モンバサ
もうモザンビークでは関係修復は無理だろう。ヴァスコ・ダ・ガマはそう考え、出港することにした。
一四九八年三月十日だった。
が、翌日には風が止まる。そして強い海流でモザンビーク島に引き戻されてしまった。しかたないので、また沖の小島に投錨する。
ポルトガル人の船が戻ってきたので、モザンビークの『領主様』が使者を送ってきた。使者は白い肌をしていた。北方のアラブ人だろう、その方が親近感があると思ったのかもしれない。
「豚肉を食べさせられたと、勘違いした男が村の者をたきつけて皆さんを襲いました。申し訳ないことです。領主様が彼を叱りました。もう、あのような騒ぎにはなりません」使者が言った。
「そんなことはいい。それよりも逃げた水先案内人を連れてこい」ヴァスコが答える。
使者が案内人を連れてやってくることはなかった。
しばらくして、別のアラブ人らしい男が小さな息子をつれて彼らの船にやってきた。アラビア半島のメッカ近く出身で、帰国したいので水先案内人を務めてもいい、と言う。ヴァスコ達がいろいろ質問してみると、アフリカ東海岸の地理に詳しそうだったので乗客として乗せていくことにした。
さらに一週間、風を待つ。
「飲料水が不足してきた。水先案内人によると、順風に恵まれても次のキルワまで四日、その次のモンバ
サには九日必要だそうだ。キルワとモンバサの間にはミキンダニ、ザンジバル、パンガニなどの港があるという。サン・ガブリエルの水の残りは十日分だ。他の艦も同じくらいだろう」サン・ガブリエルの艦長ゴンサロ・アルヴァレスがヴァスコに報告した。
「わかった、ここで水の補給が必要だな」
「領主を信用するのか」
「信用できるわけがないだろう。いまだに水先案内人を連れてこない。あのように言っておいて油断させ、こちらを全滅させようとしているんだ」ヴァスコが断言する。
『領主様』が気の毒だったのは、くだんの水先案内人が、断固としてポルトガル人と同行するのを拒否していることだ。二度と豚肉なんぞ喰うものか。
「そうか、じゃあバテル(小舟)以外にもバリオ(バテルよりも大きな艦載艇)を出すか」
「そうだな、バリオにはボンバルダ砲を載せていけ」ヴァスコがそう指示する。他の二艦にも同じように命令した。
三月二十三日。数隻の艦載艇がモザンビーク島を過ぎて本土の水汲み場に近づく。ヴァスコとペリオ号艦長のニコラウ・コエリョも同行した。そこには二十人程の現地人待ち構えていた。
水汲み場の周囲に立ち、槍を振りかざして、船に帰れという身振りをする。
これ以上なめられてたまるか、そう考えたヴァスコがボンバルダ砲の発射を命ずる。砲声に驚いた現地人が逃げる。ポルトガル人達が易々(やすやす)と空樽に水を補給して引き揚げていった。
翌日、同じようにヴァスコ達が水汲み場に向かう。現地人が投石器を持ち出してきた。断固として抵抗しようというかまえだ。投石器という兵器まで出してきた、ということは『領主様』の意志が入っているに違いない。もはや関係を回復するのは不可能だ。
握り拳大の石がいくつも、彼等の舟の手前に落下した。ヴァスコが砲の発砲を命ずる。戦闘が三時間も続いた。しだいに現地人の陣が削られていく。
結局二人の死者を出して、現地人が水汲み場から撤退した。
翌日も、その翌日もポルトガル人が給水する。もはや抵抗はなかった。
そして三月二十九日、ポルトガル人の艦隊が北を目指して出港していった。
四月七日、彼等の艦隊がモンバサ沖に停泊した。モンバサの住人が目敏く艦隊を発見し、幾つもの小舟が百人以上の男達を乗せてやってきた。みな武装している。
男達が乗船しようとするのをヴァスコが阻止し、位が高そうな四人だけ乗船させることにした。
四人は甲板の様子などを観察し、二時間ほどで去って行った。
翌日にモンバサの国王が羊やオレンジなどの贈り物を届けてきた。ヴァスコは、このような時のために乗船させていた囚人のポルトガル人二名を上陸させ、国王のもとに送った。
この二人はずいぶんと歓迎される。
市場や、キリスト教徒の家と彼らが言っている家に連れていかれ、最後には王宮で歓迎される。
王が現れて、二人に胡椒などの香辛料を渡し、これ以外にも倉庫には金、銀、琥珀、蜜蝋、象牙などがふんだんにある。他の港よりも安くするのでぜひ交易をしていって欲しい、といった。
二人が帰って来てヴァスコにそれを伝える。ヴァスコが各艦の艦長を招集する。
「どう思う」ヴァスコが尋ねた。
「ずいぶんと歓迎されるようだな」これは兄のパウロ。サン・ラファエル号の艦長だ。
「さて、どうだろう。なんらかの策略の可能性はないのか」ペリオ号の艦長ニコラウ・コエリョが疑う。
「戻ってきた二人と一緒に、何人もの現地人が当艦に現在乗っている。策略だとすると無防備なようだが」これはサン・ガブリエル艦長のゴンサロ・アルヴァレス。
四人は船尾楼の露天で話していた。ゴンサロの発言を受けて、他の三人が眼下の上甲板を見下ろす。たしかに、何人ものモンバサ人が甲板に立っていた。
「もし、インドで交易交渉が成立しなかったときの保険として、この港と友好関係を築いておく、というのはどうだ」パオロが言った。
「それは、一理あるな。インドがどのような様子かわからないからな。もしかしたらイスラム教徒に支配されているかもしれない。そうでなくとも好戦的な王がコジコードを統治しているかもしれない。保険としてならば、私も賛成だ」ヴァスコが言った。
「保険か。なるほど。それであれば万一インドで不調でも帰国後、国王にたいして面目が立つ」ゴンサロも同意した。
「さて、どうだろうか。しかし、司令官がそうすると決めたのならば、それに従う」ペリオのニコラウが慎重に言った。
モンバサに入港することに決まった。サン・ガブリエルを先頭に三隻がモンバサ港に進入を始めた。
モンバサも陸地に囲まれた島だった。しかも島と内地の間の水道は、モザンビークより狭い。サン・ガブリエルが進路変更に失敗しサンゴ礁に微速で衝突する。次のサン・ラファエルが追突した。ペリオはそれを見て軽快に針路変更してかわした。
三艦が投錨する。被害確認などをしなければならない。サン・ガブリエルが離礁できるかどうかも確かめたい。
しかし、その時だった。サン・ガブリエルの上甲板にいたモンバサ人達が一斉に舷側に走り、海中に飛び込んだ。キリスト教徒達が、一度は決心したモンバサ入港を考え直した、と思ったのだろう。
「どういうことだ」艦長のゴンサロが、振り向いてヴァスコに言った。
「一杯食わされたんだ」ヴァスコが顔を真っ赤にして言った。
「まだ、甲板に残っているモンバサ人がいたら、捕まえろ」そう甲板に向かって叫んだ。




