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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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海賊 (かいぞく)

 イザベラ・デステが言っていたように、この頃(西暦一五〇〇年)までには、ヨーロッパの内陸部でも、片田商店の活動が知られるようになっていた。

 つまり、風上に向かって黒い煙を出しながら航行する船がある、空を飛ぶ機械がある、などのことである。

 しかし、彼等の船はヨーロッパ大陸部に接触してこようとはしなかった。彼らが接触したのはイングランドのオルダニー島とピサに限られている。

 ヴェネツィアに商品を持ち込む場合にも、ユダヤ人商人経由であり、それらは沖で取引された。

 ヨーロッパ人が彼らに接触しようとしてガレー船を接近させようと試みても、彼らはガレー船よりもはるかに速く、たちまち姿を消してしまった。


 まだ、機が熟していない。


その間に、イングランドは片田商店が持ち込む商品を大陸に販売してヴェネツィアに匹敵する巨利を得る。そして、それで海軍を建設した。


ドイツでは、南部で宗教戦争が始まる。弱小騎士が、農民が、商人達が教会のくびきから逃れようとした。

なんといっても、教会に『十分の一税』を納めなくて良い、というのは魅力的だった。加えて商人達にとっては『勤労や資金運用により富を蓄積することは悪ではない、むしろ誠実な仕事は神に仕える手段であり、地上における義務である』という考え方は、彼らの行為を合法化するものとして、好まれた。

サヴォナローラがそう言ったわけではないのだが、彼等は都合よく解釈した。

彼らはカトリック教会から離脱し、新しいキリスト教の元に団結し、反抗した。


スペインは舷側砲を備えた帆船を建設し、コロンブスに与えたが、犬丸いぬまる達の蒸気船相手では、風上から撃たれるばかりで、新大陸に足場を築くことが出来ずにいた。


ポルトガルは、まだ自由に泳いでいた。


 ヴァスコ・ダ・ガマの第一回航海を要約すると以下のとおりだ。


一四九七年七月 リスボン出発 四隻

一四九八年五月 インド到着

一四九八年八月 散々やらかした挙句あげく、インド出発

一四九九年九月 リスボン到着


 往路十カ月、復路十三カ月、全体で二年三か月の大航海だった。

 出発時一四八名だった乗組員は三分の一の五十名程に減っていた。ヴァスコの兄、パウロ・ダ・ガマも帰路で亡くなっていた。

 それでもヴァスコの帰還は、盛大に歓迎された。カレクトで多少の問題は起きたが、イスラム教徒を経由することなく、直接インドと取引する道が開けたのだ。


 ポルトガルはローマ教皇とスペイン両王にインド航路発見の親書を発行した。教皇に対しては、インド地方の統治を承認してもらうために、スペインに対しては、これに侵入しないようにという警告だった。


 ポルトガル王マヌエル一世は、すみやかに次の船団を組織する。そして半年後の一五〇〇年三月には、カブラルに率いられた十三隻の船団がリスボンを出発する。

 そのうちの一隻はジェノヴァの船だった。東方貿易を独占するヴェネツィアに対抗したのだろう。

 船には食料品と水だけではなく、商品も積み込まれた。銅、しゅ辰砂しんしゃ、水銀、琥珀こはく、毛織物、ビロード、金貨などである。

 金貨以外は、あまりパッとしないものだが、仕方がない。


 カブラルは、ヴァスコ・ダ・ガマが発見した航路に従って、大西洋を横断し、南米大陸のブラジルを発見する。これはトルデシリャス条約(一四九四年)でスペインとポルトガルが分割した境界線よりも東の土地だった。

 なので、ポルトガルの植民地になった。


 現在南米大陸の国で、ブラジルだけがポルトガル語を公用語としているのは、カブラルの発見によるものだ。


 カブラルは半年後の同年九月にカレクト沖に到着する。半年しか費やしていない。試行錯誤で進むのと、航路や風向きが分かっているのとでは、これほど航海期間が異なることを示している。

 カレクトでは、意外にも歓待された。ヴァスコが拉致らちしてきたカレクト人五名を帰国させたことが印象を良くさせたのだろう。

 ヴァスコは悪い奴だったが、良いポルトガル人もいる、そう思ったのかもしれない


当時のマラバール海岸の住人はコスモポリタンだった。エジプトから中国までの多種多様の人々が交易のために彼らの港に来ている。

人種や国家で一方的にステレオタイプを当てはめるようなことはしなかったのだろう。


 しかし、ポルトガル人の持参した商品は、さっぱり売れない。南国で毛織物が売れるわけがない。持参商品が売れなければ、現地商品を購入することもできない。

 持ってきた金貨はわずかだ。銀は持って来ていなかった。


 そこで、カブラルはイスラム教徒の商船を襲い始めた。ヴァスコが言ったことは本当だった。アラビア海の貿易船は柔弱じゅうじゃくな船で、大砲などは搭載できない。ヴァスコはダウ船をそう形容した。

 実際には小さくて射程の短い砲を乗せることくらいは出来たが、威力でも射程でもポルトガル船の大砲にはかなわない。


 繰り返しイスラム商船を拿捕だほしたことにより、カレクトのイスラム商人が激怒し、ポルトガルのカレクト商館を襲撃する。

 ポルトガル人五十数名が殺害された。

 これに対して、カブラルはカレクト港に停泊しているイスラム商船十数隻から積荷を略奪し、船を炎上させた。この時のイスラム側の死者数はポルトガルの十倍以上とされている。


 カレクトとの通商はあきらめた。カブラルは南下して、一五〇〇年十二月にコチンに入港した。すでにイスラム船から商品や金銀を奪っていたので、取引に使う資金は十分にあった。なので、ここではおとなしく商売をした。


 やがてカレクトの艦隊が、カブラルに復讐しようとしてコチンにやってきたので、カブラルは帰国の途につく。

 コチンの片田商店は、この経緯をオルダニー島や堺に送信した。


一五〇一年六月にリスボンに着いた。帰りも六カ月程の航海だった。

 しかし、リスボンに帰ってくることのできた船は十三隻中の五隻にすぎなかった。


 カブラルの最大の功績はコチンと友好関係を築いたことだろう。これにより、現地での足場が出来た。

 そして、カブラルの航海でポルトガルが理解したことは、航海の危険性が高い事、そしてポルトガルの持参した商品が現地では売れないという事だった。

 インド航路で稼ぐためには、インド洋で海賊をして資金を調達するしかなかった。


 この頃、ヴェネツィアがポルトガルにアプローチした。ヴェネツィア大使の名前をピエトロ・パスカリーゴという。彼はポルトガルで貴族の称号を受ける程に重用された。


「マヌエル王、インド航路も大切かもしれませんが、それよりも目の前の危機にも目を止めていただきたいのです」ポルトガルのナイトに叙せられたパスカリーゴがマヌエル王に言った。

「ん、どういうことであるか」

「オスマンです。彼等はギリシアの沿岸を次々に攻略しています。このままでは、いずれアドリア海やキプロスにも手を延ばすでしょう。キリスト教世界の危機です」

「それは、わかっている。だから艦隊を送っているではないか」

「私が申し上げているのは、現在建造中の艦隊のことです。あれをアフリカで沈没させてしまうのは、あまりにももったいないと思うのです。ぜひ地中海に回してください」

「あれか、あの五隻はインドに持っていく。向こうで通商つうしょう破壊はかいを行う方が、地中海にもっていくよりも、よほど良い」

「それを、なんとか」パスカリーゴが食い下がる。

「パスカリーゴ、あきらめてくれ。あの艦隊はヴァスコがインドに連れて行くのだ」


 カブラルがリスボンに到着する二か月前。ポルトガル王は第三次の船団を送っていた。指揮官はジョアン・ダ・ノヴァといい、四隻の船団だった。

 この船団も同様の海賊商売をして、多くの胡椒やシナモンを持ち帰る。それが一五〇二年九月だった。

 ヴァスコ・ダ・ガマはこの年の二月に第二回航海を開始しているので、入れ違いだった。


 ジョアンの船団は、大きな損失も無く帰国し、香辛料などを持ち帰った。最大の功績は南大西洋の真ん中のセントヘレナ島を発見したことだった。

 以後ポルトガルはこの島をインド航路の中継地として利用するようになる


 この島は八十年後の一五八四年、天正てんしょう遣欧けんおう少年しょうねん使節しせつを乗せた船が利用した。

 一六五九年には英東インド会社によって、イギリスの植民地となる。一八一五年ナポレオンが流されてきて残りの六年の生涯を、この島で過ごすことになる。


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