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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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イザベラ・イン・ブラック

『イザベラ・イン・ブラック』(黒衣のイザベラ)という中世末期に描かれた肖像画がある。Wikipediaで探すのであれば『イザベラ・デステの肖像(ティツィアーノ)』で検索すると出てくる。


 丸顔で明るい灰色の目の少女の肖像画だ。頭にバルツォという丸い髪飾りを付けていて、白いえりの黒衣を着ている。

 オオヤマネコの毛皮を羽織っているので貴族だ。そして襟は緑糸で飾られている。


 イザベラ・デステは十五世紀から十六世紀のイタリア、マントヴァという侯国の侯爵夫人だった。彼女は『ルネサンスのはな』と言われるほどの文化人で、かつ政治家でもあった。

 この肖像画の作成過程が面白い。


 イザベラ・デステ本人がティツィアーノという画家に肖像画を発注したのは一五三〇年頃のことだ。この時イザベラは五十六歳だった。

 ティツィアーノ作の『フェデリコ二世・ゴンザーガの肖像』というのがマドリードのプラド美術館に残っている。フェデリコはイザベラの長男だった。息子の肖像画を描かせたところ、イザベラの気に入ったのだろう。自分の肖像画も発注した。


 ティツィアーノがさっそく注文に応え、『赤衣せきいのイザベラ』という作品を作る。しかし、これはイザベラのお気に召さなかった。

 『赤衣』の実物はイザベラがどこかにしまい込んだのだろう。ルーベンスの模写だけが残っている。


 イザベラは、二十数年前の自身の肖像画をティツィアーノに送り、『この絵を参考にして、十六歳頃の私の肖像画を描け』と注文する。


 ヴェネツィア絵画の第一人者、全盛期のティツィアーノ、四十歳が頭を抱える。


 仕事の速いティツィアーノにしては、めずらしく数年の時間をかけ、空想力を膨らませて、会ったこともないイザベラの四十数年前の、『盛り』に『盛った』肖像を描いたのが、この『イザベラ・イン・ブラック』だ。


 この肖像画に、イザベラは満足した。

美人とは言えないかもしれないが、目に力のあるいい絵だ。ティツィアーノは、おそらく彼女のそれまでの政治的実績を勘案して、この肖像画を描いたのだろう。


 そのイザベラが自身の居城、マントヴァのサン・ジョルジョ城に居る。昨年から城の一角を自由に使っていいと夫の許可をもらっていた。そこに書斎と収集品の展示室を作る。

 一五〇〇年の晩春だった。当時の彼女はまだ二十六歳で、自分の書斎の窓際に横向きに座っている。

 豊かな白髯しろひげを蓄えた五十歳くらいの画家が、その彼女の素描ディゼーニョを描いている。レオナルド・ダ・ヴィンチだ。


 レオナルドは、長年ミラノのルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)の宮廷にいた。彼の有名な『最後の晩餐ばんさん』はミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツイエ修道院の食堂に描かれている。

 しかし、四月にフランスが第二次イタリア戦争を始める。第一次イタリア戦争の時にはフランスとミラノは同盟を結んでいたが、今回は敵同士だった。

 ミラノが陥落し、領主のルドヴィーコはらえられる。レオナルドはミラノから逃げなければならなかった。

 逃避行の途中で、イザベラのマントヴァに寄った。イザベラが文化を保護していたからだ。


「奥方様(Vostra Signoria)、お顔が少し硬いようです。なにか、お話になってみてください」レオナルドが、素描の手を止めずにいった。

「お話し、そうね。どうしましょう」そういって笑う。

「なんの話題でもいいですよ」

「そうね。いま書いている素描で、肖像画を描いてくれるのかしら」

「さて、いまは流れ者の身ですので、お約束は……」


 あのレオナルド・ダ・ヴィンチだ。イザベラはどうしても自分の肖像画を彼に描いてもらいたかった。


「では、落ち着いてからでも、いいのですけど」

「わかりました。素描の複製を作っておきましょう」


 この時代の素描の複製の作り方はこうだ。今彼が書いている紙の下に、もう一つ同じ大きさの紙を重ね、動かないようにする。そして、素描の輪郭りんかくをなぞるように針で連続した穴を開ける。そして、二枚を離し、針孔はりあなの輪郭をたよりにして、一枚目を見ながら白紙の方に素描を複製する。


 話が途切れる。あまりやる気がないわね、イザベラが推察する。その推察通り、レオナルドは乗り気ではない。彼はタマゴを逆さにしたような美人顔が好きだった。目の前の侯爵夫人はどちらかというと丸顔だ。あまり描きたくはない。


「あの、レオナルド」

「なんでしょう」

「あなた、最近の風上に向かって走る黒煙を出す船のことや、空を飛ぶ機械のこと、聞いている」イザベラが尋ねる。

「聞いています。一度見てみたいものです」

「もし、空を飛ぶ機械を見ることが出来るのなら、肖像画を描いてくれるかしら」

「そ、それはもう。よろこんで」

「では、たぶん明日あした、天気がよければ、見ることができるかもしれません」

「なんですと!ホントですか」

「天気がよければ、です」

「承知しました。今晩のうちに、この素描の複製を作っておきましょう」


 レオナルド・ダ・ヴィンチは、その生涯を通じて飛行する機械を考えた。彼の複数の手稿コーデックスには様々な飛行機械が登場する。


 順にパラシュート、ヘリコプター、オーニソプター(鳥のように主翼を羽ばたいて飛ぶ飛行機)などである。

 そして、ついに主翼を動かすことをあきらめ、現代のハンググライダーのようなものにたどり着いている。もし彼が現代のアルミパイプや合成繊維の布を手に入れていたなら、空飛ぶ機械を実際に作っていたかもしれない。驚くべき才能である。


 その夜、レオナルドは素描の複製を仕上げ、明日を楽しみにして寝た。


 彼の二枚の素描のうちの一枚だけが、現代に残されている。レオナルドが肖像画作成のために保存していたものか、イザベラの手に渡った物なのか、それはわからない。

 残されている一枚には、輪郭線に沿って無数の針穴が開いているので、複製が作られたことはまちがいないようだ。

 十九世紀、ミラノ貴族の末裔まつえいの遺品のなかから、この素描が突然現れ、ルーブル美術館が未知の作者による未知の女性の素描として、比較的安価で購入した。

 後にルーブルは、この素描を研究し画材と画風から作者がレオナルド・ダ・ヴィンチであることを特定する。さらに当時作成されたイザベラのメダルと比較して、モデルがイザベラであることも特定されている。


 折りたたまれた跡がある、水にぬれた跡があるなど、あまり、慎重に保存されていなかった形跡があるので、レオナルドの手に残ったものではないか、と考える研究者がいる。

 その後、この素描を元にした十六世紀の複製が、ウフィツィや大英博物館など複数発見されている。

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― 新着の感想 ―
最初『じょん』の話を読み始めた頃は、こういう作風になるとは想像もしてなかった 今の作風はすごく好きだ
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