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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
527/611

Sed Praeses Ioannes te requirit.

 アルノルフォ塔の中ほどで三人が息を潜めている。シンガが大時計の動きを眺めながら時間をつぶす。

 この時計は一三五三年にニッコロ・ベルナルドによって製造されたもので、現代の物とは違う。現在の時計は一六六七年にアウグスタ(アウグスブルク)のジョルジオ・レデルレが製造したものだそうだ。

「時計の中って、こうなってるのか」大小の歯車が動く様を見たシンガが言った。

 おもりがゆっくり降りるのが動力になっている。


「ドーンッ」という鈍い爆発音が聞こえた。

「はじまったぞ」新藤しんどう小次郎こじろうが言って木製の扉を開ける。シンガのところからもピッティ宮殿の丘が赤く燃えるのが見えた。二時間が経って、蝋燭から導火線に引火し、箱一杯の焼夷弾が爆発した。


 小次郎が露天回廊に飛び出し、音もなく南西隅の歩哨に近づく。その向こうで丘が燃えている。歩哨が何かを叫んだ。彼はヘルメットをかぶっていなかった。

 小次郎が歩哨の背後に近寄り、左手で歩哨の頭をつかみ、右の拳で耳の所を撃った。歩哨が脳震盪のうしんとうをおこし、ヘナヘナと倒れる。左手、南東の歩哨を警戒しながら、同じように猿轡さるぐつわと拘束具でしばる。

 小次郎が見ていると北側の二人の歩哨が、南東の歩哨のところに駆け寄ってきた。

“三人まとまったか、やっかいだな”小次郎が思う。

 その三人が南の丘の炎を指さしながら、互いになにか叫んでる。


 その時、アルノルフォ塔屋上の鐘がけたたましく鳴り出した。


 少しして、南東の歩哨の一人が北側を指さし言った。二人がそれぞれ北側の持ち場に帰って行く。南東に残った歩哨が、南西の歩哨はどうなっているとこちらを見る。

 倒した歩哨と小次郎は彼から見えないところに引き下がっていた。小次郎は内壁の向こうにしゃがんでいる。南西の歩哨が見当たらないことを不審に思い、近寄って来る。

 南西の角に来たところで、内壁の陰から飛び出した小次郎が拳で歩哨の股間こかんを殴る。脊椎せきつい神経に処理しきれない程多量の信号が流れる。全身の筋肉が麻痺し、立っていることも、呼吸することもできず、崩れた。これも拘束する。


 小次郎が立ち上がって北方を見ると、北東の露天回廊で、次郎五郎がこちらに向かって手を振る。むこうの二人を始末したのだろう。

 二人が塔に戻る。

「シンガ、少し上に登れ、ここの格子蓋を閉める」小次郎が言った。シンガがそれを聞いて、階段を数段登った。

 小次郎と次郎五郎が垂直に立てられていた格子蓋を水平に倒し、階段を塞いだ。かんぬきを掛ける。

「これであとは、塔の屋上の二人だけだ」小次郎がいった。三人が塔の屋上をめざして、階段を登る。


 すでにフィレンツェの町は、南の丘の火災に気づいている。塔の中にいても、いくつもの教会の鐘が鳴らされている音が聞こえた。


 階段の先に塔の屋上への出口が見えた。出口の周囲には鉄棒で手摺てすりが作られていて、出口は南を向いている。

 もう少し登ると南壁のM字型の狭間はざまが見えてくる。その先に赤く照らされた煙が立ち上っていて、教会の鐘がうるさい程響いてくる。屋上の歩哨は二人とも南の火災に注意を奪われていた。これならば簡単だ。

 小次郎と次郎五郎が一斉に飛び出して、一人ずつ始末した。そして、周囲を探る。頂上にはさらに四本の丸い柱が立っていて、その上には鐘楼しょうろうがある。その鐘は鳴っていない。すでに周辺の教会の鐘が鳴っているので、初動の役目は終えているのだろう。

柱を回って調べる。他に兵はいない。大丈夫だ。二人が頂上から、一階下の張り出し部分に降りる。

「俺が担架たんかを用意する、小次郎とシンガは院長を開放してやってくれ」次郎五郎が言った。

「わかった、シンガ、もう一階降りて独房に行こう」

「わかったよ」

「ただ、シンガ」

「なに」二人が階段を降りながら話している。

むごいものを見ることになる。お前はそんな経験はないだろうから、覚悟をしておけ」

「え、なにそれ」

「本当は、お前に見せたくないが、お前じゃないと、院長とまともな会話ができない。こらえてくれ」


 そういって、小次郎が独房の扉の前で合いカギを出して、扉を開けた。この一年の間、合いカギを作る時間はいくらでもあった。


 布団ふとんもシーツもなく、人間の残骸ざんがいのようなものが、独房の石の床に横たわっていた。

 意識はあるらしい、こうつぶやいた。

「今夜は……やけにさ……わがしい」


 シンガが、なるべく、その男の方を見ないようにして、言った。

「ジロラモ・サヴォナローラ、サン・マルコ修道院院長さんですか」ラテン語で話しかけた。

「あ……そうだ……そうだった。今は……破門されている」相手がラテン話者わしゃなので、安心したらしい。


「わかりました。苦しいのであれば、黙っていて結構です。我々はあなたを助けに来ました。一緒に脱走しましょう」

「脱走だと、なにを言っているのだ。わしはここでさばきを受け、主のもとに行くのだ」

「死んじゃったら、院長様の立派なお考えが途絶えてしまいます。生きてそのお考えを世界に広げて、キリスト教会を浄化してください」

「修道会に残った者達がこころざしを、ゲホッ、継いでくれるじゃろ」

「彼等だけじゃあだめです。院長様のような強い意志の御方おかたが必要なんです」

「しかし、逃げて、どこにいくのじゃ」

「イングランドの小さな島に院長の居場所を用意しました」

「ローマ教会ではないのか、あの教会をどうする」

「ローマでなくても、どこにいたって院長様の教えは布教できます」

「ローマ教会をどうにかしないと、なにもできぬ」


「でも、『じょん』社長が、あなたを必要としているんです」

(Sed Praeses Ioannes te requirit.)


「社長なら、なんとかしてくれるでしょう」


「なに、ヨ、ヨアンネスだと……ひ、ひ、ひ、ひ」

「笑っているのですか」

「そうじゃ、笑うと痛い……そうか、そういうことか。それでローマの外で、とな」

「なんで気付かんかったのじゃろ。そういうことか……わかったよ」

「わかったとは」

「一緒に逃げてやろう、ということじゃ」

「いいんですか」シンガが叫ぶ。

「ああ、どうせ逃げるとなったら手荒なことになるのじゃろ、わしは少し眠る。その間に逃がしてくれ」

 おそらく、絶え間ない激しい苦痛で、気を許すと気絶してしまうのだろう。

「同行してくれるって、そして眠りたいって」シンガがトスカーナで小次郎に言った。

「よかろう、最初から、そのつもりだ。シンガ、少し後ろに下がっていろ」そういって小次郎が背嚢はいのうから小さな瓶を取り出し、中の液体を布に浸み込ませてサヴォナローラの鼻を覆った。

 なにかの麻酔薬ますいやくなのだろう。


「おう、担架の準備が出来たぞ」そういって次郎五郎が独房に入ってきた。水汲みに使っていた二つの木樽を解体して、一つの担架にしていた。どうりで『ごつい木樽』だったはずだ。


「今、眠らせたところだ」小次郎が答え、麻酔の布を独房の隅に投げ捨てる。二人が手早くサヴォナローラを担架に移動させ、ロープでくくり付けた。

 二人が担架の両端を持ち、屋上にあがる。シニョーリア広場の方から、たくさんの人のざわめきが聞こえる。


「小次郎さん、最初から麻酔で眠らせるつもりだったら、拷問の前でもよかったんじゃ」シンガが尋ねる。

「いや、院長は頑固だ。本人が同意しないのにさらっても、言うことを聞かないだろう」


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