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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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シー・チェスト (水夫箱)

 シー・チェストというものがある。船員一人ごとに私物として船に持ち込んでいる。日本語で言うとひつが一番近いかもしれない。大きな箱だ。

西洋では自分のチェストを持つということは自由人の象徴しょうちょうだった。私物の所有を許されている、というわけだ。

水夫であれば、飾りのないペンキ塗りの箱で、大きさは横八十センチメートル、高さと奥行きが四十センチ程度もある。重さは空の時でも二十から三十キログラムあり、中に色々詰めると五十キロ程になることもある。隅を金属で補強してあり、鍵が掛けられるようになっている。


 大きさの割に重いのには理由がある。重ければ揺れる船の中でも簡単に移動しない。加えて一人で持ち出すことが困難になるので、盗難防止の効果がある。


『宝島』という小説の冒頭で老水夫ビリー・ボーンズが、宿屋『アドミラル・ベンボウ亭』に持ち込んだ箱が、このシー・チェストだ。物語では中から宝島の地図が出てくる。

『宝島』は『青空文庫』に掲載されているので、誰でも読むことが出来る。


 ベンヤミンとサイラスが、このシー・チェストを『加古かこ』の上甲板に持ち出している。二人は、ベンヤミンが十五歳、サイラスが十三歳の時に『加古』の乗組員になった。そして、五年が経ち、立派な乗組員になっていた。


「兄さん、本当にシー・チェストを家にまで持っていくのか」

「ああ、そうだ。シー・チェストは船乗りの勲章くんしょうみたいなもんだ。故郷ににしきを飾る」

「めんどくさいなぁ。士官でもなんでもないだろうに」


 確かに、船長や士官のシー・チェストは凝った作りの物が多い。サイズが一回り大きく、浮彫や金属装飾などがされている。自らの地位を誇るために、船宿に持ち込む船長も少なくなかった。

 しかし、彼等が上甲板に出してきたベンヤミンのチェストは、素木しらきにペンキを塗っただけの、普通の物だ。

 普通の水夫は数日程度の短期の寄港ならば、チェストは船に置いたままにする。


 それでも、ベンヤミンにはシー・チェストが誇らしいんだろう。

 ロープを回して、竿さおを差し込み、二人がかりで担いで船を降りる。荷車を雇って二人の家まで運んだ。




 二人の実家で、久しぶりの家族との晩餐を終え、ベンヤミンの自慢話が始まる。彼が自慢のシー・チェストに腰かけて旅行譚りょこうたんを語る。


「それでな、ヴェネツィアでは花売りの娘に言い寄られて、ほとほと困った」


 サイラスが、弟達にささやく。

「ダヴィド、イマニュエル、あれ、信じなくていいぞ。花を押し売りされただけだから」

「うん、わかったよ、兄さん」


「イングランドにも行った。ずっと北の海に浮かぶ島だ。冬はとても寒いんだ」

「寒いって、雪が降るのか」

「ああ、雪が降るとも。雪が海に降って溶けるんだ」

「海は凍らないの」

「俺の行ったところでは、雪が降っていても、海は凍らないな。もっと北に行ったらどうなるかわからんが」


「雪が降っている時は、雨は降らないのか」

「雨だって同時に降ることがある。凍るんだぞ」

「えっ、本当なの」

「本当だ、雨が凍ると、ガラスの針のようになって振ってくる」

「それじゃあ、恐ろしくって外に出られないね」

「土砂降りの時には、とても無理だな。けれど、ちょっとくらいの雨ならば方法がある」


 この時代、西洋では傘を差さない。


「どうやるの」

雨払あめはらい、という棒を使うんだ。これを頭の上でぐるぐる振り回す」

「そんなことできるの。ベンヤミン兄さんもやってみたの」

「ああ、やってみた。うまくいったが、最後にちょっと油断して、『耳たぶ』に一本刺さった」

「そんなわけないだろ」サイラスが突っ込む。皆が笑う。


「イングランドのオルダニー島では、蒸気で布が織られている。人が何もしなくても、どんどん布ができるんだ」

「どうやって機織り機を動かしてるの。足踏みしないと動かないよね」

「だから、蒸気でやっているんだよ。足踏みしなくてもいいんだ」

「シャトルも勝手に動くの」

「ああ、そうだ。目にも止まらない速さで左右に飛んでいく。すごいもんだぞ」


「これは、本当のことだ」サイラスが弟達に言う。


「布が安くなるかな」

「それは間違いなく安くなる」ベンヤミンが断言した。

「じゃあ、染料が売れるね」ダヴィドが言った。

「そりゃあ、貝紫かいむらさきだって売れるだろう、なにしろ、イングランドの羊毛も、インドの綿も、中国の絹も、あれよあれよという間に布になるんだからな」

「わかったよ、それじゃあ貝紫の貝を増やしてみる」ダヴィドが言った。

 貝紫は染料の一種で、イトマキボラという巻貝が分泌する。上品な紫色に仕上がるので、西洋では高級な染料だった。ジェルバ島の名産品だ。


「増やすって、そんなことが出来るのか」サイラスが驚いてダヴィドに尋ねる。

「うん、ちょっと試してるんだ。水槽の中で産卵させて、少し大きくなってから海に放すと、もしかしたら増えるかもしれない」

「ミュレックス貝(イトマキボラのこと)は、水槽の中で飼うと、共食いをすると言うぞ、昔の書に書いてある」彼らの父親のエフゲニーが言った。

 クレタ島のミノア人が水槽に入れて飼育したという古い記録がある。エフゲニーが言ったのは、それのことだろう。


「うん、知ってるよ。でもそれは餌が無いときなんだ。海水が汚れないように流し続けて餌をやれば、共食いをしなくなる」

「それを知っておるか。では、うまくいくかもしれんな」エフゲニーが感心した。


二週間程、夏休みをいただきます。


期間:2025年6月26(木)~7月10日(木)

次回は7月11日(金)になります。

よろしく、お願いいたします。

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いつも楽しく読ませて頂いています、夏はこれからですからお身体をご自愛して休んでください
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