塔の掃除
西暦一四九七年二月のフィレンツェ。現在ヴェッキオ宮殿と呼ばれている、当時の市庁舎の東に真新しい五百人広間が建設中だった。
既に壁と天井は出来ていて、現在は内壁に漆喰を塗る作業が行われている。
床の煉瓦は、去年のうちに敷き詰められていて、フィレンツェ市の評議会はすでにこの広間で開催されている。
朝、この広間に日雇いの仕事を求める男達が集まっていた。
「今日の作業は漆喰塗りと、内装建材の搬入だ。それと、アルノルフォ塔の清掃作業もある」親方が男達に向かって言う。
「まず、人気の無い、塔掃除から希望者を募る。誰かやりたい者はいるか」
このアルノルフォ塔は九十四メートルもの高さがある。フィレンツェに数ある塔のなかでも、特別の高さだ。上の方までバケツで水を運搬し、洗い流すのは大変な作業だった。
十三世紀のフィレンツェには、たくさんの塔が建っていた。都市の有力貴族が競って市内に塔を建てた。市中に置かれた私的な要塞のようなものだった。
当時の貴族は、この塔をよりどころにして、市内で争うことが多かった、そこで一二五〇年に、教皇派政権がすべての塔の高さを五十ブラッチョ(二十九メートル)に制限した。
これにより、市中の塔は、切り詰められた。
この名残は、フィレンツェの中心部に幾つも残っている。
大聖堂の近くに建つ、半円形のトッレ・デッラ・パッツァはホテルになっている。そこからコルソ通りを東に進み、次のボルゴ・デッリ・アルビジ通りの突き当りにはトッレ・ディ・ドナーティがある。ダンテの母方の家系であるドナーティ家の塔だった。
他にも、探せば幾つもある。これらはみな切り詰められた塔だ。
しかし、唯一、アルノルフォ塔だけは、市庁舎であるということで切り詰められなかった。
「俺達がやってもいい」三人組の男達の一人が言った。
「おっ、タルタル・トリオかい。またやってくれるのか、嬉しいねぇ」親方が言った。
タルタル・トリオとは、シンガと彼の仲間の二人の東洋人のことだった。
当時のフィレンツェにも東洋人はいた。タルタルあるいはタタールとは、フィレンツェではモンゴル人という意味だが、東洋人をすべてタルタルと呼んでいる。
親方は彼らのことを、東方から連れてこられた元奴隷だと思っている。奴隷が主人の許可で自由人になることも、よくある。
「ただ、前回やってみて、水運びがすごく大変だということがわかった」
「それで」
「少し道具を作ってきた。車井戸の釣瓶みたいなもんだ。それを使わせてくれ」
「何を持ってきた」
「長いロープ、手桶、車、鉄棒なんかだ」そういって地面を指さす。
「また、ごつい手桶を持ってきたもんだな。あんまり水が入らないんじゃないか」
「そうなんだけど、こうすると二つの手桶が釣り合って、持ち上げやすくなるんだ」
「なるほど、それはそうだな。よし、その道具を持ち込んでよいから、塔掃除の仕事をやってくれ」
集まってきた男達がホッとする。塔掃除のやり手がいない時は、籤引きになるからだ。結果を拒否すると、次から仕事をもらえなくなる。
「じゃあ、後は漆喰塗りと建材の運搬だが……、あ、修道院長様」親方が集まった男達の背後を見て言った。ふりかえると黒いマントを着た聖職者がいた。振り返った男達がみな、帽子を取って胸に当て、頭を下げる。
痩せて、何かを思いつめるような顔をした男だった。
「あの人、誰」シンガが隣のフィレンツェ人に聞く。
「あの方は、サン・マルコ修道院の院長様だ」
“あの人が、サヴォナローラさんか”シンガが思った。シンガ達はカトリックではなかったので、教会や聖堂に入ることは出来ない。従って、サヴォナローラの説教を聞いたこともなかった。
サヴォナローラは工事の進捗を確認して、すぐに出ていった。
シンガと二人の男が、持ってきた道具を担いで塔を登っていく。一人は大男で、高山の次郎五郎という。もう一人は新藤小次郎と言う名前だった。それぞれ藤林衆の高山太郎四郎と新藤小太郎の息子だった。
トスカーノ(トスカナ方言)は、まだうまく話せない。
子供の頃に、西洋中世の『お城』の絵を描いたことがあるかもしれない。そのとき、かならず屋上にギザギザを入れるだろう。あれを狭間という。兵は城壁に身を隠し、狭間から敵に矢を放つ。この狭間の作り方に作法がある。
一つは教皇派で、もう一つは皇帝派だ。教皇派は長方形を並べたような形をしている。子供が描く絵の城の狭間はこれだ。もうひとつ燕尾型といわれるツバメの尾の形をした狭間がある。これが皇帝派だ。上に延びた城壁の真ん中が窪んでいる。
ヴェッキオ宮殿は、両者の狭間が混在する建物だった。建物本体の屋上は教皇派狭間、塔の先端部分の狭間は皇帝派狭間になっている。
これは、もともと皇帝派が建てた塔の周囲に教皇派市民が市庁舎を増設していったので、このようになったと思われる。
燕尾型の狭間の窪みに鉄の棒を置き、車輪を取り付ける。外れないように車輪の内径より大きな留め具を先端に嵌めた。棒を置くのは広場とは反対の中庭側だ。そして、手桶にロープを結びつけて中庭に降ろし、ロープを車輪に回し、反対側にも手桶を付ける。
鉄棒の反対側を鐘楼の梁に当てて固定する。
小次郎が塔を降りて中庭に出る。現代では噴水になっていて、イルカに乗った天子の像が置かれている。
彼等の時代には、ここに井戸があった。
井戸に備え付けの桶に水を汲み、上から降りてきた手桶に水を入れた。
あとは上にいる次郎五郎が空の手桶を、体重を掛けて押し下げれば水入りの手桶が上に上がっていく。
これだけでも塔の階段を上り下りするよりは、よほど楽だった。
加えて、ゼット型のクランクを取り出して来て、狭間のところに万力で取り付ける。ゼットの下の横棒にロープを三回巻き付けて回転軸にする。上の横棒を手で回す。
ゼットの上の角を狭間の石に引っかけると、回転が止まる。
「これなら、シンガでも手桶を持ち上げられる」次郎五郎が言った。
一日の仕事が終わって、帰り際にシンガが親方に言う。
「あの水汲みの手桶やロープなんかなんだけど、またやる時の為に、塔の上に置いて行ってもいいかい」
「またやってくれるのかい。ありがてぇ。ああ、置いていってもいいぞ」




