帆走
風は左前から吹いてくる。安宅丸と片田は、安宅丸がとびの村から回航してきた帆船に乗っている。この第一号船は、「峯風」という名前が付けられた。
「もう少しいけるかな」安宅丸がそう言って、わずかに舵柄を右舷側に押す。これにより水面下の舵は左舷側に動く。舵は船首を左回転させる力を与え、船首が少し風上側に向く。このように船首を風上に向ける舵操作を下手舵という。
「限界かな、まだいけるかな、『じょん』、何点くらいになる」安宅丸が尋ねる。
「左六点ぐらいだろう。いいぐあいだ」前帆の上に取り付けた吹き流しを見た片田が答えた。
六点というのは、角度を表している。真北を零とし、一回転三百六十度を三十二分割している。一点は十一度十五分になる。中途半端なようであるが、以下のように考えれば納得できる。
一回転を東西南北軸で分けると、四分割である、これをさらに北東、南東というようにさらに分割すると八分割である。
さらに北、北北東、北東、東北東、東と十六分割する。最後に北と北北東の間を二分割して、これを北北東微北と呼ぶことにすると、三十二分割となる。六点は東北東であり、六七度三十分のことである。
当時の日本の船が風上に向かって走れるのは七点(七八度四五分)までであったから、峯風の逆走性能は、これらに勝っているといえる。
安宅丸が、さらに舵柄を右舷側に押した。舟は推進力を失ってしまった。
「反対舷も試してみよう」片田が言う。現在、舟は左舷開きで進んでいる。
「上手回し、用意」そういって、安宅丸は、舵を少し戻し、舟に推進力を与える。十分に速度がついたところで言う。
「下手舵」安宅丸は、そういって、舵柄を思いきり右舷側に押し、固定する。自由になった両手で、まず、主帆柱についている縦帆の縄を緩め、帆の風を抜き縦帆の下の帆桁を左舷側に回して、舟の左舷側への回転力を得る。船首が、風上に向いたことを確認する。舵柄を中央に戻す。
「主桁を回す」これは安宅丸が自分でやる。
主帆柱の横帆を張っている縄を緩め、風を抜き、左舷側の帆桁の動索を引く。帆桁は、上から見て左回転する。舟は速度を下げながら、左回転し、やがて右舷側から風を受け、まず縦帆が風を受けて張り出し。やがて主帆柱の横帆も風を受けだす。安宅丸は舵柄を左舷側に押す。
「前桁を回せ」これは安宅丸から片田への指示だ。
片田は前帆柱の横帆を張っている縄を緩めて風を抜き、同様に帆桁を左回転させる。これで、舟は右舷開きで前進を始める。
「右舷側も、右六点まではいけるようだ」片田が言った。
「縦帆でも試してみよう」安宅丸が言う。堺に来て、峯風の船首に斜め上に伸ばした桁が加えられていた。
二人は、二つの横帆を外し、バウスプリットと前帆柱の間に三角帆、前帆柱と主帆柱の間にも同様の三角帆を張った。これで、峯風は三枚の縦帆を持つ舟になった。
安宅丸は、左舷から風を受ける形で、舵柄を右舷側に押した。徐々に舵柄にかける力を強くしてゆく。船首が風上に向かっていく。
「六点でも、進んでいる。すごい」安宅丸が笑う。
帆船の場合、風上に向かう逆走性能は、他の何よりも重要な性能であった。それだけ利用できる風の向きが多いからである。ほんのわずかの差であっても、風下の岸に乗り上げて座礁してしまうか、逃れることが出来るか、生死を分ける。
「もうすこし」安宅丸が舵柄を押す。舟が推力を失うのを感じた。
「じょん、どこまで行った」
「五点(五六度一五分)までいったようだ」
「もういちどやってみよう」安宅丸が舵を戻す。舟に推力が戻る。
勢いがついたところで、また少しずつ舵柄を右舷側に押す。少しずつ、少しずつ。推力を失う。
「やっぱり五点までいけたようだ」片田が言う。
安宅丸が考え込んでいる。
「艤装を考えているのか」
「うん、進むには横帆がいいけど、逆走のためには縦帆が有利だ。どういう組み合わせにしたらいいんだろうか、考えてた」
「そうだな」
陽が西に傾き、淡路島の島影が黒くなっていた。
「帰るか」片田が言った。
「そうだね」
峯風は、堺の西の沖にいる。風は西風だった。
「前帆を張ろうか」片田が言う。
「前掛を試してみようよ」安宅丸が言った。
「あれは、気がすすまんなぁ」
「大丈夫だよ」
片田が三角帆を降ろし、安宅丸考案の前掛を拡げた。三角の帆が、峯風の前方に丸く広がる。峯風の船首がぐい、っと引っ張られるように感じた。
片田達の舟は、堺の港に向かって滑るように走っていった。




