虚栄の焼却 (Falò delle vanità)
二月の七日になった。カーニバルの最終日だ。シニョーリア広場に集まった人々の歓声があがる。子供達の歌声が、天に届くかのように、澄みわたる空に響く。市庁舎のラッパの音、鐘の音。
“贅沢を避けよ、淫蕩を止めよ、古代の異教に身を任せるな”
集まった人々は、サヴォナローラの教えに従って、そう繰り返し誓った。
ヴェネチアあたりから来た商人だろうか。子供達が集めてきた物を指さして、しきりに役人を口説いている。高価な絵画などを売ってくれ、と言っているのであろう。衛兵がやってきて、その男を羽交い絞めにする。
壁画職人の男が、素早くヴェネチア商人の似顔絵を描いた。
「それを、どうするんじゃ」商人が叫ぶ。
「どうするって、あの悪魔の山のてっぺんに、お前の似顔絵を突き刺してやるよ」
さすがに商人が黙った。あきらめたようだ。
この日は、塔掃除の仕事は休みだったので、シンガ達三人も広場に来ていた。三人は、まだ彫刻など並べられていないロッジア・ディ・ランツィから遠巻きにして見ていた。
夕方になり、祈祷が行われた。
積みあがった悪魔を背にした即席の説教壇が整えられる。その壇にサヴォナローラが登った。
教会に入れない三人が、初めてサヴォナローラの説教を聞く。そして、あの有名な説教が始まった。
「この世には、血の滴る傷口が無数にあるのに、誰もそれを癒そうとしません。それどころか医者であるはずの僧侶自身が、隣人の魂を殺すことに専念しています」
「彼らは神を捨てました。彼らの唯一の務めは、夜に女と戯れ、昼は祈祷席でおしゃべりをすることです。祭壇のほうは彼らの商売の場になりはてました」
「主はおっしゃいました。来よ、悪しき教会よ、私はお前に、こよなく美しい飾りものを送った。それをお前は偶像に変え、お前を太らせる餌にしている。お前は秘跡を金儲けの種にしてしまった」
「穢れた教会よ、その昔お前は、自分の肥えた腹と色情を恥じたものだ。それが今はどうだ」
「昔は僧侶は自分の子供を甥姪と呼んだ。今はどうだ、甥姪どころか、どこから見ても彼らの子供だ」
である。シンガ達にはピンとこない。しかし、これは明らかに時の教皇アレクサンデル六世、スペイン出身のロドリーゴ・ボルジアのことを言っている。フィレンツェ人は皆それを知っている。
アレクサンデル六世は生涯にチェザーレ・ボルジアやルクレツィアなど、十人の子供を持った。
周囲のフィレンツェ人達が動揺しているのが、シンガにもわかる。
「院長様がおっしゃっていることは、そのとおりだ」
「ああ、だが、これでは教皇様から破門されてしまうかもしれん」
「院長様が破門されると、俺たちはどうなるんだ」
「さあ、禁教令(Interdetto)が出されるかもしれん」
禁教令とは教皇や司教などが発するもので、特定の地域や団体に対して、ミサ、結婚などの教会行事への参加を禁止することを言う。
目的は懲戒、政治的圧力、教会権威への服従を強いる、などであり、しばしば発行されている。
日が落ちて、西の空が赤黒い。周囲に闇が迫って来る。
しかし、フィレンツェ人達の懸念は、次の瞬間にかき消される。ボッカッチョの『デカメロン』という本に松明が当てられ火が点く。それが七段の台に積み上げられた悪魔に向かって投げられたからだ。
『デカメロン』は、性的描写や宗教批判といった内容のため、中世以来たびたび焚書の対象になった。歴史上最も燃やされた本かもしれない。
それを合図に台の周囲に立つ八人の衛兵が松明を台にあてた。
広場に集まった観衆が熱狂する。その顔が炎に赤く照らされる。
子供達が金切り声を上げる。市庁舎の屋上からラッパが響き、塔の鐘楼で鐘が打たれた。
「なんか、もったいないね」シンガが言った。
「ああ、あそこまでしなくともよさそうなもんだが」と、新藤小次郎
「ムッ」とだけ言ったのは、大男の高山の次郎五郎だった。