異端者 (いたんしゃ)
「結局、『じょん』社長の言う通りになっちゃったね」シンガが言った。
片田のことを『じょん社長』と呼んでいる。
「『じょん』、『じょん』と頭領のことを呼び捨てにするのはよくない」と新藤小次郎に言われたからだ。
『社長』というのは、シンガの造語だった。はじめは『じょん頭領』と呼んでいたのだが、繰り返すと舌を噛みそうになった。
それで、英語やフランス語の President から社長という言葉を作った。プレジデントは十四世紀頃から英仏語で使われている。
語源はラテン語の praeses で「保護する者」という意味だ。そこから指導者や頭領という意味になった。史実上では、日本語の『社長』は、明治になって出来た言葉だ。
『じょん』の言う通り、とはサヴォナローラの件のことを言っている。
今朝、シンガと小次郎、それに大男の高山の次郎五郎が、いつものようにアルノルフォ塔の掃除にやってくる。
「一番上の独房には、客が入っているので掃除しなくていい」親方が言った。
「お客って、昨日のあれですか」シンガが言う。
「そうだ。サン・マルコ修道院の院長が入っている」
「みんな、あんなに尊敬していたのに、捕まっちゃったんですか」
「ああ、仕方がない。サン・マルコ広場で十二人も死んでいることが判明した。それも死んだのは『憤怒派』の暴徒ばかりだ」
「十二人も」
「ああ、修道院の屋根から僧侶たちが投げた瓦にやられた。それに双方合わせて二百人近くのけが人も出ている。誰かが責任を取らなけりゃあならないからな」
「それで院長さんが」
「そうだ」
死人が出たことで、フィレンツェの空気が変わった。
一日の仕事を終えてヤコブのフィレンツェの店から少し離れた宿に帰る。かれらは一年以上前に、この宿に転居している。これからやろうとしていることを考えると、ユダヤ商人のヤコブに迷惑をかけるわけにはいかない。
暴動を始めたのは反サヴォナローラ派だったが、死人や怪我人が多数出たので、サヴォナローラに対する評価は一気に醒めていた。
冒頭のシンガの言葉は、宿に帰って来てからシンガが発した言葉だった。彼が続けて言う。
「今夜、やるの」シンガが尋ねる。
「いや、まだだ。いま救ったところで、ついてくるのを拒むだろう」と小次郎が返す。
「拒むのかな」
「ああ、ここで脱走したら、院長の面目がつぶれるからな。いままでの説教はなんだったんだ、ということになる」次郎五郎も言った。
「じゃあ、どうするの」
「フィレンツェは院長を拷問にかけるだろう」
「で」
「おそらく、世俗的な名誉と権力が欲しくて、ありもしない『神の預言』を言い立てた、という証言を引き出すのだろう。そうして彼を引きずり降ろしておいて、処刑する」これも小次郎が言った。
「ああ、そうだな。ここのやつらなら、そうだろう」次郎五郎が同意する。
「ひどい話だね」と、シンガ。
「ああ、だから、院長には気の毒だが、救うのは拷問の後だ。その頃なら足腰も立たなくなっていて、拒むことはできないだろう」
キリスト教徒のために、弁護しておく。聖書が拷問を許しているのではない。聖書は隣人を苦しめてはならないとしている。
しかし、どんなものであっても、曲解することはできる。
キリスト教徒の拷問官達は、哀れな被疑者を救済しているのだという。迷った者から真実を引き出し、彼等を正しい道に導くのが拷問だと主張した。もし、今のまま被疑者が死ねば、彼は地獄に落ちる。私たちが、たとえ拷問によって、だとしても正しい道にもう一度導けば、死んだ後に、神によって天国に招かれる。そのほうが本人にとって、どれだけいいか、わかるだろう。
現代の我々には到底理解できない。だが、彼等はまじめにそう主張していた。
四月十九日。暴動から十一日たった。
シンガ達が清掃するアルノルフォ塔は、ヴェッキオ宮殿に建っている。その隣にサヴォナローラ自身が建設を推進した『五百人会議室』がある。フィレンツェの市政はメディチ家などの貴族ではなく、市民の参加によって行われるべきだ、と考えたからだ。
その大会議室に集まった市民の前で、サヴォナローラの尋問調書が読み上げられた。
新藤小次郎の言った通りだった。
「調査委員の尋問に対して、被告ジロラモ・サヴォナローラの回答は以上のとおりだ。そして、ここに彼自身の署名がある」そういって、委員が調書末尾にある署名を集まった市民の方に向けて見せた。
ジロラモ本人は欠席していた。彼は市民からの攻撃を恐れて出席を辞退した、そう委員は言った。
四月の二十五日には、第二回の尋問調書が発表されて、フィレンツェ市が設置した調査委員会が閉会した。
フィレンツェ市はサヴォナローラをどのように処理するか決定した。
あとは、教会側による調査が残った。教皇庁から調査委員が送られることになる。と、いっても結論はすでに決まっている。
教皇代理人は、
『修道士ジロラモは、異端者であり、異宗派を立てようとした者であり、預言者を騙った者である。ローマ教会は、この者の修道士としての地位を剥奪し、処置は市の司法官に委ねる』
と、宣言するだけだった。その調査委員会の到着予定が五月二十日頃とされた。
「よし、まだ院長は存命だということだ。彼の体力が回復する前に決行しよう」小次郎が言った。
 




