蚊取り線香
「一時間で、十センチ燃えるのか、じゃあ一晩八時間として、八十センチの長さが必要ってことね」
朝倉村の夏実が独り言を言った。蚊取り線香の試作品を研究所の庭で燃やしている。なるべく風のあたらない、建物と庭木の間で試している。
夏実が言っているのは、一時間で火を点けた線香が十センチメートル燃えた、ということだ。
「八十センチかぁ、長いわね。そんな線香を立てて、倒れたら火事になるかもしれないね。天井から吊り下げる方がいいのかな」
蚊取り線香は、除虫菊の花の粉、日本に自生しているタブノキの皮の粉、それにご飯を潰して作った糊を混ぜて作っている。
仏壇で使う線香と同じ作り方だ。色は薄い茶色だった。
遠くで慈観寺の鐘が『ごぉ~んっ』と鳴る。
「もう、終わりの時間かぁ。明日から休みだから、家で試してみるか」そう呟いた。
夏実が円錐、サイコロ形、球形などの蚊取り線香を試してみる。燃焼速度にたいした変化はなかった。火が点きにくくなるだけだった。思いっきり押しつぶしてみると、少し速度が遅くなったが、ほんのわずかだった。
「夏実姉ちゃん、何やってるんだ」近所の男の子が二人やってきた。庄太と猪助という。
夏実の実験用に雀を捕まえてきた子供だった。
「長い時間燃え続ける線香を作ろうとしているのよ」
「何で長い時間燃やすんだ、線香なんか時間が短い方がいいだろう」
「それは、まあ、お寺で法要するときは、短い方がいいわね。でも、これは蚊取り線香といって、一晩中燃え続けないといけないものなのよ」
「一晩中かぁ、そりゃあ長いな」
「それで、蚊が取れるのか」
「取れる、というよりも、蚊が死んでしまうのよ」
「すげえな」
「一晩中燃えるためには、どれくらいの大きさが必要なんだ」
「いまのところ、これくらいよ」
夏実がそう言って、傍らを指さす。そこには線香の材料を平たく伸ばした餅みたいなものがあった。
夏実が練った線香材に鋼の物差しを当て、小刀で八十センチ程の細い紐を作る。まだ乾燥していないので柔らかい。
「長いな」
「うん、そうだな。こんなの、家の中で燃やすのか。火事になるぞ」
「そうなのよ」
「これ、手に取ってもいいか」庄太が言う。
「いいわよ」夏実が一本渡す。
「俺にも」
夏実がもう一本切って猪助にも渡した。
「まだ、柔らかいな。曲がるぞ」
「そうだな、おっ、曲げすぎるとヒビが入るぞ、あぶない」そういって猪助がヒビの入ったところに涎をなすり付けて、ヒビを消す。
「猪助、どうだこれ。普賢菩薩様の乗り物だ」そういって庄太が見せる。線香を折り曲げて象の一筆書きのようなものを作った。
「おっ、やるな。それじゃあ俺はこうだ」猪助も器用に線香を曲げ、虎の形をつくる。
「慈観寺の襖の虎だ」
「やるな。今にも飛び掛かって来そうだ」
「夏実姉ちゃん、もっと線香くれよ」
「だめよ。これはまだ貴重な物なんだから。あげられないわ」
「ちぇっ、ケチ」
「夏実のケチ。じゃあいいや」
そういって二人が走り去っていった。
一筆書きの象と虎が残った。夏実がよく見てみると、象の方は、一方の端が真ん中にあった。そこを持ってすこし摘み上げてみる。
「これは、いい具合かもしれないわね」そう言って虎の方をみる。
端の位置をずらして、これも中心あたりに持ってきた。そして、それぞれの端に小枝を使って穴を開けた。
「これで乾燥させてみるかっ」そういって、形が崩れないように、木の板の上に線香を移動させ、外縁の端に置いた。
乾燥を待っている間に、線香台を作ることにした。五センチ四方の小さくて薄い板に、短い釘を打ちこんで、逆さにする。ケガをしないように釘の先を叩いて潰した。
「あとで改良することにして。今のところはこれで代用しましょう」
台を作っているうちに、もっと簡単に線香を作る方法を思いつく。五十センチ四方くらいの薄い板を倉の隅から持ち出してくる。真ん中に二本並んで、さっきと同じ短い釘を打ち付け。これも先端を裏側に出す。
線香の素を二本切り出して。それぞれの端を釘に刺した。そして、それを回して二本一緒に巻き付ける。全部を巻き付け終わると、現代の蚊取り線香のようなものが出来た。
これも、さきほどの板の隣に置き、乾燥させることにした。
「所長っ、これどうですか」夏実が乾燥させた渦巻型の蚊取り線香を見せる。
「おっ、ずいぶんと小さくまとまったな。これで長さは何センチになるんだ」茸丸が感心する。
「はい、これでも八十センチあります」
「たしか、一時間で十センチ燃えるって言っていたな。ということは八時間、一晩中燃やすことが出来るのか。それはいい」
「はい、これならば、大きめのお皿に置けば大丈夫なんです」
「で、この二つはなんだ。象と、虎か」
「そっちは、近所の子供が作ったんです。最初はその形だったんです」
「なるほどなぁ、これはこれでいいかもしれない」
「この形に作るの、大変じゃありませんか」
「いや、これを鍛冶丸に見せれば、『抜き』の型を作ってくれるだろう」
「それだと材料が無駄になるんじゃあ」
「大丈夫だ、外側は戻して、もう一度練り込んでしまえばいい」
「なるほど」
象と虎の形の蚊取り線香は、東南アジア、インドで人気が出た。
本物の蚊取り線香ではありませんが、似たような作品があります
『新美ブログ 2014年10月8日 蚊取り線香』
『』の中をコピぺして、ググってみてください。
また『ケチ』という言葉は室町時代には別の意味で使われていたようです。いろいろ言い換えてみたのですがうまくいかず、そのまま使うことにしました。




