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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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超弩級戦艦 (ちょう ドきゅう せんかん)

 日英同盟締結の翌日。みなが二日酔いの頭を抱えて会議にのぞんでいた。

「窓の外にある戦艦、名前は『金剛こんごう』といいますが、あの金剛級戦艦を提供することもできます。同盟に基づいて」片田が言った。


 片田達の金剛は喫水が七メートルあった。グリニッジ宮殿のあるあたりのテムズ川は水深が十メートル以上あるので、ここまではさかのぼることができる。

 ただし、遡れるのはこのあたりまでで、ロンドン塔までいくと水深は七メートル以下になる。

 彼らが会議している部屋の北窓から金剛の姿を見ることが出来た。


「あれと同じ艦を売ってくれるというのか」イタリア、ジェノヴァ出身のジョン・カボットが言った。現在はイングランド王室に仕えている航海者だ。

「いくらぐらいするのだ」王室の財政責任者のサー・レジナルド・ブレイが、すかさず尋ねる。

「金で十七.三トンです」

「トンとは、何だ。トロイポンドではいくらになる」

「四十六万トロイポンドになります」通訳が説明する。

「四十六万だと、到底とうてい買える額ではない」

「最初の一艦は、無償で提供します」

「無償か。ところで、巡洋艦と言っているのは、金でどれくらいだ」レジナルド・ブレイがさらに尋ねた

古鷹ふるたか級ですか、あれならば金五トンになります」

「ならば、巡洋艦三隻を無償で提供していただいた方が良い。一隻だと万一沈んでしまえば、それで終わりだ」イングランド人達がそれもそうだとうなずく。確かに巡洋艦でも、ヨーロッパ海域に浮かぶどの艦よりも強力だった。

「ならば、巡洋艦三隻を無償で提供することにしましょう」片田が言った。


 金十七.三トンという値段は、一九一〇年に日本が『金剛』をイギリスのヴィッカース社に発注したときの価格をもとにしている。当時の契約価格が二三六万ポンドだった。

 一九一〇年といえば、イギリスは金本位制きんほんいせいの時代だった。ポンドと金の相場は固定されている。一ポンドのソブリン金貨は重量約八グラム、純度は九十二パーセントだった。つまり一ポンドは金七.三六グラムに固定されていた。ここから十七.三トンとした。

 仮に金一グラムが一万円だとすれば、一キロが一千万円、一トンが百億円だから、千七百億円程になる。


 二十世紀の超弩級戦艦と室町時代の木造船を同一価格にするのは、乱暴な話だ。

 しかし、一五〇〇年頃の食料品価格は二十世紀より高い。人件費も高くなる。工作機械も限られていて、手間がかかる。加えて当時のヨーロッパに風上に航走できる船は、イングランドの持つ『ユニオン・ローズ』(旧名は那珂なか)だけだった。

 希少価値としては、こちらの方が高い。

 値段の付けようがないものなので、とりあえずこのように置いてみた。


 巡洋艦が三隻も手に入れば、『ユニオン・ローズ』は解体してもいい。解体して構造を理解すれば、イングランド国産のユニオン・ローズ級を生産できる。レジナルド・ブレイはそう考えた。




 ところで『超弩級戦艦』の話をしよう。


『超弩級』というのは、『弩級』を超えた、という意味だ。この『弩級』はドレッドノート級のことだ。級とついているが、同型艦はない。

 一九〇五年にイギリスが起工した『ドレッドノート』という戦艦のことを言う。イギリスに同型艦はないのだが、各国がドレッドノートを参考にして『弩級』戦艦を建造した。


 戦艦の概念を一新した革新的戦艦だったという。

 それまでの戦艦は帆船の戦列艦以来ともいえる、舷側の副砲が多数付いていた。ドレッドノートはそれを止め、主砲を主な兵器とした。

 主砲を五基搭載したが、その内の二基は、甲板上構造物の左右に置かれていた。なので、片舷同時発射は四基八門だ。

 そして、この八門の仰角ぎょうかく旋回角せんかいかくを艦橋から指示する艦橋官制の『斉射せいしゃ』とした。

それまでの戦艦は、各砲が個別に照準を行っていた。


『斉射』は、日露戦争の日本海海戦において日本海軍が行った方法だ。日本海海戦が一九〇五年五月で、ドレッドノートの起工が同年十月だから、日本海海戦が設計に影響を与えた可能性は低い。が、少なくともイギリス人の設計者に、斉射の有効性に対する確信を与えたことは間違いないだろう。


 もう一つ、ドレッドノートが革新的だったのは、蒸気タービン機関の採用だった。これは従来の蒸気レシプロ機関よりも軽くて、しかも出力が大きかった。

 機関が軽量だったので、重い主砲を数多く積めるようになった。


 従来型戦艦であれば、例えば日本の『薩摩さつま級』は主砲二基四門(口径三十.五センチ)、副砲六基十二門(二十五.四センチ)だった。それに対しドレッドノートは主砲を五基十門積んでいる。


 加えて出力が、薩摩の一万七千馬力から、二万三千馬力と大きくなったので、速力も十八ノットから二十一ノットと高速になる。


 敵戦艦より高速になったので、いつでも自由に戦域に出入りでき、かつ中央官制の斉射で敵よりも離れた所から砲弾を命中させることができるようになった。

 これが、ドレッドノート級がなした戦艦革命だった。


さらに『超弩級』といわれたのは、ドレッドノートの四年後、一九〇九年に起工されたオライオン級のことだ。

 主砲を三十.五センチから三十四.三センチへと大きくし、甲板上構造物を整理してすべての主砲を中心線上に置いた。これで左右どちらにも全ての砲が同時発射できるようになる。


 そして、オライオンの二年後、一九一一年に起工した超弩級戦艦『金剛』は二次の改装を経て速度三十ノット以上の高速戦艦となり、太平洋戦争では、空母の護衛として活躍する。




「他にも、燃料や飲料水などの相互提供、海上での救助なども約さなければならない」カボットが言った。

 彼は史実では二年後(一四九八年)に大西洋探検に出発し、その航海途中で亡くなる。しかし、彼の航海がイギリスのフロリダ以北の北米大陸所有権の根拠となったのだ。

 キリスト教徒達の論理では、世界のどこかで陸地を発見し、しかもそこにキリスト教徒が住んでいなければ、その土地は発見した国のものになる。


「いいでしょう。しかし、冒頭に申し上げた通り、北大西洋探検をおこなわない。このことは必ず守っていただきたい。西経四十三度より西に船を向けないことです」片田が言った。

「それは、わかったが、何があるのじゃ」カボットが尋ねる。

「もちろん、その先に大陸があります。そこの人々は、まだ皆さんを迎え入れる準備ができていないのです」と、片田。


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