カーニバル
恩を忘れた人びとよ
あなたがたは掛け声にだまされて
偽善者のあとについてゆく
だがあなたがたのむなしい夢を
神がささえてくれなければ
いつか憂き目をみるだろう
フィレンツェ近郊の田園詩人ジロラモ・ムーツィの詩である。彼はこの詩の複製を作り、ある男を使ってフィレンツェの人目につくところに張り出させた。男は市庁舎や大聖堂の扉に、これを掲示した。
そして、一部は、ご丁寧にもサヴォナローラ本人に送りつけた。
『偽善者』がサヴォナローラを指していることは、当時のフィレンツェ人にとって、明白だったようだ。
一四九七年一月十六日、フィレンツェの『八人委員会』が、ジロラモ・ムーツィに有罪を言い渡した。
ムーツィは監獄送りになり、六十金フィオリーノ(フローリン)の罰金と五年間の行動制限の罰が言い渡された。
一金フィオリーノは金三.五グラム相当だから、金一グラム一万円とすると、二百十万円に相当する。
しかし、シンガが一日塔の掃除をしてもらえるのが十ディナーロだった。一フィオリーノは二百四十ディナーロなので、毎日休みなく働くとしても、六十フィオリーノ稼ぐには四年かかる。そうしてみると、かなりの罰金といえるだろう。
ジロラモ・サヴォナローラがフィレンツェの精神的支柱になって、三年が過ぎた。彼はフィレンツェを強権的に支配しようとはしていない。市民と修道士は異なる、それを分かっていた。
強権的ではなかったが、その指針は極めて禁欲的であった。キリスト教徒らしく、つましく暮らし、善をなし、天国に召される。
それを市民に求めた。彼に心酔する者は、それに従う。しかし、そのような暮らしに不満を持つ者も多かった。
田園詩人ムーツィを処分した『八人委員会』はフィレンツェ市民により選ばれ、外交・警察・行政の指導を行う。二か月という時限のある役職で、この時は熱狂的なサヴォナローラ崇拝者である、フランチェスコ・ヴァローリが政務長官だった。
ちょっと、やりすぎかもしれない。
一月の終わりには、翌月に始まる謝肉祭への期待で盛り上がる。
カトリック教徒には復活祭という特別の祭日がある。イエス・キリストが磔刑に処されて三日目に復活したことを記念する行事だ。この日は、太陽暦では毎年一定の日付に決まってはいない。太陰太陽暦のユダヤ歴によって定義された日だからだ。
カトリック教会の暦で定義すると『春分の日の後の最初の満月の次の日曜日』になるのだそうだ。これは三月の二十二日から四月二十五日の間のどこかの日曜日に相当する。
話が脱線するが、毎年復活祭の日が変化するので、面白い使い方が出来る。
モーリス・ルブランの『奇巌城』という作品がある。アルセーヌ・ルパンが活躍する小説だ。この小説が西暦何年を舞台にした小説なのか、復活祭の日付でわかるかもしれない。
冒頭近くで、探偵役のイジドール・ボートルレが高校生であることを白状する場面だ。
堀口大學訳、新潮文庫版によると
「今日は四月の二十三日です、春休みの最中です。」
と、なっている。当時は「」のなかにも句読点を打ったらしい。堀口大學先生は、復活祭などと書いても大多数の日本人には、なじみがないので『春休み』と訳した。
フランス語のテキストが見つからなかった。英語版で同一箇所は、
「this is the twentythird of April and that we are in the middle of the Easter holidays.」
となっている。
一九〇五年の復活祭日曜日は四月二十三日、一九〇八年は四月十九日だ。もし、 the middle of を強調するならば、物語の舞台となった年は一九〇五年ということになる。
ルパン愛好家は一九〇八年説が多いようですが、さてどっちだろう。
話、戻ります。
カトリック教徒は復活祭の前の四十六日間を『四旬節』として、肉食などを控える。そのため、四旬節の前に謝肉祭をおこなって、ドンチャン騒ぎをする。それがカーニバルだ。
一四九七年のフィレンツェのカーニバルは二月一日から七日だった。しかし、シンガ達が市庁舎に向かう途中で見たフィレンツェは浮かれていなかった。
橋を渡っても、路地を歩いても祭りと言う感じはしない。それどころか、時々押し込み強盗に入られたのではないか、という物音が両側の家から聞こえる。
塔の清掃という目立つ仕事をしているので、シンガ達三人は、すっかり有名になっている。『塔掃除のタルタル・トリオ』、『善良な解放奴隷』などと言われているので、護衛なしでもフィレンツェの中心部を歩くことが出来るようになっていた。
シニョーリア広場に出ると、材木で八角形七段の台が作られていた。そして、その上に雑多な雑貨や絵画が積まれていた。
「なんだ、これ」シンガが言う。
「さてな、ずいぶんと、けっこうなものも混じっているようだが」大男の高山の次郎五郎が言う。彼が『けっこう』なものというのは裸婦が描かれた絵画やスケッチのことだ。
「たしかにな、野晒しにするには、ちと惜しいものばかりだ」これは新藤小次郎だ。
他にも姿見の鏡、トランプカード、サイコロ、遊戯盤、露出度の高そうな女性の衣装などだ。ボッカチョやペトラルカの絵画があったとする歴史家もいる。
あの、『プリマヴェーラ』や『ヴィーナスの誕生』を描いたサンドロ・ボッティチェッリの作品の現存数が少ないのは、この時に集められたからなのではないかという説を唱える学者もいる。あるいは、ボッティチェッリ自身が、手元にあった自分の絵画を差し出したという説もある。
それが真実かどうか、わからないが、サヴォナローラ以降、ボッティチェッリの作風は大きく変わり、率直に言えば、つまんなくなる。これだけは、間違いない。
大人に護衛された子供たちが集まっては、その台に艶な品々を積み上げていく。
「わっ、臭い、これも悪魔だ」子供が香水瓶の匂いを嗅いでそう言い、中身を台にぶちまける。
「この白粉も変な臭いがするぞ、これも悪魔だ」そう言って、台に投げ込む。
台が七段なのは、『七つの大罪』をあらわしているのだそうだ。
護衛する大人は、『泣嘆派』という、サヴォナローラの支持者だ。多くはサン・マルコ修道院の修道士だった。泣嘆派という名前は彼らが自らの罪と世界の罪を嘆いたということに由来する。
「これ、どうするんだ」シンガが子供達に尋ねる。
「これはみんな、悪魔だ。だからカーニバルの最終日に全部燃やして、悪魔祓いをするんだよ」幼い声が得意そうに言った。
子供達の声は無邪気だった。けれどシンガの背筋は凍り、なにかとても嫌な気分になった。