帆走競走
安宅丸が蒸気室を作った。場所は、戎島の埋め立て地の一角だ。長さ二十メートル、幅五メートルの煉瓦造りで、奥に蒸気窯を置き、海水を沸かす。釜と反対側に入口を設けてあり、ここから、寸法どおりに切った木を入れる。木は蒸気により加熱されて柔らかくなる。十分に加熱したところで、外に引き出し、型枠に合わせて曲げる。これが船首材や条板になる。
安宅丸が蒸気室の戸を開ける。蒸気が外に向かってあふれる。安宅丸がぼろ布を縫い合わせて作った手袋を使って、まず薄い条板を引き出す。
「これは、船首材だ」安宅丸がそう言って金口村の三郎に渡す。
三郎は、権太や太助、他数名のいるところまで条板を引きずっていく。
権太たちは安宅丸の、船首材という声を受けて、それに対応した型材を用意している。
「よーし、曲げるぞ」三郎がいって、みんなの注意を集める。
熱した木材を型材に押し付けると、樹液の噴き出る音をさせながら、木が曲がる。
「どうだ、安宅丸」三郎が言う。
「うん、いいだろう」
船首材が冷えたところで、真っすぐに加工された竜骨に銅釘で打ち付けて固定する。反対側に飛び出た釘の頭に座金を被せ、金槌で打ち付けて平たくする。
同じように船尾材と船尾肋板も、竜骨に取り付ける。
「次、左の一番から順に行くぞ」安宅丸が言う。
三郎たちは、船の断面の型材を六つ程用意して、竜骨に取り付ける。これは、船の内側を形作る型材だ。
安宅丸が左の一番、すなわち左舷側の一番竜骨に近い条板を取り出して三郎に渡す。三郎たちはそれを船首材、船尾材、型材に密着させる。条板は型板の形に添って曲がり、船体の形になる。
条板は薄いのですぐに冷える、これも銅釘で打ち付け、二番、三番と順に船体が上方に形作られていく。
「安宅丸、すごいな。きちんと丸みを帯びて、ぴったりの形になるぞ」
「まあな、最初は大変だった。型紙が大事なんだ」
彼らは峯風級の舟を十隻程つくろうとしていた。今風に言えば、長さ十二メートル、幅二.五メートル程度の舟だ。小さな遊漁船程度の大きさである。
出来た舟は、澤風、沖風、灘風、矢風、羽風、汐風、太刀風、帆風、野風、波風などと名付けられた。
これらは、安宅丸の船学校に集まった三郎たちの練習船になる。堺の商店や近在の農家などの次、三男で、船乗りや造船を志望するものを募集したら、三十人程が集まった。
横風を受けての直線航行と下手回しから始める。
「淡路島の北の端、あそこを目標とする。目標に向かって、まっすぐ進むように、舵と帆を操作するんだ。百間程行ったら、船首を風下側に回し、下手回しにして、同じように真っすぐ進んで帰ってくるんだ」
「手に負えなくなったら、帆を降ろして待て、俺が迎えに行く」
安宅丸はそう言って、次々送り出していった。舟は右に、左に流されながら目標に向かって進んでいく。
「次は、風上に向かって、六点の方向で進む」安宅丸は、やや風上に向かって進むように指示する。
「次は上手回しだ。これは二人の呼吸が大事だ。よく声を掛け合ってやるんだぞ」
舟が風上に向かって、斜めに進んでいく。風上に向かったまま、帆を返し、反対方向に進もうとする。これは難しい。次々と裏帆になり、制御をうしなって漂流する。
「これは、だめだな」安宅丸は思った。
「今日は、これで終わりにする。みな岸に向かっていこう」
みんなで、岸に向かった。上手回しは、一人ずつ教えないとだめだな。それと、なにか声を出さなくとも皆に伝わるような方法を考えないと、声が持たない、安宅丸は思った。
数か月ほどして、みな基本的な操船ができるようになった。ここいらで、ひとつ、競争でもやろう、ということになった。造船を志望するものもいたので、帆柱と帆は、各自自由に工夫してよい、船体は帆柱を補強する以外の改造は行わない。というきまりで競争をすることにした。
競争の日が来た。その日の風向きから、安宅丸が堺の北西方向に開始地点を定めた。行きはわずかに向かい風、帰りは追い風という風向きになる。ここから堺の港まで行き、岸壁に数だけ括り付けたタスキを一つとり、安宅丸が錨を降ろしているところまで戻ってくる速さを競う。
「太助の舟は、横帆を四段に積んでるぞ。あんなんでひっくりかえらんのか」
「権太のは、なんだ。帆桁の左右に、さらに帆をつけておる、横幅のある帆だ」
「磯丸のは、不思議な形だな。横帆にも、縦帆にもできそうだ」
皆は安宅丸の定めた開始線の手前で、おもいおもいに停止したり、旋回したりして、開始の信号を待った。
安宅丸の舟の帆柱に赤い旗が揚がる。開始の合図だ。各舟が一斉に堺に向かった。
「行きは、向かい風だから、磯丸が優位のようですね」安宅丸が言う。
「あの帆は、なんなんだろうな。有効なのかな」片田が言う。
「わかりません。普通より長い帆桁を斜めに使って、縦帆にしているようですね」
磯丸の舟は五点まで登れるようで、頭一つ抜き出ていた。その次は太助だった。
磯丸が最初に堺の港に着いたようだった。タスキをかけて、こちらに向く。ついで太助もわずかに遅れて、安宅丸の方に船首を向けたようだった。帰りは追い風である。磯丸の舟は追い風でも性能が落ちなかった。しかし横帆を四段かさねた太助の舟の性能は他を圧していた。推進力が強いため、船首が沈むのが遠目でも見える。太助が、船首底の重りを船尾側に移動しているようだった。
「あ、権太の舟、帆桁が折れたぞ」片田が言う。
「推進力は失っていないので、大丈夫でしょう」
一着は、猛烈な追い上げをして、磯丸を直前で抜き去った太助の舟だった。磯丸が二着だ。
片田と、安宅丸は、縦に帆を重ねることが有効だ、ということを知った。磯丸の舟については、大型化するのが難しいが、峯風級くらいまでの小舟では、横帆よりも有効かもしれないので、今後も試していこう、ということになった。




