中納言 (ちゅうなごん)
片田が第一師団の敷地脇で『食事ラッパ』を聞いた足で片田商店に帰って来る。
「あ、店長。東国に向かった皇軍から無線連絡がありました」
「おっ、そうか。それを待っていたんだ。どうだった」
「お味方の大勝利だそうです。古河城は一日で開城したそうです」
「損害は」
「当方にはありません。古河公方側は二百名程の損害があったそうです」
「二百名か、痛ましいことだが、もっと出ると思っていた。しかし、これで、この国から戦が無くなるのだ。丁重に弔ってやり、遺族にも手当を施すようにしなければならぬ」
「そのことなのですが、なんでも犠牲者は五十歳以上の老人ばかりだそうです」
「なんだと」
「不思議な事ですが、近衛中将様が、そうおっしゃっていました」
「古河公方、名は左馬頭と言ったか、いや違うな。その父親の先の古河公方の采配だろう。会ってみたい男だな」左馬頭とは、足利政氏のことだ。片田が『会ってみたい男』といったのは、もちろん足利成氏のことだ。
二か月程たった。小山朝基さんが京都に帰ってきた。古河の事は第一大隊長にまかせてきたそうだ。
彼が東国の平定もそこそこにして帰ってきたのには理由がある。臨時の除目が行われるのである。
除目とは人事異動の発表のことで、通常は春と秋に行われる。春の除目を『県召の除目』といい、国司などの地方官の任命を行う。秋の除目は『司召の除目』といい、京官、つまり京都で勤務する官吏の任命を行った。
『東国の平定』は、カッコ付きゴシック体で書かれても良い程の大成果である。これにより小山朝基さんが出世することになった。
どれほどの出世になるのだろう、世間の耳目が、この除目に集まる。
時の左大臣、花山院政長の声が響く。
「片田朝臣順を兵部卿から除く。これにより闕する兵部卿に小山朝臣朝基を任ずる」
「オウ」と小山朝基さんが答える。この応答のことを『称唯』という。
「中納言は闕官ひとつあり。これに片田朝臣順を任ずる。また片田朝臣には、真人の姓を賜ふ。これより片田真人と名のるが良い」
「オウ」と片田順も答えた。
「二人とも、東国の事は見事であった。これで国が鎮まるであろう。以後は、そちの言う通り、諸人が海の彼方に旅し、商の道に努めるが良い」
御簾の向こうから御門が声をかけた。
ハッ、と二人が答え、平伏した。
「朝見の儀は、肩が凝る」小山朝基が片田に言った。
「まあ、そうだな。儀式だから仕方がない。それにしてもよかったじゃないか、兵部卿だぞ。従四位下から正四位下に二段上がった」片田が答える。
片田は軍人なので、『二階級特進』と言いそうなものだと思うかもしれない。しかし、この言葉は、あまり縁起が良いとは言えない。
二階級特進という言葉が良く使われたのは、戦死者に対してだからである。
特に戦闘行為中に戦死した将兵に対して、『その功績を讃えて、特別に二階級上げる』などと言った。階級が上がれば、遺族年金が増額する、という意味もあっただろう。
「ああ、しかし、将軍様より上の位だなどと、大丈夫なのかな、そんなものもらって」
「室町将軍は何十年も東国征伐をしようとしたが、結局できなかったからな。御門はそう言って将軍を説得すると言っていた」
「まあ、もらったはいいが、私もあと何年生きるやら。お役に立てる時間があるのか」朝基さんが言う。小山朝基さんの本名が結城持朝さんだとすると、この時数えで七十六歳だ。このように言うのも無理もないだろう。
この時代の平均寿命は短いが、それは幼児の死亡率が今よりはるかに高いからだ。この物語に登場する長寿者を挙げると、尋尊さんが七十八、一条兼良が七十九、宗祇が八十一歳まで、それぞれ生きた。
「そういえば、片田殿。お主は、あまり年をとらんな」朝基さんが言った。
「そうですか」片田がとぼける。
二人が出会ったのは長禄年間であった。当時畠山義就が嶽山城に籠城していた。片田達は応神天皇陵付近で覚慶運河を建設していた。その作業場と周囲の新田を、嶽山城包囲軍が略奪した。
片田は当時の片田村で自警団をやっていた小山七郎さんと朝基さんに運河建設現場の防衛策を相談したのが始まりだった。
昔のことで、二人ともよく覚えていないが、たぶん長禄四年(西暦一四六〇年)のことだったろう。当時朝基さんは四〇歳くらい、片田は二一歳の時に室町時代に来て九年目だったので、三〇歳になっていたはずだ。
それから朝基さんのほうはずっと室町時代で三十六年間過ごしているので、七十六歳になった計算だ。
片田の方はそれから十四年くらい室町時代で過ごし、現代に戻って二年暮らした。ここまでで四十六歳だ。
そして、長享二年(一四八八年)の室町時代に戻り、今日までに八年が過ぎた。合わせて五十四歳になる。単純に計算すればそうなる。
会った当初十歳違いだったのが、今は二十二歳違いになっている。朝基さんが、年を取らんな、というのも無理もない。
人間は『年を取る』という経験を一度しかできない。
なんとなく、体力が衰えた。歩くのが遅くなった。髪に白い物が混じってきた。顔や首に皺がよってきた。などから、自分は年をとってきたんだなぁ、と思うはずだ。
それくらいしか、自分の年齢を感じとる方法はない。体の中に時計がはいっているわけではないのだ。
しかし、片田が自分の体と、周囲の五十代とを比べてみると、自分の体の方が若いような気がする。おそらく自分の体はまだ四十代くらいなのではないか。そんな気がした。




