魚雷艇 (ぎょらいてい)
片田は『レパントの海戦』というものについて、現代に戻っていた時に調べていた。片田のいる時代より七十年程の未来、一五七一年におこなわれた海戦だった。
当時、東地中海沿岸はギリシアのあるペロポネソス半島も含め、オスマン・トルコの支配地となっていた。その中でキプロスとクレタ島だけが、キリスト教国の橋頭保としてヴェネツィアが押さえていた。
そのうちのキプロスが、オスマンに奪われる。
このままでは、クレタ、そしてアドリア海までトルコの支配下になるかもしれなかった。
危機感を持ったヴェネツィア、ジェノバ、教皇、そしてスペインが神聖同盟をなし、オスマンの海軍と対決することにした。
参加した船舶はキリスト教国側がガレー船二百余りと、ガレアスという浮き砲台や補助艦艇など合わせて三百隻。オスマン側もほぼ同数であった。
片田のいる時代でも、キリスト教国側は相当の建艦能力を持っていたに違いない、片田はそう考えた。
例えばヴェネツィアのアルセナーレ(英語ではアーセナルという)は一一〇四年に設置された国立造船所だ。ここではライン生産方式が採用されていて、最盛期には一日一隻のガレー船を就航させることが出来たという。
村上雅房がピサのユダヤ商人達に尋ねると、ヴェネツィア程の規模ではないが、同様な造船所は、バルセロナ、セビリア、ナポリ、メッシナ、パレルモにもあるという。
これから、片田商店艦隊と対決するであろう地中海の艦隊とはそれほどの規模だった。それに対して片田艦隊が、はるばる航海して大西洋、地中海に展開できるのは、せいぜい二十から三十隻だろう。
なので、多数のガレー艦艇を相手にできる武器が必要だった。片田が『水雷艇母艦』と呼んでいるものが、その武器だった。四九六話、『金剛』回に登場している。
半導体が量産できるようになった。半導体といっても現代のような超集積回路ではない。一九六〇年代のICと呼ばれていたころの半導体である。
しかし、これにより無線機が小型化し、振動にも強くなった。製造単価も、真空管の頃に比べたら格段に安い。
トランジスタ・ラジオという製品に近い。
数百メートル程度の通信距離の無線受信機であれば、現在のスマートフォンサイズで実現できる。
鍛冶丸達が、噴進砲弾を改造して、水上を高速に走行する魚雷を考案した。砲弾が小さな細長い船の上に載せられているようなもので、全長が三メートル、全幅五十センチメートル程の大きさだ。
推進薬は、噴進弾よりさらに燃焼速度を遅くしたものに変更した。
一般に黒色火薬を爆薬に使用する時の成分比は、硝石七十五、木炭十五、硫黄十程度である。
硝石の燃焼で発生する酸素が燃焼中の木炭を囲むことにより爆発的な燃焼が発生し、二酸化炭素、窒素などの気体を大量に発生させる。それが爆発だ。硫黄は燃焼促進剤の役割を果たす。導火線のようなものだ。この促進剤を少し減らせば燃焼速度が遅くなる。
これが噴進砲弾の推進薬の場合には硝石七十、木炭二十五、硫黄五にしてある。
水上魚雷の場合にはさらに硫黄を減らし、比率を三にした。
船首側五分の一の部分に鋼鉄殻に包まれた爆薬を置く。先端に感度を鈍くした信管が取り付けられている。感度を鈍くしたのは、水面に当たった程度では起爆しないようにするためだ。
残りの五分の四を推進薬にした。これが点火されると船尾方向にガスが噴き出して推進力が得られる。
三十ノット、時速約五十キロの最終速度が出た。推進薬は二十秒程で燃焼し終わるので、射程三百メートルの魚雷が出来たことになる。
船尾下部に小さな舵が付いていて、無線受信機で進行方向を制御できる。
淡路島の南、福良港。
湊の中に煙島という島があることは、以前に書いたその東に砂州がある。その砂浜に弓道の的のような板を付けた棒が四本立っていた。
砂州から離れた所に、鉄丸が操縦する魚雷艇が浮かんでいる。艇は全長六メートルと小さいが、左側にアウトリガーが延びているので外洋を航行する舟だろう。
艇の左右に二本ずつ魚雷が取り付けられている。
鉄丸は片手で持てるような大きさの無線送受信機を腰につけ、ヘッドセットを付けて船外機の脇に立っていた。
「鉄丸、一番魚雷で一番右の的を狙って発射してみてくれ。距離は百だ」ヘッドセットから鍛冶丸の声がした。鍛冶丸は砂州の上に立っていた。
「わかったよ、爺ちゃん。銅丸、一番発射用意、的は一番右だ」
「用意よし、兄ちゃん」
「よし、発射」
「一番、発射」銅丸が一番のボタンを押す。右端の魚雷を支えていた爪が外れ、同時に推進薬が点火した。
「あちち」船尾の鉄丸が言った。「もうちょっと魚雷を離したほうがいいかも」
一番魚雷が急速に加速していく。銅丸が一番ボタンを左右に回す。ダイヤルにもなっているようだ。魚雷がわずかに蛇行する。
「魚雷、制御下にある」銅丸が叫ぶ。
「よし、右の的に向けろっ」鉄丸が叫び返す。
砂浜の的は、二人の真正面にあったので、ほとんど向きを変更する必要が無い。銅丸がわずかに修正した。
魚雷が砂浜に乗り上げる。模擬弾なので、爆発はしない。ロケットはまだ燃焼している。十秒以上そのまま燃焼を続け、やがて消火した。
「よし、ほぼ真正面に当たったようだ」鍛冶丸が言う。
「やった」船上の二人が言った。
「では、三百メートル離れて、もう一度発射してみてくれ」
魚雷艇が旋回して離れていった。鍛冶丸が傍らの測距儀を覗き込む。
「よーしっ、そのあたりが三百メートルだ」鍛冶丸が言う。沖の水雷艇が旋回した。
「次は四番だ。一番左の的を狙ってみてくれ」鍛冶丸が言う。
「次、四番だ。的、一番左。今度は船首をすこしずらしてみよう」鉄丸が言った。鉄丸は船首を砂州から三十度位、左に傾けてみた。
「わかったよ。用意よし」
「発射」
四番魚雷が湾口に向かって進んでいく。
「向きを変えてみてくれ」鉄丸が言う。
「いいよ」そういって、四番ダイヤルを慎重に右に回す。魚雷が向きを右に変えて進む。
四番魚雷は砂浜の少し手前で推進薬が無くなり、的から右に八メートル程離れた所に乗り上げた。
「八メートル程左、いやそちらから見たら右にずれたぞ」
「八メートル、ズレたそうだ。これじゃあ敵艦に当たらない」そういって鉄丸が銅丸にヘッドセットを渡す。
「爺ちゃんかい。三百メートル離れると、ほとんど魚雷が見えない。この距離で当てるには、
双眼鏡を持たせるか、魚雷の上に赤い旗のような目印を立てるしかないよ」銅丸が言った。
「そうか、なるほど。ほぼ海水面と同じ高さで見ているから、そうかもしれんな。よし、わかった。じゃあ、百メートルまで戻ってこい。次は旋回性能を試してみよう」