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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
534/617

プロテスタント

サヴォナローラが聖書をラテン語からトスカナ方言に翻訳している。矢が飛ぶような速さだった。

彼は、これまでにも翻訳を進めていたが、その筆は遅かった。誤訳を恐れていたのだ。しかしエラスムスと会ったことにより、ふっきれた。


あの聖ヒエロニムスですら、誤訳を防げなかったのだ。翻訳の先頭に、このように書き添えた。


“この聖書翻訳は、急いで書かれたもので、誤りがあるかもしれない。しかし、終末の日は迫っている。一日でも早くトスカーナの民に届けなければいけない。

多少誤りがあっても出版する理由は、以下のとおりである

現在教会が使用している聖書はウルガタ聖書である。これは古代に聖ヒエロニムスがギリシア語からラテン語に翻訳したものだ。

この作業は緻密におこなわれたものだが、近年一部に誤りが発見されている。研究は途上であり、まだウルガタの誤りが発見されるであろう。その際には、本トスカーナ聖書においても、随時これを訂正していくつもりである。“


これで、気が楽になった。彼は気が楽になったが、ローマ教会にしてみれば、たまったものではない。

教会のよりどころである聖書に誤りがあると言っている。さらに口語で聖書を書かれては、聖職者の居場所がなくなる。聖書がラテン語で書かれているから、信者に翻訳する聖職者が必要だった。足元をすくわれたようなものだ。


「サヴォナローラさん、居ますか」そういって、エラスムスが入って来る。

「おう、いるぞ。なんだ。今日は何を見て来た」

「今日は力学と熱学というものを見せてもらってきました」

「あの、斜面で大小の鉄の玉を転がすやつか。どうだった」

「本当に、同時に落ちますね」

「そうじゃろ。あれを見せられた時には魂消たまげた」

「あれ、大陸のスコラ学者に見せてやりたいですね」

「見せても分かるまい。悪魔の仕業しわざじゃ、とかなんとか言い出すじゃろ」


「それと、蒸気機関についても見せてもらいました」

「湯を沸かすだけで、あのようなことが出来るとはな」

 自動織機や自動紡錘機のことを言っている。


「あれ、今日は翻訳がずいぶんと進んでますね」エラスムスが草稿の束を見て言った。

「うむ、君のおかげで、誤訳が気にならなくなった」

「これ、冒頭の部分ですか。『終末の日は迫っている』って、本当に終末の日は来るんでしょうか」エラスムスが尋ねる。

「私は世界の終末が、そう遠くない日に来ると信じておる」


 とある学者の言葉である。『サヴォナローラとマルティン・ルターは世界の終末の瀬戸際に生きていたが、エラスムスとカルヴァンは中世と近世の狭間はざまに生きた』。


「ところで、君は告解こっかいをやっておるか」

「告解ですか。一年に一回くらいはやりますけど」

 告解とはカトリック教徒が行うもので、聖職者の所に行き、自らが犯した罪を告白し、許してもらうことを言う。聖職者が必要とされる理由の一つだ。罪といっても、普通いわれるような犯罪とは限らない、多くはキリスト教徒としての罪について告白する。


「わしは、この島に来て以来告解をしておらぬ」

「周りにキリスト教徒が一人もいないのでは、告解のしようがありませんね」

「そうじゃ、しかし、それでも何の不自由もないことが解った」

「そうですか。私も告解はあまり好きな方じゃありません。おっくうです」


「そもそも煉獄れんごくというものが、本当にあるのかも疑わしくなってきた。」

「ギリシア正教の人々は煉獄を認めていませんね」

「それもあるが、聖書のどこにも書かれていない。このことについて、サン・マルコにある古書を随分と読んだが、十二世紀以前の書には『煉獄』という言葉は出てこない。」

「ほのめかしだけですね」

「煉獄がないのならば、『供養ミサ』はなんのためにある」

「さて」

 煉獄とはカトリックのみにある教義だ。善人が死んだ後、天国に行くまでの間に自らの罪を浄化するための苦しみを受ける場所とされているそうだ。

『供養ミサ』は追悼ミサの一種で、死者がすみやかに煉獄から解放されることを現世において祈る法要ほうようのようなものである。当時は随分と盛んにおこなわれ、聖職者の大きな収入源だった。

 ヘンリー七世は生涯に数千回も『供養ミサ』を行ったといわれている。


 脱線するが、十四世紀のイタリア、プラートにフランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニという豪商がいた。

 父親は質素な宿屋を営んでいたという。しかし両親は一三四八年のペストで亡くなる。近所の女性に育てられ、商人の徒弟とていとして働き商売を覚えた。

 十五歳の時、父から相続した小さな農場を売却して百五十フローリン(金貨)を手に入れる。その金貨を握りしめてアビニヨンに出て商売を始めた。

 これが当たり、彼は幾つもの商社、工場を経営し、一四一〇年に後継ぎがいないまま、亡くなった。

 ダティーニは二つのことで名を残した。

 一つは、財産約十万フローリンをプラート市に寄贈し、福祉目的に利用するように遺言したことだ。これにより病院などが建設された。

 もう一つは十九世紀に彼の屋敷から大量の商業文書が発見されたことだ。これはダティーニ・アーカイブと呼ばれている。十五万点もの、帳簿、商業書簡、私信、契約書などが含まれている。ヨーロッパで最重要な中世商業の記録とされているそうだ。


 プラート市は、ダティーニの功績に感謝し続けていて、今でも毎年彼の命日の翌日、八月十七日には、彼の『供養ミサ』が行われるという。彼の遺産を元にした基金は現在も生きており、貧者に配分されているそうだ。




「こうして、一つ一つ吟味ぎんみしてみると、はたしてローマ教会そのものが必要な物かどうか、疑わしくなってくる」

「ローマ教会が必要なのかどうかは、わかりませんけど、今の教皇は、確かに問題でしょう」


 史実では二十年後、マルティン・ルターが似たような思考を経て、彼の『九十五か条』を提示することになる。

 ローマ教会を否定し、キリスト教徒は聖書を通じて神と直接会話する。信仰は彼の心の問題であって、教会に対する納税やミサへの出席などの行為によるものではない。

 そう考えるプロテスタントの登場である。


 しかし、これにはローマ教会が恐れた問題があった。

 信仰が一人一人の心の問題であるとすると、極端な言い方をすると、宗教は信者の数だけあることになる。キリスト教の統一性、一貫性が無くなってしまう。カトリックの側から見れば、それは宗教の破綻はたんだった。

 カトリックが恐れたように、プロテスタントにはいくつもの宗派が出来て現在に至っている。


 ほとんどのプロテスタントは、マックス・ヴェーバーが言うとおり、勤勉で真面目な人々なのだろう。しかし、中には変な考え方をする人々もいる。


 これは、現代のことだが、以下のように信じている人達もいる。

彼等は『ヨハネの黙示録もくしろく』を言葉通りに信じている。

 数十年以内に、世界最終戦争アルマゲドンが始まる。いま、パレスチナの地にイスラエルというユダヤ人の国が出来ているのが、なによりの証拠だ、そう彼等は言う。

あのイスラエルが戦争のうつわとなり、神と悪魔の最終戦争がイスラエルの『メギドの丘』で始まる。そして最終的に神が勝利し、神を信じる者だけが(つまり自分達だけが)生き残り天国に召される。


そんなことを本気で信じている人達もいるのである。


最近、投稿前にChatGPTさんに、誤字脱字、歴史的・技術的事実誤認などに関して校正をやってもらってます。

数日前から、ChatGPTが校正の最後に総合評価を入れてくれるようになりました(笑)

星五つ評価で、今回は

「星四.八、ほぼ完成。出版原稿としても通用する水準です」

だそうです。


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