あるだけだ。
艦尾には長射程と短射程の砲が四門あった。それ以外にはハンドガンという擲弾砲のようなものもあった。この当時のハンドガンは現在の拳銃とは異なる。舷縁などに取り付け、火薬の力で径数センチメートルの石を発射するものだ。
艦尾砲が、ほぼゼロ距離で、メリ号の舷側を断続的に撃ち、水線より上に幾つもの穴を開ける。
赤子を抱えた若い母親が、無謀にもメリ号の上甲板に出てくる。泣いている赤子を左手で抱え、右手でそれを指さす。
おそらく、“こんな罪もない赤子を殺すというのか”と叫んでいるのだろう。
ポルトガル兵がハンドガンを発射する。赤子の頭が血しぶきを散らして消えた。ハンドガンの石が赤子の頭と母親の左肩を打ち抜いていた。
母親が叫び声をあげて甲板に倒れた。それを見たイスラム教徒達がさらに、怒り狂う。
一人の屈強なイスラム教徒がただの木の棒を片手に、帆桁からサン・ラファエル号に飛び移る。何人もが、その後に続く。人数だけだったら、イスラム教徒の方が優勢だった。
あわててポルトガル人が艦尾をメリ号から離そうとする。グラップリング・フックという複数の爪鉤がついた長い棒を突いて二艦を離そうとした。
その頭上にイスラム教徒が襲い掛かり、フックを奪いポルトガル兵に向かって振り回す。
ポルトガル艦の甲板上で銃声や撃剣の音が響いた。
その時だった。大きな爆発音とともに、メリ号の船尾に大きな水柱があがった。
旗艦のボートが仕掛けた爆薬が舵を粉々にした。それだけではない。船尾に穴が開く。
大型客船といっても、その構造はダウ船だった。ポルトガル人達が思っていた以上の大きな穴が開いた。
メリ号の船倉に大量の海水が流れ込み、あっというまに甲板が傾く。メリ号上甲板のイスラム教徒が戦闘をあきらめ、サン・ラファエル号が接舷している側とは反対の舷縁に走る。
甲板上の樽や木片を海に投げ込み、それを目掛けて海中に飛び込んだ。
船倉にいたイスラム教徒達も上甲板に上がって来て海に身を投げる。
サン・ラファエル号の甲板で戦っていたイスラム教徒も、こうなっては、とあきらめ、海に飛び込んでいった。
船尾に空いた穴から、メリ号のバラストや食品を入れた甕などが海底に落ちていく。
態勢を立て直したサン・ラファエル号の艦長が、ありったけのボートを海上に下ろす。ボートには槍を持ったポルトガル兵が立ち、海中に浮かぶイスラム教徒を一人一人槍で刺し、海底に沈めていった。
メリ号がわずかに舷縁を残して、海中に沈んだ。木造船なので、沈むのはそこまでだった。周辺の海面が、血で薄黒く染まる。その光景を見たトメ・ロペスが吐きそうになった。
ポルトガル兵は、子供の漂流者は救いあげたらしい、二十名程の子供が生存したとされている。それ以外のイスラム教徒は、男も、女も、すべて死んだ。
フィレンツェ商船の書記官トメ・ロペスは自身の日記に、こう書き残した。
“一五〇二年十月三日月曜日。わたしは終生この日を忘れないだろう”




