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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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ビタミンC

 翌日もモザンビークの『領主様』がヴァスコ・ダ・ガマの乗るサン・ガブリエル号にやってきた。彼は二人の水先案内人を連れて来ていた。二人とも黒人で、船乗りだということだった。

「領主様、感謝いたします。一人当たり金三十枚でいかがでしょう」ヴァスコが価格を提示した。

「金三十枚とは、どれくらいになるのか」と、領主様。

「これが我々の金貨です」そういって、一枚のクルサード金貨を出した。領主様が部下を呼び出して、その金貨の重さを計らせた。

「我々のミスカル金貨の八割くらいということか、ならば四十枚でどうだ」領主様が価格交渉する。

「それは、高すぎる」ヴァスコが言う。

「まあ、そういうな、このような物も持ってきたぞ。前回来た時に見回したところ、失礼だが貴兄の船には『船乗りの病』にかかっている水夫が多いようだ。あの病の薬になる」

 そう言って、領主様がやってきた小舟から幾つもの木箱を甲板上に持ち上げさせた。


 蓋を開けると、オレンジやレモンが入っていた。


 領主様が言っていた『船乗りの病』とは、『壊血病かいけつびょう』、つまりビタミンCの欠乏症のことだった。

 当時のポルトガル人はビタミンCなど知らなかった。長く船に乗っていると発症して、陸に上がると自然に直る病気と考えていた。


 しかし、人間の体は良く出来ていて、自身に不足している物質を自然に欲しがる。食後に甘いものを食べたくなるのは、食事により不足するビタミンCを求めているのだそうだ。

なので、食後に果物を食べたくなる。現代人はその本能をごまかして、ケーキなどを食べてしまったりするが、逆効果だという。


 上甲板に積み上げられた新鮮な果物は魅力的だった。ヴァスコは金三十六枚で合意した。


「領主様、感謝します。ところで、我々は薪と真水も必要としています」

「ああ、それならば住民に頼めば、いくらでも譲ってくれるであろう。彼らが求める代金を支払ってやればよい」

「承知しました。では、我々の方で舟を出して買い求めさせていただきます」

「そうするがよい、ところで、その方達の宗教についてじゃが、その方達のクルアーンはどのように装飾されているのか、見てみたい。さぞや見事であろう」

 クルアーンとはコーランとも言う。イスラム教の聖典だ。豪華な装丁そうていをなされることが多く、革張りや木の表紙に金箔や宝石を使って幾何学模様をあしらう。

 字体も工夫を凝らされることが多く、各節の終わりには、様々な模様が施される。

 その装飾は、地方や民族によって様々だ。


 その装飾が見てみたいというのだ。


「我々は海に出る時には宗教に関する物は持参しません。聖なる物が海に沈んでしまうのが許せないからです」ヴァスコが、しれっと言った。聖書も讃美歌カードも持ち込んでいる。船の船首像からして『聖ガブリエル』、大天使ガブリエルだった。

「しかし、私たちが持参していきた武器ならばお見せできます。強いいしゆみを持って来ていますので、発射してみせましょう」

 そう言って屈強くっきょうな士官に弩を持ってこさせる。彼はハンドルをギリギリと回してつるを張り、見たこともないほど遠くに矢を飛ばした。

 領主様が驚嘆して喜ぶ。

「こりゃあ、すごい。あんなに遠くまで飛んでいったぞ」矢が落ちた海面を指さして言った。




 ヴァスコは水先案内人を手に入れた。二人もだ。当時の航海では、不足の事故や病で人が失われることがある。保険のために二人の水先案内人を雇った。二人はカレクト国、すなわちインドに到達するための鍵だった。ぜひとも確保しておかなければならない。

 ヴァスコが二人の案内人に言った。

「地上に用事ができても、二人のうち、どちらかが常に船上にいなければならない」


 二人は数日船上で過ごした。そして、なにか様子がおかしいことに気付く。彼らはこの海域について、ほとんど何も知らない。日に五回行われるべきサラートという礼拝をおこなわない。彼等の礼拝は朝晩の二回だけで、それも簡単なものだった。彼らが塩漬けにして食べている肉は、食べたことの無い肉だった。これは豚の肉なのではないか。そう思うと恐ろしくなってきた。こいつらはキリスト教徒なのではないか。


 二人のうち、一人がそのことを島に知らせに行くことにした。


 翌日、ヴァスコの部下がモザンビーク島の向こうの村に水や食料を買いにいくと、数隻のボートが出てくる。ボートには武装した男が乗っていて、襲い掛かってきた。

 ポルトガル人は、しかたないので弩と銃で応戦し、追い払った。彼らが船に戻りヴァスコに報告すると、司令官は衝突を避けるために沖の小島まで後退した。

 なぜ、こんなことになったと考える。船内を調べてみると水先案内人の一人がいなかった。そういうことか。ヴァスコが事情をさとった。


 正体が見破られた。ならば強引に案内人を取り返し、水などを補給し、出港するしかない。


 彼には関係を修復する、という考えは思い浮かばなかったようだ。冷静に考えれば、宗教の違い程度で補給を断ることはない。アジアのイスラム教徒は中国人、仏教徒、ヒンドゥー教徒ともうまくやっている。この地のイスラム教徒もキリスト教徒を仇敵きゅうてきだと思っているかもしれないが、直接戦った経験はない。

 今回の衝突も、領主様が艦隊を出してきたわけではない。本土の住民が数隻の小舟で襲ってきただけだった。豚肉を食わされた水先案内人は怒りまくっていた。

 キリスト教徒がインド洋に出てくれば、イスラム商人は面白くないだろうが、せいぜい面白くない、と言う程度にすぎない。イスラム商人は多様な人種、宗教と商売をしてきた。それがひとつ増えるというだけのことだ。もし、キリスト教徒が平和裏に交易するならば。


 しかし、イスラム教徒を仇敵としているヴァスコ達ポルトガル人は、そうは考えない。彼等にとっては、イスラム教徒は打倒すべき不倶戴天ふぐたいてんの相手だった。


 これが三月十日のことだった。


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