中納言のお仕事
片田順は中納言になった。中納言とは小豆の品種のことではない。
律令制度における上級官の名前である。当初は中納言という役職はなく、あったのはその上の大納言だった。後に大納言の定数を四名から二名に減らした時に、代わりに中納言を三名置いた。なので、中納言の『お仕事』は、大納言と同じである。
では、大納言とは何をする仕事なのか。
大納言とは太政官を構成する役職である。太政官には他にも、上に左大臣、右大臣。下に参議がおり、補佐役として弁、史などの役職がある。
太政官は、軍を司る兵部省や、財務を司る大蔵省などの八省や諸国を治める国司などの上に置かれ、国全体を統括する立場である。
現代の日本でいうと、内閣官房のような位置だろう。
「養老令」によると、そのような官庁で、大納言は『庶事(諸事)に参議し、敷奏、宣旨、侍従、献替を掌る』ことを仕事としている。
「諸事に参議し」とは、国政のあらゆる事に対して議論する、ということ。
「敷奏」とは、天子に奏上すること。
「宣旨」とは、天子の御言葉を下に伝えること。
「侍従」とは、天子の御側で仕えること。
「献替」とは、天子の仰せられたことの良きことは献め、悪しきことは替けることを言う。
要するに天子の御側に仕え、諸事を上奏し、議論する。天子のご意向を受けた上で、良きこと、良からざることを判断し、国政の指針を決め、下に指示する仕事である。
太政官には左大臣、右大臣、大納言、参議などがいる。なので、片田順が欠席しても国政は進む。いままでは兵部卿だった。これは防衛大臣のような役職だ。いざというときに、不在では務まらない。
例えば、自衛隊の災害派遣にあたっては、都道府県知事等が防衛大臣に派遣要請を行い、防衛大臣が派遣命令を発出するという手続きを踏まなければならない(緊急性がある場合には要請を待たずに行うこともある)
そうすると、防衛大臣が長期に渡って不在、というのは都合が悪い。
何が言いたいか、というと、中納言になったおかげで片田順は、長期の海外出張ができるようになった、ということだ。
やれやれ、これでやっと『あらすじ』に書いた『海外に雄飛していく』という紹介文の約束を果たすことが出来るようになった。
あと、なぜ小豆の品種がなぜ、大納言、中納言、少納言という名前になったのか、について面白い話がある。これらの品種は優秀で、煮た時に豆の皮が裂けることが無い、というのが売りだったそうだ。それで、腹を切ることが無い、つまり武家ではなくて公家だ、ということで、このような名前になったという。大、中、小は豆の大きさなんだそうだ。
ゴムを手に入れたことにより、飛行艇のガソリンエンジンのガスケットから、船舶のスクリュー軸のシールドまで、ゴムが機械のあらゆる場所で使われるようになった。
液体や気体の漏れを防ぐシール材、パッキンやガスケット。防振材、絶縁材、接着剤など、ゴムは現代製品のいたるところに使用されている。
蒸気タービンの性能も上がった。ずいぶんと前のこと。小さな子供だった犬丸と『えのき』がパイプから漏れる蒸気に風車を当てて遊んでいた。それを見ていた『ふう』が蒸気タービンを思いついたことがあった。
タービンエンジンは、自動車やプロペラ飛行機などに使用されるレシプロエンジンと比較される。タービンが有利なところは、燃焼気や蒸気が羽根車を回すだけ、という簡単な構造にある。機構がシンプルで、振動が少ないし、高速回転が可能だった。
また、レシプロに比べ高出力化が簡単だった。タービンならは、羽根車を大きくする、多段化するなどで高出力化できるが、レシプロで出力を挙げようとすると、気筒の数を増やすなど、複雑性が増してしまう。
タービンならば高温、高圧に耐えることも容易で、熱効率の高い設計ができた。
飛行機がレシプロ式のプロペラ機からジェット機に代わったのが、最も目に見える変化だろう。他にも火力、原子力発電所などでも使用されている。
蒸気タービンは船舶エンジンとして使うことも出来る。旧日本海軍ならば『艦本式タービン』が有名だ。駆逐艦から戦艦、航空母艦までに採用されていた。
この蒸気タービンを初めて、室町時代の軍艦に採用した。木造で両舷に舷側砲を備えた軍艦だ。片田が、帆も、マストも廃止しよう、といった。皆が大反対する。
いざ、機関が壊れた時に、どうにもならないではないか。
さすがに戦艦ともなると、連合艦隊においては単独で行動することはないので、機関が壊れても僚艦に牽引してもらえた。
しかし、この時代に戦艦がどのような運用になるかは、やってみなければわからない。
なので、片田は逆らえなかった。大きな二本のマストを取り付けて、いざという時、簡易な帆を上げることができるようにした。
外形は日本海海戦の『三笠』に近いものになる。ただ、主砲はない。副砲にあたる舷側砲が三段並んでいた。
なお、『三笠』には二本のマストと、それぞれにクロスツリー(横木)があったが、帆を上げることはできなかった。これらのマストは『トップ』という見張り台を置いたり、信号旗の掲揚、無線アンテナ線を張ったりすることに使われた。
この級の軍艦について、『戦艦』と名付けられた。
一号艦が進水し、『金剛』と名付けられる。ドックでは同型艦が三隻起工済みだった。それぞれ進水すれば『比叡』、『榛名』、『霧島』と名付けられることになるだろう。
『金剛』は、旧連合艦隊の中で、筆者が最も好きな艦だ。『瑞鶴』と『金剛』は、良く働いた艦だった。




